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線路は続く43 花咲線100周年

線路は続く 目次

花咲線100周年

2021年8月5日、JR北海道の花咲線(根室線釧路駅―根室駅間の愛称)が全線開通して100年となった。
その全線開通100年を記念し、開通当時の地元の熱狂ぶりを伝える企画展が根室市で始まる。
 1907(明治40)年に旭川駅―釧路駅間が全通したが、釧路駅からの延伸は時間がかかった。
ようやく1917(大正6)年に厚岸まで延び、その後順次駅を整備して1921年8月5日に根室まで届いた。
 根室市歴史と自然の資料館で6日に始まった企画展「鉄道が来たころの根室のまち」は、釧路への鉄路到着を機に根室の財界人らが出した「鉄道速成」請願書や、全通を機関車型の山車などで祝う市民の姿を映した写真、前年に開通した別当賀駅の開業ふきんなどを展示。
港中心の物流に鉄路が加わり、北方への玄関としての発展が加速した歴史を振り返る。
9月19日まで。月曜日と8月8、10日は休館。
 また7日には、根室駅で鉄道模型の展示、海鮮弁当や鉄道グッズ販売などの記念行事が午前10時から午後4時まで開かれる。
JR北海道が単独では維持困難とする花咲線を応援する市民団体「夢空間☆花咲線の会」(鈴木一雄代表)の主催。
根室駅を乗降する客への記念品配布や、同会作成の記念マークつき車両の運行も8日まで行う。

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根室線の釧路駅から根室駅までの路線は愛称花咲線と呼ばれる。

そして花咲線には独自の応援サイトがある。

地球探索鉄道 花咲線 オフィシャルサイト

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根室線延伸開通
  駅名 営業
開始
廃止
記事
路線開通
1 滝川 1898
7/16
函館線 1900年
12月
2日
          1907年
9月
8日
     
2 東滝川 1913
11/10

幌倉 
               
3 赤平 1913
11/10
                 
4 茂尻 1918
12/28
                 
5 平岸 1913
11/10
                 
6 芦別 1913
11/10
旧下
芦別
               
7 上芦別 1920
3/27
                 
8 野花南 1913
11/10
                 
9 滝里 1913
11/10
1991
10/22
旧梵
茂尻
               
10 島ノ下 1913
11/10
                 
11 富良野 1900
12/2
旧下
富良野
               
12 布部 1927
12/26
                 
13 山部 1901
4/1
                 
14 下金山 1913
10/1
                 
15 金山 1900
12/2
                 
16 鹿越 1900
12/2
1966
9/29
               
17 東鹿越 1946
3/1
                   
18 幾寅 1902
12/6
                   
19 落合 1901
9/3
                   
20 新得 1907
9/8
              1907年
9月
8日
     
21 十勝清水 1907
9/8

清水
                 
22 羽帯 1958
9/10
                   
23 御影 1907
9/8
旧佐
念頃
                 
24 芽室 1907
9/8
                   
25 大成 1986
11/1
                   
26 西帯広 1907
9/8

伏古
                 
27 柏林台 1986
11/1
                   
28 帯広 1905
10/21
            1905年
10月
21日
     
29 札内 1910
1/7
1992
4/1
               
30 稲士別 1987
4/1
                 
31 幕別 1905
10/21

止若
               
32 利別 1904
12/15
          1904年
12月
15日
     
33 池田 1904
12/15
               
34 十弗 1911
12/15
               
35 豊頃 1904
8/12
        1904年
8月
12日
     
36 新吉野 1910
1/7
旧下
頃部
           
37 浦幌 1903
12/25
      1903年12月
25日
     
38 上厚内 1926
8/1
           
39 厚内 1903
12/25
           
40 直別 1907
10/25
           
41 尺別 1920
4/1
           
42 音別 1903
3/1
    1903年
3月
1日
     
43 古瀬 1987
4/1
         
44 白糠 1901
7/20
  1901年
7月
20日
     
45 西庶路 1941
3/28
       
46 庶路 1901
7/29
       
47 大楽毛 1901
7/20
       
48 新大楽毛 1988
11/3
       
49 新富士 1923
12/25
       
50 釧路 1901
7/20
愛称
花咲線
1919年
11月
25日
1920年
11月
10日
1921年
8月
5日
51 東釧路 1928
11/11
            1917年
12月
1日
52 武佐 1988
3/13
           
53 別保 1917
12/1
           
54 上尾幌 1917
12/1
           
55 尾幌 1917
12/1
           
56 門静 1917
12/1
           
57 厚岸 1917
12/1
           
58 糸魚沢 1919
11/25
             
59 茶内 1919
11/25
             
60 浜中 1919
11/25
             
61 姉別 1919
11/25
             
62 厚床 1919
11/25
             
63 初田牛 1920
11/10
               
64 別当賀 1920
11/10
               
65 落石 1920
11/10
               
66 昆布盛 1961
2/1
               
67 西和田 1920
11/10
               
68 花咲 1921
8/5
                 
69 東根室 1961
9/1
                 
70 根室 1921
8/5
                 

線路は続く 目次

2020・21年発表JR各社の決算比較

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各社2021年運輸収入数字後は2020年比
  • JR北海道 
    2020年3月発表決算
    運輸収入「875億円」:赤字「▲521億円
    2021年3月発表決算
    運輸収入「510億円」58.3%:赤字「▲814億円
  • JR四国
    2020年3月発表決算
    運輸収入「260億円」:赤字「▲136億円
    2021年3月発表決算
    運輸収入「146億円」56.2%:赤字「▲231億円
  • JR東海
    2020年3月発表決算
    運輸収入「1兆4222億円」:鉄道部門利益額「6167億3300万円」
    2021年3月発表決算
    運輸収入「5274億円」37.1%:鉄道部門利益額「▲1819億9600万円
  • JR東日本
    2020年3月発表決算
    運輸収入「1兆9692億円」:鉄道部門利益額「2540億9500万円」
    2021年3月発表決算
    運輸収入「9543億円」48.5%:鉄道部門利益額「▲6508億2700万円
  • JR西日本
    2020年3月発表決算
    運輸収入「9318億円」:鉄道部門利益額「1054億1200万円」
    2021年3月発表決算
    運輸収入「4807億円」51.6%:鉄道部門利益額「▲2476億3400万円
  • JR九州
    2020年3月発表決算
    運輸収入「1652億円」:鉄道部門利益額「200億8900万円」
    2021年3月発表決算
    運輸収入「897億円」54.3%:鉄道部門利益額「▲366億1000万円
  • JR貨物
    2020年3月発表決算
    運輸収入「1429億円」:鉄道部門利益額「85億500万円」
    JR貨物
    2021年3月発表決算
    運輸収入「1336億円」93.5%:鉄道部門利益額「▲90億6400万円
  • 2020年7社
    運輸収入合計 4兆7680億37百万円
  • 2021年7社
    運輸収入合計 2兆2515億28百万円
    前年比47.2%

    営業損益合計 ▲1兆2306億25百万円

先生の言葉

コロナ後の世界でも、「上等」にも「その上」があるんじゃないかと思っているんです。
 できるできないは別として、もし「上等の上」があるなら、それをめざしてもいいんじゃないかと僕は思うんです。 それは透視図法における無限消失点のようなものです。実体じゃない。作業上の擬制です。
 それは何かというと、言葉が平凡過ぎて脱力しそうですけれど、「親切」です。 「人に親切にする」ということは、相手より立場が上でなくても、集団のフルメンバーでなくても、できる。
『コロナ後の世界』内田樹

サイトで内田先生の言葉を読んだ。

ふと思っていたことと合致したので忘れないよう書いておく。

食品を買いに行き、フロアを巡りいろいろと買いだめをしていた。

まず立体駐車場からエレベーターで1階へ下りた。

ドアが開き降りようとすると、初老の母親と娘、二人連れが一所懸命話をしながら乗ってきた。

一瞬怯んだが立ちどまり、仕方なく横に除け、道を譲った。

そしてその後でエレベーターを降りた。

買い物は週一回なので、生鮮食品からパスタソースや調味料、洗剤等フロアを歩いた。

すると、当然行き違いとなる買い物客も多くなり、お互いスマートによけ合いながら目当てのコーナーへ向かうはずだ。

そこであるパターンに気が付いた。

どうも最近この「スマートに避ける」という行動が見られない。

まともにぶつからんばかりに直進してくる。

そんな中、ある子供連れがとくに気になった。

年は30代の母親と小学校低学年の子どもを連れ右後方から速足でやってきた。そして私の前を斜めに横切り、食品売り場へまっしぐらに進む。

車でいうなら、「かぶせる」という行為となる。

親(の世代)については今後改善は望めないので諦めよう、しかしこれからの世の中を構成する子どものことを思うと、このような教育をしていていいのかと感じる。

ものごとにはすべて優劣というものがあり、今の時代その判断基準があいまいに揺れているのではないか。

もちろんそれは長幼の差などではない。

先に生きている大人としての実践必須項目である。

狭いエレベーターの中に人がいる、その狭い中にさらに人が入るという行為は、中の人が降りるという行為よりも劣位となる。したがって、エレベーターに乗る人は降りる人がいないかを確認し、中の人が降りる様子なら脇に除けて佇んでいるのが正しいマナーだ。

人の前直近を横切らない、列をなすとき以外人の真後ろに立たない、これらはどこかの外国なら問答無用と面罵糾弾されることかもしれない。

歩いていてお互いの動線がこの先で重なると思える時は、阿吽の呼吸で互いに譲ろうとし、無意識で優劣を決める。

そして譲るならスピードを落とし緩やかにでもカーブする。

 幼子は親の背をみて学ぶ。それゆえ周囲の大人の責任は大きい。

内田先生のいう「親切」の定義がもっとも考慮されるべき場面は、政治である。

今日ドイツでは、「CALL」と「RESPONSIBILITY」が重視されているという話をきいた。

RESPONSIBILITY一般的には責任と訳されているが、ここでの正確な意味は「反応・対応」が近いらしい。

ドイツ人の行った残虐行為について、いまだに被害者から「CALL」される、つまり追及される。

それに対して当時のドイツ人からするとその子孫であるドイツ人は反応する。

時の首相が被害者慰霊碑の前で跪き謝罪をする、毎年アウシュビッツの映画を作成する。戦犯が総理についた日本とはけた違いの対応ではないか。

私の考える世の中の「やさしさ」が今の時代に失われたとすれば、われわれ大人の責任は大きい。

科学季評仲良くなれば、ゴリラは心の許せる友人となる。
声を出してあいさつすれば応えてくれるし、目を見ればいたずら心を起こしているとわかる。
慣れれば、後ろ姿を見ただけで気持ちが伝わってくる。
言葉が介在しなくても、ゴリラと気持ちを伝え合うことは可能なのだ。
 人類の祖先も、言葉を話すまでは、おそらく声やしぐさを組み合わせた態度で気持ちを伝え合っていたはずだ。

山極寿一

そんなにつんけんしなくてもいいんちゃいますか。

 

「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋

REMEMBER3.11

弾丸能登往復2

民宿「寅さん」

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宿泊した宿は「民宿寅さん」という名前だった。

白米千枚田からの帰りのバスは丁度この宿の近くを通る。

そこで最寄りのバス停で下りた。

天気は崩れ小雨だったが10分ほどで到着。「寅さん」という名前は、映画「寅さん」とは関係なく、寅松という姓から付けたそうだ。

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本来の生業は鮮魚を商っていたそうなので、魚がふんだんに出てくる。

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女将さんは能登の山深くの出身で魚のことはまったくわからなかったそうだ。

しかし親から料理のことは充分仕込まれていたので、輪島に来てもすぐ魚を裁けるようになった。

当日宿泊はわれわれだけ。

この日は天気も悪く時化だったのだろう、食事している食堂のとなりの厨房で家族そろっての夕食だった。

女将さんは厨房での夕食後に傍へやってきて上記のような話をしてくれた。

揮毫

そして宿には宿泊客が残した揮毫がいくつかあると女将が紹介してくれた。

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それこそまるで映画寅さん「寅次郎あじさいの恋」の夢エピソードみたいな話だ。

西岸駅

輪島からの帰途のどかな駅があった。

【凡例】

駅名
数字は滞在時間
乗降客 一日当たり
駅別乗降客
路線 路線区分
所要
時間
駅間の運行時間
6時 出発 列車番号
所要時間 到着

のと鉄道西岸駅 1932(昭和7)年開設

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富山湾鮨

京都から北陸線七尾線







乗降客 121 2313 45789 23611 20514 7178 4065920
路線 のと鉄道 北陸新幹線往復
七尾線 北陸線
10時 49 123
D
11時 40 29
12時   35 846
M
13時   33 08
  28 つるぎ
712
  23 51 富山湾
寿司
14時   はくたか
563
57
15時   19 22
16時   29 サンダーバード
36号
17時   2h
24
  51 20  
  35 55  
18時     58 53

輪島から七尾へ出てきたときに、そうだフリーキップだからと北陸新幹線を考えた。

そして富山駅に行き、以前食べた富山湾鮨をもう一度食べようと、金沢駅で北陸新幹線に乗った。

いわゆる 金沢-富山シャトルく だ。

片道二十数分でなので、昼食を摂りに往復した。

丁度駅から歩いて数分のところに回転すしがあった。

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コロナ禍で時間も14時をまわっていたが無事富山湾鮨を食べることができた。

2021年のJR各社の決算が発表されたので恒例下記各社決算比較を更新した。

旅客各社はいずれも前年比大幅な減収、中でJR貨物はコロナ禍でも大きな減収にはなっていない。

2020・21年発表JR各社の決算比較

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/g/greengreengrass/20210729/20210729102747.png

各社2021年運輸収入数字後は2020年比
  • JR北海道 
    2020年3月発表決算
    運輸収入「875億円」:赤字「▲521億円
    2021年3月発表決算
    運輸収入「510億円」58.3%:赤字「▲814億円
  • JR四国
    2020年3月発表決算
    運輸収入「260億円」:赤字「▲136億円
    2021年3月発表決算
    運輸収入「146億円」56.2%:赤字「▲231億円
  • JR東海
    2020年3月発表決算
    運輸収入「1兆4222億円」:鉄道部門利益額「6167億3300万円」
    2021年3月発表決算
    運輸収入「5274億円」37.1%:鉄道部門利益額「▲1819億9600万円
  • JR東日本
    2020年3月発表決算
    運輸収入「1兆9692億円」:鉄道部門利益額「2540億9500万円」
    2021年3月発表決算
    運輸収入「9543億円」48.5%:鉄道部門利益額「▲6508億2700万円
  • JR西日本
    2020年3月発表決算
    運輸収入「9318億円」:鉄道部門利益額「1054億1200万円」
    2021年3月発表決算
    運輸収入「4807億円」51.6%:鉄道部門利益額「▲2476億3400万円
  • JR九州
    2020年3月発表決算
    運輸収入「1652億円」:鉄道部門利益額「200億8900万円」
    2021年3月発表決算
    運輸収入「897億円」54.3%:鉄道部門利益額「▲366億1000万円
  • JR貨物
    2020年3月発表決算
    運輸収入「1429億円」:鉄道部門利益額「85億500万円」
    JR貨物
    2021年3月発表決算
    運輸収入「1336億円」93.5%:鉄道部門利益額「▲90億6400万円
  • 2020年7社
    運輸収入合計 4兆7680億37百万円
  • 2021年7社
    運輸収入合計 2兆2515億28百万円  47.2%
    営業損益合計 ▲1兆2306億25百万円

弾丸能登往復1

こそっと能登まで

久しく鉄路を走っていないので、列車に乗りたくなり未踏線ではないが能登まで往復した。

突然思い立って白米千枚田を見たくなったからだ。

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これは能登とは関係ありません。出かけに庭で咲いていたマリーゴールドです。

下の写真が能登白米千枚田

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永井豪氏は輪島出身

行程表

【凡例】

駅名
数字は滞在時間
乗降客 一日当たり
駅別乗降客
路線 路線区分
所要
時間
駅間の運行時間
6時 出発 列車番号
所要時間 到着

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JR西日本では「北陸乗り放題きっぷ」を販売している。

三日間有効で北陸フリーエリア内の普通から特急までの自由席が乗り放題となっている。

 

京都から北陸線七尾線






乗降客 4065920 7178 20514 45789 2313 121
路線 北陸線 七尾線 のと鉄道
6時 59 サンダーバード
1号
7時 2h
14
58  
8時   31  
9時   13
  52 839
M
10時   1h
27
11時   19
  43 133
D
12時   40 23
所要時間 2:14 1:27 0:40
区間距離 224.8 54.4 33.1
時速 100.7km 37.5km 49.7km
停車駅数 3 22 7
駅間
44'40 3'57 5'43

朝京都駅を6時59分発のサンダーバード1号は、京都駅をでると敦賀駅福井駅そして金沢駅と三駅のみの停車となる。

所要時間も2時間14分と早い。

北陸フリーエリア

北陸のフリーエリアは、西は「小浜」から東は「越中宮崎」、北は「和倉温泉」まで。

もちろん、北陸新幹線「金沢-黒部宇奈月温泉」間や区間内のIRいしかわ鉄道、あいの風とやま鉄道も乗車可能。

下図白線の内側がフリーエリア

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金沢駅に到着が9時13分。次の列車で悩んだ。

フリーキップで特急でも乗車可能。10時15分発の特急「花嫁のれん」なら和倉温泉着が11時42分。

9時52分発の普通839Mなら七尾駅乗換で和倉温泉駅着は11時49分。

目的が白米千枚田なので少しでも早く着こうと、みどりの窓口へ。

係員に案内を聞くと、なんのことはない「花嫁のれん」は指定席のみで自由席なし、したがって北陸乗り放題きっぷでは乗車できません、とのこと残念。

(戻ってから調べた。この北陸乗り放題きっぷはフリーエリア内の特急指定席も別途指定特急券を買えば乗車できた)

一転し朝も早かったので、朝食に金沢駅白エビうどんをかき込んで9時52分発の839Mに乗った。

のと鉄道

のと鉄道はもちろん1両ワンマンカーで七尾駅から穴水駅まで10人程度の乗客だった。帰りも同程度だった。

また途中高校生が結構乗り降りした。のと鉄道沿線には高校が数校ある。地方鉄道の乗客は高校生が多い。

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当然定期券通学ともなり一般よりも運賃は安い。その中で生活基盤をささえる地方鉄道は走る。

金沢輪島間には北陸鉄道が高速バスを走らせている。

金沢駅西口9時25分発の場合、輪島駅着11時39分、2時間14分で運賃は2300円 

北陸乗り放題きっぷを使った場合と比較すると。

金沢から輪島
のと鉄道 高速バス
金沢発 9:52 9:25
七尾着 11:19  
七尾発 11:43  
穴水着 12:23  
穴水発 12:30  
輪島着 13:09 11:39
乗車時間 3:16 2:14
運賃 2420 2300
北陸乗り放題
きっぷ利用
1110

鉄道は不利だなあ。

輪島市民も金沢へでる、となるとまず高速バスの利用を考えるようだ。

輪島駅

現在の「輪島駅」に駅舎がある、これは2001年輪島駅穴水駅間の鉄道が廃止となってから建造されたもので道の駅となっている。

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駅では輪島塗の定食がいただける

輪島駅から白米千枚田までは路線バスで20分ほど。

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平日そして解除されたとはいえコロナ禍の影響からか人影は少なかった。

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田の水面に空が映り込む時期がよかったのだろうが、外出決定するのが難しく結局少し遅れてしまった。
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千枚田の中小さな田はこの程度になる

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すぐ向こうは日本海

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googleの衛星写真より

衛星写真でみると道路が横切っているがまだ山腹に向けて田が広がっている。

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バスは片道20分くらいだった。

往復のバス時効表の関係で現地での滞在は2時間半くらい。十分すぎた。

最後は横にある道の駅でソフトクリームを食べながら時間を持て余した。

宿までも30分ほどなのであわてることもなくのんびりとした一日となった。

しかし輪島駅に戻った時には雨が降り出していた。宿に近い途中のバス停で下車民宿寅さんに駆け込んだ。

輪島港に近い朝夕にかもめがやってくる宿だった。

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?

2020年発表JR各社の決算より

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  • JR北海道
    2020年3月発表決算
    運輸収入「875億円」:赤字「▲521億円
  • JR四国
    2020年3月発表決算
    運輸収入「260億円」:赤字「▲136億円
  • JR東海
    2019年3月発表決算リニア新幹線関連投資予算額3100億円)
    2020年3月発表決算
    運輸収入「1兆4222億円」:鉄道部門利益額「6167億3300万円」
    (2020年3月発表決算リニア新幹線関連投資額未掲載)
  • JR東日本
    2020年3月発表決算
    運輸収入「1兆9692億円」:鉄道部門利益額「2540億9500万円」
  • JR西日本
    2020年3月発表決算
    運輸収入「9318億円」:鉄道部門利益額「1054億1200万円」
  • JR九州
    2020年3月発表決算
    運輸収入「1652億円」:鉄道部門利益額「200億8900万円」

REMEMBER3.11

歴代天皇陵 遥かなる京都6

目次:後鳥羽天皇から後醍醐天皇

下記表の歴代天皇名をクリックするとその天皇の表が開きます。

82 後鳥羽天皇 83 土御門天皇 84 順德天皇
85 仲恭天皇 86 後堀河天皇 87 四條天皇
88 後嵯峨天皇 89 後深草天皇 90 亀山天皇
91 後宇多天皇 92 伏見天皇 93 後伏見天皇
94 後二條天皇 95 花園天皇 96 後醍醐天皇

1183年後鳥羽天皇から後醍醐天皇まで

調べてみると近世でも室町時代以降の天皇は、政治面において表舞台から退くと古文書での記事自体が少ない事情などからなのか、諸賢による研究の対象となることも少ないようだ。

そんな中この「皇居行幸年表」という資料は室町(後醍醐天皇)までの行幸を事細かく掲載している。

その皇居行幸年表によった皇居の期間を表にした。

比較しやすいように敢えて西暦年に変換している。

この時期は鎌倉時代から室町時代初期にあたる。

特に後醍醐天皇は鎌倉幕府の両統迭立(注)を壊すために、討幕運動を行った。そして敗れ吉野行宮に立てこもった。

この辺りのことが「太平記」に書かれている。

注 後嵯峨天皇の第3皇子後深草天皇の子孫である持明院統と、第4皇子亀山天皇の子孫である大覚寺統とのあいだで交互に天皇に即位した。

後鳥羽天皇 在位14年5月11日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
83代
後鳥羽天皇
閑院 1183/9/8 1184/8/12 11月5日 践祚
1184/1/3源義仲法住寺殿放火炎上
内裏 1184/8/12 1184/9/7 27日
後鳥羽天皇は三種の神器なしで践祚された。
閑院 1184/9/7 1185/5/28 8月22日
内裏 1185/5/28 1185/7/14 48日
閑院 1185/7/14 1185/8/19 37日
大炊御門殿 1185/8/19 1186/1/17 1年4月2日
閑院 1186/1/17 1186/12/20 11月4日
内裏 1186/12/20 1187/1/1 13日
閑院 1187/1/1 1187/9/15 8月15日
大炊御門殿 1187/9/15 1187/12/14 91日
閑院 1187/12/14 1190/2/6 2年1月24日
内裏 1190/2/6 1190/4/10 64日
閑院 1190/4/10 1195/12/22 5年8月13日
内裏 1195/12/22 1196/1/10 20日
閑院 1196/1/10 1196/4/23 3月14日
内裏 1196/4/23 1196/5/20 28日
閑院 1196/5/20 1196/12/15 6月26日
内裏 1196/12/15 1197/1/11 28日
閑院 1197/1/11 1197/4/5 85日
大炊御門殿 1197/4/5 1197/5/18 44日
閑院 1197/5/18 1198/2/16 8月30日
大炊御門殿 1198/2/16 1198/2/18 3日 退位
土御門天皇 在位12年9月25日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
84代
土御門天皇
閑院 1198/2/18 1198/3/29 40日 践祚
内裏 1198/3/29 1198/4/16 19日
閑院 1198/4/16 1198/11/17 7月2日
内裏 1198/11/17 1198/12/29 43日
閑院 1198/12/29 1205/3/3 6年2月3日
中院殿 1205/3/3 1205/4/23 52日
内裏 1205/4/23 1205/5/7 15日
中院殿 1205/5/7 1205/7/17 72日
大炊御門殿 1205/7/17 1205/10/12 88日
閑院 1205/10/12 1209/1/5 3年2月25日
閑院炎上 1209/1/5   居所焼亡
内裏 1209/1/5 1209/1/8 4日
大炊御門殿 1209/1/8 1209/1/30 23日
内裏 1209/1/30 1209/2/5 7日
大炊御門殿 1209/2/5 1209/8/12 6月8日
冷泉万里小路殿 1209/8/12 1209/12/8 3月27日
大炊御門殿 1209/12/8 1210/12/12 1年5日 退位
順徳天皇 在位10年5月2日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
85代
順徳天皇
押小路殿 1210/12/12 1211/1/6 26日 践祚
内裏 1211/1/6 1211/2/13 39日
大炊御門殿 1211/2/13 1211/11/25 9月13日
内裏 1211/11/25 1211/12/29 35日
三条烏丸殿 1211/12/29 1212/11/19 10月22日
内裏 1212/11/19 1212/12/25 37日
三条烏丸殿 1212/12/25 1213/3/20 86日
新造閑院 1213/3/20 1213/5/19 61日
高陽院 1213/5/19 1213/6/14 27日
閑院 1213/6/14 1213/9/11 90日
高陽院 1213/9/11 1213/10/31 51日
閑院 1213/10/31 1213/12/9 40日
高陽院 1213/12/9 1213/12/20 12日
閑院 1213/12/20 1213/12/23 4日
高陽院 1213/12/23 1214/1/6 15日
閑院 1214/1/6 1214/4/5 90日
高陽院 1214/4/5 1214/5/30 56日
閑院 1214/5/30 1221/5/9 6年11月10日
(内裏炎上) 1219/8/24 源頼茂により放火 無居住 内裏焼亡
15度目
大炊御門殿 1221/5/9 1221/5/13 5日 退位
仲恭天皇 在位2月17日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
86代
仲恭天皇
閑院 1221/5/13 1221/6/6 26日 践祚
高陽院 1221/6/6 1221/7/11 26日
閑院 1221/7/11 1221/7/29 29日
高陽院 1221/7/29 承久の乱で退位
後堀河天皇 在位11年3月20日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
85代
後堀河天皇
閑院 1221/7/29 1232/11/17 11年3月20日 践祚退位
(内裏)1227/6/8造営中炎上以後内裏廃絶
四条天皇 在位10年5月2日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
87代
四条天皇
閑院 1232/11/17 1237/7/24 4年8月8日 践祚
冷泉万里小路殿 1237/7/24 1238/2/26 7月3日
閑院 1238/2/26 1242/2/10 3年11月16日 崩御
1歳7月で践祚、10歳10月で崩御
後嵯峨天皇 在位3年11月27日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
88代
後嵯峨天皇
冷泉万里小路殿 1242/2/21 1242/5/4 73日 践祚
四条天皇の急な崩御で践祚が11日遅れた
内裏太政官 1242/5/4 1242/5/13 10日
冷泉万里小路殿 1242/5/13 1244/8/30 2年3月27日
閑院 1244/8/30 1246/2/9 1年5月11日
冷泉万里小路殿 1246/2/9 1246/2/16 8日 退位
後深草天皇 在位3年11月27日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
89代
後深草天皇
冷泉富小路殿 1246/2/16 1246/3/2 15日 践祚
閑院 1246/3/2 1249/3/16 3年15日 閑院
2度目
焼亡
閑院炎上 1249/3/16
冷泉富小路殿 1249/3/16 1249/12/20 9月5日
冷泉万里小路殿 1249/12/20 1249/12/29 10日
冷泉富小路殿 1249/12/29 1251/7/17 1年6月19日
新造閑院 1251/7/17 1259/6/14 7年10月29日 閑院
3度目
焼亡
閑院炎上 1259/6/14
押小路殿 1259/6/14 1259/6/20 7日
冷泉富小路殿 1259/6/20 1259/12/29 6月10日
冷泉万里小路殿 1259/12/29 1260/1/9 12日 退位
亀山天皇 在位14年1月26日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
90代
亀山天皇
冷泉富小路殿 1260/1/9 1261/1/3 11月26日 践祚
五条大宮殿 1261/1/3 1261/2/9 38日
冷泉富小路殿 1261/2/9 1262/3/3 23日
二条殿 1262/3/3 1265/6/21 3年3月19日
五条大宮殿 1265/6/21 1265/10/4 3月14日
冷泉万里小路殿 1265/10/4 1265/12/24 82日
五条大宮殿 1265/12/24 1266/3/1 68日
二条殿 1266/3/1 1266/11/30 9月
五条大宮殿 1266/11/30 1270/9/7 3年9月9日
五条大宮殿炎上 1270/9/7   居所焼亡
冷泉万里小路殿 1270/9/7 1270/9/23 17日
二条殿 1270/9/23 1273/5/6 2年7月14日
冷泉万里小路殿 1273/5/6 1273/11/30 6月25日
二条殿 1273/11/30 1274/3/5 96日
押小路殿 1274/3/5 1274/3/6 2日 退位
後宇多天皇 在位13年8月22日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
91代
後宇多天皇
二条殿 1274/3/6 1278/11/28 4年8月23日 践祚
二条殿炎上 1278/11/28   居所焼亡
冷泉富小路殿 1278/11/28 1278/12/22 25日
三条坊門殿 1278/12/22 1279/1/14 24日
冷泉富小路殿 1279/1/14 1283/2/4 4年22日
近衛殿 1283/2/4 1283/3/25 50日
冷泉富小路殿 1283/3/25 1283/11/10 7月17日
二条殿 1283/11/10 1287/11/27 4年18日 退位
伏見天皇 在位10年9月4日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
92代
伏見天皇
冷泉富小路殿 1287/11/27 1290/4/20 2年4月25日 践祚
春日殿 1290/4/20 1290/7/26 98日
冷泉富小路殿 1290/7/26 1297/5/10 6年9月15日
冷泉富小路殿炎上 1297/5/10   居所焼亡
土御門殿 1297/5/10 1297/5/20 11日
二条殿 1297/5/20 1298/8/30 1年3月11日 退位
後伏見天皇 在位2年6月1日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
93代
後伏見天皇
新造冷泉富小路殿 1298/8/30 1298/9/23 25日 践祚
二条富小路殿 1298/9/23 1299/12/20 1年2月28日
二条殿 1299/12/20 1299/12/29 10日
二条富小路殿 1299/12/29 1301/3/2 1年2月11日 退位
後二条天皇 在位7年6月9日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
94代
後二条天皇
二条殿 1301/3/2 1304/7/16 3年4月15日 践祚
冷泉富小路殿 1304/7/16 1305/8/1 1年17日
二条殿 1305/8/1 1308/9/10 3年1月10日 退位
花園天皇 在位9年6月19日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
95代
花園天皇
土御門殿 1308/9/11 1308/12/27 3月17日
二条富小路殿 1308/12/27 1317/5/30 8年5月4日
冷泉富小路殿 1317/5/30 1318/3/27 9月26日
土御門殿 1318/3/27 1318/3/29 3日
後醍醐天皇 在位9年6月19日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
96代
後醍醐天皇

 

冷泉富小路殿 1318/3/29 1331/9/29 13年6月1日
笠置寺行宮 1331/9/29 1331/10/31 33日 京都府笠置町
宇治平等院 1331/10/31 1331/11/4 5日 宇治市
六波羅南方 1331/11/4 1332/4/28 5月25日
隠岐行宮 1332/4/28 1333/7/12 1年2月15日 島根県隠岐
兵庫福巌寺 1333/7/12 1333/7/17 6日
冷泉富小路殿 1333/7/17 1336/2/22 2年7月6日
冷泉富小路殿炎上 1336/2/22   居所焼亡
東坂本行宮 1336/2/22 1336/3/13 21日 大津日吉大社
成就護国院 1336/3/13 1336/7/6 3月24日 場所不明
南禅寺付近?
東坂本行宮 1336/7/6 1336/11/13 4月8日 大津日吉大社
花山院 1336/11/13 1337/1/23 2月11日
吉野行宮 1337/1中 1339/9/18 2年7月 奈良県吉野町

皇居行幸年表には後醍醐天皇まで書かれている。

後醍醐天皇以降の天皇

 戦国期乱世において、天皇はほとんど期待されていなかった。

天皇は軍事力を持たないために、戦局を動かすことも出来ず、結局は武家が武力を用いて解決していた

特に江戸時代に入ると、1651(慶安4)年4月15日の後光明天皇による朝覲行幸以後、1863(文久3年)4月28日の孝明天皇による上賀茂神社・下鴨神社行幸まで200年以上行幸は行われなかった(ただし、火災等による御所移動時の行幸は除く)

下表の院政欄にある数字が院政を執った年数(単純年数により計算)

朝廷財政逼迫の影響は、最も経費の必要な即位と退位に現れ、有力豪族からの借り入れで賄われ、それでも無理なら退位できないということもあった。

特に後土御門天皇の葬儀は財政逼迫という事情も大きくあり43日間執り行われなかった。

後醍醐天皇以降の天皇と院政
天皇 誕生 即位年 即位
年齢
退位 在位
年数
崩御 崩御
年齢
院政
96 後醍醐天皇 1288 1318 30   21 1339 51  
97 後村上天皇 1328 1339 11   29 1368 40  
北朝 光厳天皇 1313 1331 18 1333 2 1364 51 31
光明天皇 1322 1336 14 1348 12 1380 58 32
崇光天皇 1334 1348 14 1351 3 1398 64 47
98 長慶天皇 1343 1368 25 1383 15 1394 51 11
99 後龜山天皇 1350 1383 33 1392 9 1424 74 32
101 後小松天皇 1377 1382 5 1392 10 1433 56 41
100 稱光天皇 1401 1412 11   16 1428 27  
102 後花園天皇 1419 1428 9 1464 36 1471 52 7
103 後土御門天皇 1442 1464 22   36 1500 58  
104 後柏原天皇 1464 1500 36   26 1526 62  
105 後奈良天皇 1497 1526 29   31 1557 60  
106 正親町天皇 1517 1557 40 1586 29 1593 76 7
107 後陽成天皇 1571 1586 15 1611 25 1617 46 6
108 後水尾天皇 1596 1611 15 1629 18 1680 84 51
109 明正天皇 1624 1629 5 1643 14 1696 72 53
110 後光明天皇 1633 1643 10   11 1654 21  
111 後西天皇 1638 1655 17 1663 8 1685 47 22
112 靈元天皇 1654 1663 9 1687 24 1732 78 45
113 東山天皇 1675 1687 12 1709 22 1710 35 1
114 中御門天皇 1702 1709 7 1735 26 1737 35 2
115 櫻町天皇 1720 1735 15 1747 12 1750 30 3
116 桃園天皇 1741 1747 6   15 1762 21  
117 後櫻町天皇 1740 1762 22 1771 9 1813 73 42
118 後桃園天皇 1758 1771 13   8 1779 21  
119 光格天皇 1771 1780 9 1817 37 1840 69 23
120 仁孝天皇 1800 1817 17   29 1846 46  
121 孝明天皇 1831 1846 15   21 1867 36  

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探索の流儀

REMEMBER3.11

歴代天皇陵 遥かなる京都5

目次:三条天皇から安徳天皇

下記表の歴代天皇名をクリックするとその天皇ページが開きます。

67 三條天皇 68 後一條天皇 69 後朱雀天皇
70 後冷泉天皇 71 後三條天皇 72 白河天皇
73 堀河天皇 74 鳥羽天皇 75 崇德天皇
76 近衞天皇 77 後白河天皇 78 二條天皇
79 六條天皇 80 高倉天皇 81 安德天皇

1011年三条天皇から1185年安徳天皇まで

調べてみると近世でも室町時代以降の天皇は、政治面において表舞台から退くと古文書での記事自体が少ないことからなのか、諸賢による研究の対象となることも少ないようだ。

そんな中この「皇居行幸年表」という資料は室町(後醍醐天皇)までの行幸を事細かく掲載している。

その皇居行幸年表によった皇居の期間を表にした。

比較しやすいように敢えて西暦年に変換している。

遷幸について注意しなければいけないのはこの資料では「行幸」という意味は、天皇の在所が変わった場合の「行幸」という解釈で、現代一般に思う「(地方)行幸」という場合の意味も含まれるが、皇居=住まいが変わったという場合にも「行幸」となっている。日本史の定義では天皇の住まいが変わった場合を「遷幸せんこう」というらしい。三種の神器が関わってくるのかもしれない。
そこでここでは皇居=住まいが変わったという場合の遷幸のみを記録した。

三条天皇 在位4年7月23日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
68代
三条天皇
東三条殿 1011/7/16 1011/9/11 58日 践祚
新造内裏 1011/9/11 1014/3/12 2年6月2日 内裏新造
まで
6年9月
内裏炎上 1014/3/12   内裏焼亡
8度目
内裏太政官 1014/3/12 1014/5/10 60日 内裏
新造まで
1年9月
枇杷殿 1014/5/10 1015/11/4 1年
5月26日
新造内裏 1015/11/4 1015/12/30 57日
内裏炎上 1015/12/30   内裏焼亡
9度目
枇杷殿 1016/1/1 1016/3/10 70日 退位
後一条天皇 在位20年2月5日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
69代
後一条天皇
京極院 1016/3/10 1016/7/8 3月29日 践祚
一条院 1016/7/8 1018/5/16 1年10月9日 内裏
新造まで2年5月
新造内裏 1018/5/16 1036/5/15 18年 崩御
後朱雀天皇 在位8年8月21日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
70代
後朱雀天皇
内裏 1036/5/15 1039/7/20 3年2月6日 践祚
内裏炎上 1039/7/20   内裏焼亡
10度目
内裏太政官 1039/7/20 1039/8/5 17日
京極院 1039/8/5 1040/10/17 1年2月13日
京極院炎上 1040/10/17   居所焼亡
陽明門第 1040/10/17 1040/11/29 44日 内裏
新造まで
1年3月
二条殿 1040/11/29 1042/1/13 1年11月6日
新造内裏 1042/1/13 1043/1/21 1年9日
内裏炎上 1043/1/21   内裏焼亡
11度目
内裏太政官 1043/1/21 1043/5/4 104日
一条院 1043/5/4 1044/1/3 8月
一条院炎上 1044/1/3   居所焼亡
高陽院 1044/1/3 1044/1/23 21日
東三条殿 1044/1/23 1045/2/5 1年14日 崩御
後冷泉天皇 在位23年3月18日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
71代
後冷泉天皇
京極院 1045/2/5 1045/7/29 5月25日 践祚
内裏太政官 1045/7/29 1045/10/10 2月12日 内裏
新造まで
2年3月
京極院 1045/10/10 1046/1/25 3月16日
内裏太政官 1046/1/25 1046/4/7 73日
太政官炎上 1046/4/7   居所焼亡
大膳職 1046/4/7 1046/5/12 36日 内裏
新造まで
2年8月
二条殿 1046/5/12 1046/11/8 5月28日
新造内裏 1046/11/8 1048/12/9 2年1月2日
内裏炎上 1048/12/9   内裏焼亡
12度目
内裏太政官 1048/12/9 1048/12/17 9日  
京極院 1048/12/17 1051/7/26 2年7月10日
内裏太政官 1051/7/26 1051/8/19 25日
内裏大膳職 1051/8/19 1051/8/27 9日
冷泉院 1051/8/27 1053/10/4 2年1月8日
高陽院 1053/10/4 1054/2/18 4月15日
高陽院炎上 1054/2/18   居所焼亡
冷泉院 1054/2/18 1054/3/27 1月10日  
四条殿 1054/3/27 1054/10/25 6月29日
京極院 1054/10/25 1055/1/8 2月15日
京極院炎上 1055/1/8   居所焼亡
三条大宮殿 1055/1/8 1055/1/28 21日 内裏
新造まで
7年2月
四条殿 1055/1/28 1056/3/10 1年1月12日
内裏完成 1056/1 未居住  
内裏炎上 1058/3/23   内裏焼亡
13度目
新造一条院 1056/3/10 1059/2/22 2年11月13日 一条院新造
まで11月
一条院炎上 1059/2/22   居所焼亡
室町第 1059/2/22 1059/3/24 31日
三条堀河殿 1059/3/24 1060/9/8 1年5月16日
高陽院 1060/9/8 1068/5/22 7年8月15日 崩御
後三条天皇 在位4年7月28日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
72代
後三条天皇
閑院 1068/5/22 1068/7/27 67日 践祚
三条大宮殿 1068/7/27 1068/10/2 68日
二条殿 1068/10/2 1068/11/22 52日
内裏太政官 1068/11/22 1068/12/23 32日
二条殿 1068/12/23 1069/1/6 15日
二条殿炎上 1069/1/6   居所焼亡
閑院 1069/1/6 1069/1/23 18日
三条大宮殿 1069/1/23 1069/7/12 5月20日
高陽院 1069/7/12 1071/1/20 1年6月9日 内裏
新造まで
13年6月
四条殿 1071/1/20 1071/9/24 8月5日
新造内裏 1071/9/24 1073/1/18 1年3月26日 崩御
白河天皇 在位13年11月17日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
73代
白河天皇
内裏 1073/1/18 1075/9/26 2年8月9日 践祚
高陽院 1075/9/26 1077/1/18 1年3月24日
六条院 1077/1/18 1077/10/28 9月11日
高陽院 1077/10/28 1078/2/10 3月14日
内裏 1078/2/10 1078/10/5 7月26日
高陽院 1078/10/5 1078/12/31 2月27日
内裏 1078/12/31 1079/11/30 11月
高陽院 1079/11/30 1080/2/29 3月
高陽院炎上 1080/2/29   居所焼亡
内裏 1080/2/29 1080/4/2 34日
源師忠第 1080/4/2 1080/5/15 44日
堀河院 1080/5/15 1080/5/20 6日
西洞院殿 1080/5/20 1080/6/1 13日
堀河院 1080/6/1 1081/1/15 7月15日
内裏 1081/1/15 1082/8/25 1年7月11日
内裏炎上 1082/8/25   内裏焼亡
14度目
六条院 1082/8/25 1082/8/29 5日
堀河院 1082/8/29 1084/3/1 1年6月2日
六条院 1084/3/1 1084/3/19 19日
三条殿 1084/3/19 1087/1/3 2年9月16日 退位
堀河天皇 在位20年7月7日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
74代
堀河天皇
堀河院 1087/1/3 1094/12/4 7年11月2日 践祚
堀河院炎上 1094/12/4   居所焼亡
大炊殿(南殿) 1094/12/4 1095/12/1 11月28日
閑院 1095/12/1 1097/10/30 1年10月30日
二条殿 1097/10/30 1097/11/17 19日 内裏
新造まで
18年11月
新造高陽院 1097/11/17 1100/7/27 2年8月11日
新造内裏 1100/7/27 1100/9/21 57日
高陽院 1100/9/21 1102/11/7 2年1月18日
内裏 1102/11/7 1104/12/22 2年1月16日
堀河院 1104/12/22 1105/7/20 6月29日
内裏 1105/7/20 1107/1/20 1年6月1日
堀河院 1107/1/20 1107/8/9 6月21日 崩御
鳥羽天皇 在位10年3月27日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
75代
鳥羽天皇
小六条殿 1108/1/23 1108/9/27 8月6日 践祚
内裏 1108/9/27 1109/1/1 3月6日
大炊殿(西殿) 1109/1/1 1109/7/30 6月30日
内裏 1109/7/30 1109/10/16 2月17日
大炊殿(西殿) 1109/10/16 1111/4/3 1年5月19日
内裏 1111/4/3 1111/6/5 64日
土御門万里小路殿 1111/6/5 1111/10/24 4月20日
高陽院 1111/10/24 1112/5/13 6月20日
高陽院炎上 1112/5/13   居所焼亡
小六条殿 1112/5/13 1112/10/15 5月3日
内裏 1112/10/15 1112/11/10 27日
大炊殿(東殿) 1112/11/10 1113/1/16 68日
内裏 1113/1/16 1113/1/27 12日
大炊殿(東殿) 1113/1/27 1114/9/3 1年7月8日
大炊殿(東殿)放火炎上 1114/9/3   居所焼亡放火
大炊万里小路殿 1114/9/3 1114/9/8 6日

大炊殿
新造まで
3ヶ月

小六条殿 1114/9/8 1114/12/24 3月17日
新造大炊殿(東殿) 1114/12/24 1115/9/15 8月23日
土御門万里小路殿 1115/9/15 1115/12/13 2月29日
大炊殿(東殿) 1115/12/13 1116/9/25 9月13日
大炊殿(東殿)炎上 1116/9/25   居所焼亡
大炊万里小路殿 1116/9/25 1116/9/27 3日
土御門万里小路殿 1116/9/27 1117/5/23 7月27日
三条烏丸殿 1117/5/23 1117/12/5 6月13日 退位
崇徳天皇 在位18年10月12日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
76代
崇徳天皇
三条京極院 1130/1/19 1130/4/13 2月26日 践祚
土御門烏丸殿 1130/4/13 1133/12/28 3年8月16日
二条殿 1133/12/28 1138/4/5 4年3月9日
二条殿炎上 1038/4/5   居所焼亡
三条桟敷殿 1138/4/5 1138/4/15 11日
小六条殿 1138/4/15 1138/5/29 45日
土御門烏丸殿 1138/5/29 1138/12/27 6月29日
土御門烏丸殿炎上 1138/12/27   居所焼亡
小六条殿 1138/12/27 1140/12/14 1年11月18日 新造まで
2年
退位
新造土御門烏丸殿 1140/12/14 1142/1/5 1年23日
近衛天皇 在位13年7月18日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
77代
近衛天皇
土御門烏丸殿 1142/1/5 1142/7/16 6月12日 践祚
小六条殿 1142/7/16 1142/10/10 87日
土御門烏丸殿 1142/10/10 1142/11/8 30日
内裏一本御書所 1142/11/8 1142/12/7 30日
土御門烏丸殿 1142/12/7 1148/7/13 5年7月7日
土御門烏丸殿炎上 1148/7/13   居所焼亡
四条東洞院殿 1148/7/13 1150/1/22 1年6月10日
東三条殿 1150/1/22 1150/2/21 31日
四条東洞院殿 1150/2/21 1151/7/21 1年5月1日
四条東洞院殿炎上放火 1151/7/21   居所焼亡
八条殿 1151/7/21 1151/8/18 29日
小六条殿 1151/8/18 1151/11/27 3月10日
小六条殿炎上放火 1151/11/27   居所焼亡
六条烏丸殿 1151/11/27 1151/12/22 26日
近衛殿 1151/12/22 1155/8/22 3年8月1日 崩御
後白河天皇 在位3年13日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
78代
後白河天皇
高松殿 1155/8/23 1155/11/16 86日 践祚
内裏一本御書所 1155/11/16 1155/12/22 37日 1056年7月
保元の乱
高松殿 1155/12/22 1157/8/12 1年7月22日
東三条殿 1157/8/12 1157/9/14 34日
高松殿 1157/9/14 1157/11/11 59日
内裏 1157/11/11 1158/4/30 5月20日
高松殿 1158/4/30 1158/7/18 2月19日
内裏 1158/7/18 1158/8/18 32日
高松殿 1158/8/18 1158/9/4 18日 退位
二条天皇 在位6年10月30日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
79代
二条天皇
内裏 1158/9/5 1158/11/6 63日 践祚
東三条殿 1158/11/6 1158/12/11 36日
内裏 1158/12/11 1060/2/4 1年1月25日 1160年1月
平治の乱
六波羅殿 1160/2/4 1160/2/8 5日
八条殿 1160/2/8 1160/9/23 7月16日
大炊御門高倉殿 1160/9/23 1160/12/12 81日
内裏 1160/12/12 1160/12/26 15日
大炊御門高倉殿 1160/12/26 1161/1/25 31日
内裏 1161/1/25 1161/5/1 3月7日
大炊御門高倉殿 1161/5/1 1161/7/30 91日
東三条殿 1161/7/30 1161/11/19 3月21日
高倉殿 1161/11/19 1161/12/7 19日
内裏 1161/12/7 1161/12/14 8日
高倉殿 1161/12/14 1162/1/3 21日
内裏 1162/1/3 1162/4/3 91日
高倉殿 1162/4/3 1162/5/13 41日
二条東洞院殿 1162/5/13 1165/8/3 3年2月22日 退位
六条天皇 在位2年7月28日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
80代
六条天皇
高倉殿 1165/8/3 1165/10/4 63日 践祚
六条烏丸殿 1165/10/4 1166/6/21 8月18日
五条殿 1166/6/21 1166/11/15 4月26日
内裏 1166/11/15 1167/2/13 91日
五条殿 1167/2/13 1167/6/8 3月27日
土御門殿 1167/6/8 1167/7/24 47日
内裏 1167/7/24 1167/10/11 80日
五条殿 1167/10/11 1167/11/10 31日
五条殿炎上 1067/11/10   居所焼亡
高倉殿 1167/11/10 1167/11/13 4日
内裏 1167/11/13 1168/3/10 3月27日
高倉殿 1168/3/10 1168/3/30 21日 退位
高倉天皇 在位11年11月13日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
81代
高倉天皇
閑院 1168/3/30 1168/4/20 22日 践祚
内裏 1168/4/20 1168/5/17 28日
高倉天皇は在位11年11月13日の間に40回皇居を移動。
閑院 1168/5/17 1168/7/19 64日
内裏 1168/7/19 1168/8/20 33日
閑院 1168/8/20 1168/11/15 88日
内裏 1168/11/15 1168/11/28 14日
閑院 1168/11/28 1168/12/13 16日
内裏 1168/12/13 1169/2/11 61日
閑院 1169/2/11 1169/6/15 4月5日
内裏 1169/6/15 1169/7/19 35日
閑院 1169/7/19 1169/12/2 4月14日
内裏 1069/12/2 1170/2/10 71日
閑院 1170/2/10 1170/7/4 4月25日
内裏 1170/7/4 1170/8/3 31日
閑院 1170/8/3 1170/11/7 97日
内裏 1170/11/7 1171/3/6 4月
閑院 1171/3/6 1171/12/12 9月7日
内裏 1171/12/12 1172/3/1 81日
閑院 1172/3/1 1172/6/6 98日
内裏 1172/6/6 1172/7/9 34日
閑院 1172/7/9 1172/9/9 63日
三条室町殿 1172/9/9 1172/11/28 81日
内裏 1172/11/28 1172/12/14 17日
閑院 1172/12/14 1174/8/21 1年8月8日
内裏 1174/8/21 1174/9/8 19日
閑院 1174/9/8 1174/12/4 88日
内裏 1174/12/4 1174/12/25 22日
閑院 1174/12/25 1176/3/23 1年2月28日
三条室町殿 1176/3/23 1176/3/30 8日
閑院 1176/3/30 1177/7/9 1年3月10日
八条殿 1177/7/9 1177/7/23 15日
閑院 1177/7/23 1177/9/8 48日
八条殿 1177/9/8 1177/10/19 42日
土御門殿 1177/10/19 1177/10/31 13日
八条殿 1177/10/31 1177/12/3 34日
閑院 1177/12/3 1178/7/27 7月25日
三条室町殿 1178/7/27 1178/8/12 17日
閑院 1178/8/12 1180/2/7 1年5月27日
五条東洞院殿 1180/2/7 1180/3/13 36日 退位
安徳天皇 在位年5月1月8日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
82代
安徳天皇

 

五条東洞院殿 1180/3/18 1180/5/5 49日 1歳2月
践祚
内裏 1180/5/5 1180/6/16 43日
八条坊門櫛笥殿 1180/6/16 1180/6/27 12日
摂津福原平頼盛第 1180/6/27 1180/6/28 2日 1歳7月
摂津平清盛別荘 1180/6/28 1180/11/29 5月2日  平清盛に
連れられて
摂津福原第 1180/11/29 1180/12/11 13日
五条東洞院殿 1180/12/14 1181/3/4 81日 2歳1月
八条殿 1181/3/4 1181/5/24 82日
閑院 1181/5/24 1182/10/30 1年5月7日
内裏 1182/10/30 1182/12/28 60日 1183年7月
木曽義仲入洛
閑院 1182/12/28 1183/8/13 7月17日
法住寺殿 1183/8/13 1183/8/14 2日 4歳9月
摂津福原 1183/8/14 1183/9/5 23日
筑前大宰府 1183/9/5   63日 4歳10月
箱崎・山鹿城・豊前柳浦・宇佐八幡宮
1183年9月8日 次代後鳥羽天皇践祚
讃岐屋島 1183/11/6 1184/3/10 4月5日 5歳
摂津福原 1184/3/10 1184/3/20 11日
讃岐屋島 1184/3/20 1185/3/22 3日
海上を船で西へ 1185/3/22 1185/4/25 15日 6歳4月
長門壇ノ浦 1185/4/25 三種の神器と共に入水  6歳5月崩御

安徳天皇は歴史上3番目という1歳2ヶ月で践祚。

外祖父平清盛が補佐といいながら政治を取り仕切った。

結局最後まで平氏一族に翻弄され、6歳壇ノ浦で崩御。

この記事のテーマでもある京都・都から離れ西へ西へと落ち延び、それでも「都」が海の底にあると、二位尼は天皇を抱き身を投げ入れた。

表の中ゴチックにした皇居は都以外の地。

安徳天皇も遥かなる京都・故郷を体現した一人だ。

平家物語によるその時の様子以下が無常を感じ、悲しい。

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壇ノ浦
平家物語の一節最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた母方祖母・二位尼(平時子)に抱き上げられた安徳天皇は、「尼ぜ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」と問いかける。
 二位尼は涙をおさえて「君は前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。
この世は辛く厭わしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」と言い聞かせる。
 天皇は小さな手を合わせ、二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた。

この時に伝わる三種の神器も水没した。

三種の神器天皇の践祚に際し、三種の神器、八尺瓊勾玉ならびに鏡と剣の形代を所持することが皇室の正統たる帝の証しであるとして、 皇位継承と同時に継承される。
皇居の神剣(草薙剣の形代)と勾玉は、源平の壇ノ浦の戦いで二位の尼が安徳天皇を抱き腰に神器の剣を差し勾玉の箱を奉じて入水し一緒に水没した。
草薙剣はそのため現存しない。
しかし、この剣は草薙剣の形代(神道でいう御魂遷しの儀式を経て神器としていた物)であり、後に改めて別の形代の剣が伊勢神宮の神庫から選び出され同様の措置が採られた。
これが現在の皇居の剣である。
福岡県北九州市小倉南区に鎮座する蒲生八幡神社には、高浜浦の岩松という者が海に没した鏡・勾玉を拾い上げたという記録が残る。鏡も玉も空気が密閉された箱に入っていたため浮かびあがったのであって、剣はついに発見されなかった。

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探索の流儀

REMEMBER3.11

岩波書店からの返事

岩波文庫がぼろぼろになった

何回目かの再読をしようと岩波文庫を探し出し読もうとしたら、表紙と目次頁から何ページかが外れ、ページも茶色くなっていた。

奥付を見ると50年ほど前の本だ。酸性紙でもうダメなんだなと思いつつ下記のように投稿した。

 

「くだらない質問ですがご教示ください。
特に文庫について、強度はどの程度か基準みたいなものはありませんか?
何回のページめくりに堪えるのかしら・・
1968年の本ですが10回程度しか読んでいない文庫がぼろぼろになりました。もちろん買い換えました。」

 

そうしたら、担当者から丁寧な返事以下が届いた。

このたびはご連絡誠にありがとうございます。
さて、1960年代刊行の文庫がボロボロになったとのこと。大変に申しわけなく存じます。

これは、端的に申し上げると、当時用いていた紙の性質の問題です。
ページの捲りの回数で紙の繊維が少しずつほぐれて弱くなるという事は当然考えられますが、それと60年代の本がボロボロになることとは関係はありません。
戦中戦後の紙不足の時代を経て、戦後の経済成長の中で、紙は非常に需要が大きく、文字通り大量生産・大量消費されました。
 製紙技術も工業化が進み大量の供給が可能になりました。
この製造工程では、木のチップから紙パルプを製造する過程や紙の強度を上げるために加える糊など、多くの化学薬品を用いております。
 ただ、この際用いる薬品の成分が基本的に酸性ないしは酸化しやすい物でした。
そのため、当時豪華本など特に厳選された紙を用いた本でない限り、たいていの本は酸化しやすい紙(酸性紙)を用いておりました。
酸性紙は、時間とともに空気に反応して酸化(穏やかな燃焼)が進みます。
仰せのように、酸化して焦げた様な状態(茶褐色になる)になっていきます。
また、繊維を固定する糊分も酸化して硬化するので、甚だしくは卵の殻のようにボロボロと崩れてしまいます。
この問題は、戦後~高度成長期に大量に販売された本が、時間を経て次々と経年劣化してきた70年代末から80年代に大変な問題となり、以降、可能な限り酸性紙ではなく中性紙を用いるという方向になっていきました。
 したがって、近年の本は以前に比べると経年劣化しにくくなっているという感覚はご実感いただけるかと存じます。
とは申せ、経費や技術の限界で、手頃の価格で紙を完全に中性にすることは難しく、また、製本に用いる接着剤などが紙に与える影響もあり、ペーパーバック(文庫・新書など)や一般的な単行本は大なり小なり経年劣化は避けられません。
手脂をつけない、日光に当てない、極端な乾燥・湿潤を避ける、風通しの良い場所に保管するなど、より長期に劣化を避ける心得はありますが、本をお楽しみいただくにはあまりに手間のかかることなので、近年の本なら60年代までの本のような激しい劣化はしませんので、普通にお扱いただいて大丈夫かと存じます。


 長い説明になり失礼いたしました。ご参考になれば誠に幸甚に存じます。 今後とも岩波書店をよろしくお願い申し上げます。

なんともこころ温まる文章だ。

連絡は苦情のつもりではなかった。

「通読10回でぼろぼろ、そんなもんです」という返事だろうと考えていたし、今の風潮ならそれもあり得ただろう。

この担当者あるいは岩波書店は今の風潮ではなかった。

いわば(昔のように)まっとうに考えれば、連絡に対し誠実に向き合うと、その原因を考え、次に対策を考える。

そしてこの人が何を求めているのかを理解し、それに沿った返事を心がける。

このような丁寧なやり取りがなくなったように感じる。

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「お世話になります。○○資料館専門官の○○でございます。  ご質問の件に関する記事は,当館所蔵資料には見当たりませんでした。以上、要件のみで失礼いたします」

殆どの返信はこのような事務的冷徹さの文言だ。

時代の変化と共に時もますます貴重となり、各人の絡み合いも希薄になってきた。

この流れなら多くの個人が、他人との関係で「この人とのやりとりはなるべく節約志向で」と考えていくことが強くなって行くようだ。

このような時間の節約は気持ちの節約でもある。

 

 

「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋

REMEMBER3.11

歴代天皇陵 遥かなる京都4

禁裏御料

天皇(朝廷)の私的経済の収入源は皇室領という。

内裏と大内裏内裏とは、天皇が住み、儀式や執務などを行う宮殿のことで、禁中・禁裏・御所などともいう。
平安宮内裏は延暦年間(782~806)に造営された。内裏の周囲には朝堂院(ちょうどういん)・豊楽院(ぶらくいん)や二官八省をはじめとした官庁が並び、諸官庁のまわりは大垣(築地)で囲まれていた。その囲まれた区域を大内裏あるいは平安宮と呼ぶ。

天皇行幸から見える京都の町域

天皇は江戸時代のころは、奈良戦国時代とは異なり、天皇が御所の外に出ることはほとんどなく、庶民の目に触れることもなかった。

したがって庶民にとって天皇は全く意識の中から消えていた。

そこで実際の天皇の行幸を調べようと、続群書類従完成会「皇居行幸年表」という資料にあたった。

これに記載されているのは桓武天皇から後醍醐天皇まで。時代は南北朝までになる。

これを読み解くと、京都朱雀大路を中心とした平安宮が廃れ、徐々に左京地区へと移ってゆく様子がわかる。

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これには禁裏から里内裏や他への天皇行幸が記載されている。

この資料は大変詳細に日別の行幸が記録が掲載されており、平安宮内裏はこの期間に15回炎上している。

内裏以外の里内裏でも20数回燃えている。

一説によると、もちろん対立する勢力による放火もあるが、灯明が使えるようになり、夜の行事が増えたことで火の不始末から火災になったこともあったという。

中にはこの書籍の下になる資料(続日本紀、日本後紀、続日本後紀、日本文徳天皇実録、日本三大実録、日本紀略等)で「放火」と断定されているものもある。

この記録から里内裏を整理すると村上天皇から後醍醐天皇までの皇居の変遷が確認できる。

 

遷幸について注意しなければいけないのはこの資料では「行幸」という意味は、天皇の在所が変わった場合の「行幸」という解釈で、現代一般に思う「(地方)行幸」という場合の意味も含まれるが、皇居=住まいが変わったという場合にも「行幸」となっている。日本史の定義では天皇の住まいが変わった場合を「遷幸せんこう」というらしい。
そこでここでは皇居=住まいが変わったという場合の遷幸のみを記録した。

 

村上天皇から一条天皇まで

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セルは皇居滞在開始から終了期間 

左右で日付が同じものは移動した日

備考欄「炎上」と「新造」の間の数字は建築に要した年月

統一して遷移が見やすいように日付は西暦にした。

村上天皇・冷泉天皇946年-969年
天皇 皇居 備考
平安宮内 里内裏
63代
村上天皇
内裏
946/5/23
-
960/10/16
職曹司   践祚
960/10/16
-
960/11/25
冷泉院 内裏炎上
1回目
  960/11/25
-
962/1/28
1年3月
962/1/28
-
967/7/5
  新造内裏
    崩御
64代
冷泉天皇
967/7/5
-
969/9/27
    践祚
    退位
円融天皇・花山天皇969年-986年
天皇 皇居 備考
平安宮内 里内裏
65代
円融天皇
内裏
969/9/27
-
976/6/11
  桂芳坊   践祚
職曹司 976/6/11
-
976/6/30
  内裏
炎上
2回目
  976/6/30
-
976/8/24
  堀河院   1年
2月
内裏   976/8/24
-
977/8/16
 
977/8/16
-
977/10/30
  朝堂院   新造内裏
  977/10/30
-
979/1/23
 
979/1/23
-
980/12/31
職曹司    
980/12/31
-
981/8/9
  四条院 内裏
炎上
3回目
    981/8/9
-
981/10/13
11月
内裏 981/10/13
-
981/11/26
 
981/11/26
-
982/12/5
  新造内裏
982/12/5
-
983/1/11
  堀河院   内裏
炎上
4回目
    983/1/11
-
984/9/24
  1年
9月
内裏   退位

66代

花山天皇

984/9/24
-
986/8/1
  践祚
新造
  退位

(以下見やすいように書式変更 2021年7月)

さらに居住期間欄を設けました。

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一条天皇 在位24年11月15日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
67代
一条天皇
内裏 986/8/1 999/7/29 12年11月29日

新造まで

3年10月

内裏炎上 999/7/29   内裏焼亡
5回目
一条院 999/7/31 1000/11/9 1年3月12日 2年5月
新造内裏 1000/11/9 1001/12/5 1年27日
内裏炎上 1001/12/5   内裏焼亡
6回目
内裏職曹司 1001/12/5 1001/12/9 5日 新造まで
1年11月
一条院 1001/12/9 1003/11/4 1年10月27日
新造内裏 1003/11/4 1003/12/13 40日
内裏中和院 1003/12/13 1004/1/6 25日
内裏職曹司 1004/1/6 1004/2/7 33日
内裏 1004/2/7 1005/12/18 1年10月12日
内裏炎上 1005/12/18   内裏焼亡
7回目
内裏太政官朝所 1005/12/18 1005/12/30 13日  
東三条殿 1005/12/30 1006/4/4 3月6日
一条院 1006/4/4 1009/10/25 3年6月22日
一条院炎上 1009/10/25  
内裏織部司 1009/10/25 1009/11/8 15日
枇杷殿 1009/11/8 1010/1/5 59日
一条院 1010/1/5 1011/7/16 1年6月12日

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「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋

REMEMBER3.11

時代を切り開いた巨人

知識の巨人

立花隆が亡くなった。

田名角栄研究で一躍注目を浴びた。

政治から科学技術まで知識の巨人だった。

文芸春秋の記者だったが、大学の哲学科に入り直したという(変わった?)経歴の持ち主だ。

若い時に思った、俊英という言葉はこの人のためにある、なんてことは畏れ多いことと後に思った。

知識の塊のような人で、私は特にその法律面での下記のような解釈に痛く感動を覚えた。

法律問題というのは、数学や物理の問題のように答えが必ずしも一義的に出るわけではない。
ひとつの論点について三つか四つの議論が同時になりたちうる場合すらある。
どの立場をよしとするかは見解の問題、選択の問題である。
 それぞれの論理を追っていけば、A説もB説もC説もそれなりの論理的成立基盤を持つということはいくらもありうる。
 従って法律のプロが議論していて相手の見解を「誤り」ときめつけるときは、理論的にはそういう主張が成り立ちうるとしても自分はその主張にくみしないという意味の主観的「誤り」を意味している。
一方こうした主観的「誤り」に対して、1プラス1を5としてしまうような客観的(=絶対的)「誤り」はプロ同士の議論においては極めて少ない 

科学技術

そして興味は宇宙に及ぶ。

「宇宙からの帰還」は宇宙に飛び立った飛行士たちから聞いた宇宙の神秘が描かれる。

その本の帯に下記のようなことが書かれている。

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宇宙飛行士の本音私がこれまでにしてきたさまざまな仕事の中で、この宇宙飛行士たちとのインタビュー ほど知的に刺激的であった仕事は数少ない。(略)
本書の読者は、宇宙飛行士たちが長く胸に秘めておいた本音にメッセージの世界最初の受け取り手となる。

知的好奇心

彼の興味の一端をしる本は「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」という長い名前の本

この目次は以下

ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術目次
  • 宇宙樹、奇術、日本殲滅
  • オウム、ニュートン、世紀末芸術
  • 官僚腐敗、聖骸布、アラキ
  • 選民思想、穴倉酒場の狂気、道教文化
  • ハッカー、夢二、熊野信仰
  • 尊厳死、澁澤龍彦、江戸学百科全書
  • 複雑系、海の日本史、AV女優
  • ユナボマー、深海生物、男根信仰
  • 大絶滅、国家政策の闇、聖と狂の間
  • タキトゥス、役行者、虫の味
  • ソニーを食った男、ドラゴン伝説、秀吉
  • 毛沢東、宮崎勤、自殺日記
  • 女盗賊、遊牧民の神話、巣鴨日記
  • ロシア精神史、シュリーマン、スカトロ芸術
  • マクナマラ、アトランティス、娼婦の歴史
  • 立原道造、ピエール・ベール
  • 失敗学、見沢知廉、トンパ文字
  • 日本人の愚行を知る三冊
  • 奪われし未来、南京大虐殺、樋口一葉
  • 脳科学、ネアンデルタール人、安倍晴明
  • 徳川慶喜と幕末、障害者プロレス
  • 死霊、メス化する自然
  • デリバティブ、絶対音感、ブラックホール
  • 長江文明、化学物質過敏症、公安警察の闇
  • 太陽、和田移植、イロコイ族の知恵
  • 死の病原体、ゴダール、モスクワのソクラテス
  • 筑摩の倒産と再起、パン棒人生、中国怪奇譚
  • 宇宙体験、幻の航研機、子宮を食い破る異物
  • グレンの初飛行、冬虫夏草、環境毒性
  • 戦争指導班、プリンピキア、日本の理科教育
  • 二十七年前の警告、外典偽典、インドのイエス
  • ノストラダムス、アンチキリスト、ヒステリー
  • アインシュタイン、人工脳、捏造される記憶
  • 十八年の労作、原始キリスト教、M・モンロー
  • 日清戦争、Drキリコ、怪鳥ロック
  • 諜報活動、ビッグバン、幻肢症
  • 現代中国の裏面、戦艦大和、奇形
  • 日本書記、逆工場、ディオドロス
  • 先史時代、白川静、ワーグナー
  • 幕末のスパイ、ゲノム生物学、聖遺物
  • 後産、ウィトゲンシュタイン、ナスカの地上絵
  • 学力崩壊、ウパニシャッド、ニーチェ
  • 素粒子、読書史、CIAの新事実
  • 機密会話録、スリコミ、出版異常事態
  • ボノボ、湾岸戦争、赤色テロル
  • 野心的宇宙論とスコラ的議論
  • 高熱生物圏、瞬間的判断、バラード少々
  • 旧石器捏造事件、カエル、債務
  • 下層社会、出版文化、女神のさまざま

なんとも好奇心の塊みたいだ。

反知性とのたたかい

ぼくは人前で喋るということはめったにやらないんです。

(しかし)ここカルチャーセンターの初山さんが昔のぼくの担当編集者で、ぼくが「田中角栄研究」を書いた時初山さんは朝日ジャーナルのデスクだった。

それから朝日ジャーナルで一緒に仕事をするようになり、初山さんのつぎに担当になったのが、筑紫哲也さん。

結局田中の金脈問題やロッキード裁判を中心に10年以上朝日ジャーナルで仕事をした。

ロッキード裁判は何年も何年もつづいて、世間の関心が急速に失われていった。その中で朝日ジャーナルだけがとことんつきあって最後までページを提供してくれた。

悲しいかな現在も反知性とのたたかいは続く。

特に政権の政治家・忖度官僚に捧ぐ法律の世界では玉虫色は通らない。
「総理大臣である田中角栄が個人的に行った職務行為」であれば問題なく田中角栄の職務権限は成立する。
 賄賂罪の規定は公務員の「職務の公正」と「職務の公正に対する国民の信頼感」を保つためにある。
 賄賂を貰っても、職務は公正にやりましたという場合、前者の「職務の公正」は保たれても、後者の「公正に対する信頼感」は破壊される。ゆえに職務権限の行使に実効がともなっていなくても処罰されるのである。「論駁」より

 

「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋

REMEMBER3.11

歴代天皇陵 遥かなる京都3

天皇陵所在地

継体天皇以降近世の天皇陵を表にした。 

繼體天皇以降近世までの歴代天皇陵
天皇名 生年 即位 退位 崩御 年齢 陵名 所在地
26 繼體(けいたい)天皇       531?   三嶋藍野陵 大阪府茨木市
27 安閑(あんかん)天皇       536?   古市高屋丘陵 大阪府羽曳野市
28 宣化(せんか)天皇       539?   身狭桃花鳥坂上陵 奈良県橿原市
29 欽明(きんめい)天皇       571?   桧隈坂合陵 奈良県高市
30 敏達(びだつ)天皇       585?   河内磯長中尾陵 大阪府南河内郡太子町
31 用明(ようめい)天皇       587?   河内磯長原陵 大阪府南河内郡太子町
32 崇峻(すしゅん)天皇       592?   倉梯岡陵 奈良県桜井市
33 推古(すいこ)天皇       628   磯長山田陵 大阪府南河内郡太子町
34 舒明(じょめい)天皇       641   押坂内陵 奈良県桜井市
35 皇極(こうぎょく)天皇 重祚            
36 孝德(こうとく)天皇       654   大阪磯長陵 大阪府南河内郡太子町
37 齊明(さいめい)天皇 重祚     661   越智崗上陵 奈良県高市
38 天智(てんぢ)天皇       672   山科陵 京都府京都市
39 弘文(こうぶん)天皇       672   長等山前陵 滋賀県大津市
40 天武(てんむ)天皇       686   桧隈大内陵 奈良県高市
41 持統(じとう)天皇              
42 文武(もんむ)天皇       707   桧隈安古岡上陵 奈良県高市
43 元明(げんめい)天皇       721   奈保山東陵 奈良県奈良市
44 元正(げんしょう)天皇       748   奈保山西陵 奈良県奈良市
45 聖武(しょうむ)天皇       756   佐保山南陵 奈良県奈良市
46 孝謙(こうけん)天皇 重祚            
47 淳仁(じゅんにん)天皇       765   淡路陵 兵庫県南あわじ市
48 稱德(しょうとく)天皇 重祚     770   高野陵 奈良県奈良市
49 光仁(こうにん)天皇       782   田原東陵 奈良県奈良市
50 桓武(かんむ)天皇 737 781   806 69 柏原陵 京都府京都市伏見区
天皇名 生年 即位 退位 崩御 年齢 陵名 所在地
51 平城(へいぜい)天皇 774 806 809 824 50 楊梅陵 奈良県奈良市佐紀町
52 嵯峨(さが)天皇 786 809 823 842 56 嵯峨山上陵 京都府京都市右京区
53 淳和(じゅんな)天皇 786 823 833 840 54 大原野西嶺上陵 京都府京都市西京区
54 仁明(にんみょう)天皇 810 833   850 40 深草陵 京都府京都市伏見区
55 文德(もんとく)天皇 827 850   858 31 田邑陵 京都府京都市右京区
56 淸和(せいわ)天皇 850 858 876 881 31 水尾山陵 京都府京都市右京区
57 陽成(ようぜい)天皇 869 876 884 949 80 神楽岡東陵 京都府京都市左京区
58 光孝(こうこう)天皇 830 884   887 57 後田邑陵 京都府京都市右京区
59 宇多(うだ)天皇 867 887 897 931 64 大内山陵 京都府京都市右京区
60 醍醐(だいご)天皇 885 897   930 45 後山科陵 京都府京都市伏見区
61 朱雀(すざく)天皇 923 930 946 952 29 醍醐陵 京都府京都市伏見区
62 村上(むらかみ)天皇 926 946   967 41 村上陵 京都府京都市右京区
63 冷泉(れいぜい)天皇 950 967 969 1011 61 桜本陵 京都府京都市左京区
64 圓融(えんゆう)天皇 959 969 984 991 32 後村上陵 京都府京都市右京区
65 花山(かざん)天皇 968 984 986 1008 40 紙屋川上陵 京都府京都市北区
66 一條(いちじょう)天皇 980 986   1011 31 円融寺北陵 京都府京都市右京区
67 三條(さんじょう)天皇 976 1011 1016 1017 41 北山陵 京都府京都市北区
68 後一條(ごいちじょう)天皇 1008 1016   1036 28 菩提樹院陵 京都府京都市左京区
69 後朱雀(ごすざく)天皇 1009 1036   1045 36 円乗寺陵 京都府京都市右京区
70 後冷泉(ごれいぜい)天皇 1025 1045   1068 43 円教寺陵 京都府京都市右京区
71 後三條(ごさんじょう)天皇 1034 1068   1073 39 円宗寺陵 京都府京都市右京区
72 白河(しらかわ)天皇 1053 1073 1087 1129 76 成菩提院陵 京都府京都市伏見区
73 堀河(ほりかわ)天皇 1079 1087   1107 28 後円教寺陵 京都府京都市右京区
74 鳥羽(とば)天皇 1103 1107 1123 1156 53 安楽寿院陵 京都府京都市伏見区
75 崇德(すとく)天皇 1119 1123 1142 1164 45 白峯陵 香川県坂出市青海町
天皇名 生年 即位 退位 崩御 年齢 陵名 所在地
76 近衞(このえ)天皇 1139 1142   1155 16 安楽寿院南陵 京都府京都市伏見区
77 後白河(ごしらかわ)天皇 1127 1155 1158 1192 65 法住寺陵 京都府京都市東山区
78 二條(にじょう)天皇 1143 1158 1165 1165 22 香隆寺陵 京都府京都市北区
79 六條(ろくじょう)天皇 1164 1165 1168 1176 12 清閑寺陵 京都府京都市東山区
80 高倉(たかくら)天皇 1161 1168 1180 1181 20 後清閑寺陵 京都府京都市東山区
81 安德(あんとく)天皇 1178 1180 1185 1185 7 阿弥陀寺陵 山口県下関市
82 後鳥羽(ごとば)天皇 1180 1183 1198 1239 59 大原陵 京都府京都市左京区
83 土御門(つちみかど)天皇 1195 1198 1210 1231 36 金原陵 京都府長岡京市
84 順德(じゅんとく)天皇 1197 1210 1221 1242 45 大原陵 京都府京都市左京区
85 仲恭(ちゅうきょう)天皇 1218 1221 1221 1234 16 九条陵 京都府京都市伏見区
86 後堀河(ごほりかわ)天皇 1212 1221 1232 1234 22 観音寺陵 京都府京都市東山区
87 四條(しじょう)天皇 1231 1232 1242 1242 11 月輪陵 京都府京都市東山区
88 後嵯峨(ごさが)天皇 1220 1242 1246 1272 52 嵯峨南陵 京都府京都市右京区
89 後深草(ごふかくさ)天皇 1243 1246 1260 1304 61 深草北陵 京都府京都市伏見区
90 龜山(かめやま)天皇 1249 1260 1274 1305 56 亀山陵 京都府京都市右京区
91 後宇多(ごうだ)天皇 1267 1274 1287 1324 57 蓮華峯寺陵 京都府京都市右京区
92 伏見(ふしみ)天皇 1265 1287 1298 1317 52 深草北陵 京都府京都市伏見区
93 後伏見(ごふしみ)天皇 1288 1298 1301 1336 48
94 後二條(ごにじょう)天皇 1285 1301 1308 1308 23 北白河陵 京都府京都市左京区
95 花園(はなぞの)天皇 1297 1308 1318 1348 51 十楽院上陵 京都府京都市東山区
96 後醍醐(ごだいご)天皇 1288 1318   1339 51 塔尾陵 奈良県吉野郡吉野町
97 後村上(ごむらかみ)天皇 1328 1339   1368 40 桧尾陵 大阪府河内長野市
北朝 光厳天皇 1313 1331 1333 1364 51 山国陵 (常照皇寺内)
光明天皇 1322 1336 1348 1380 58 大光明寺陵 京都市伏見区桃山町
崇光天皇 1334 1348 1351 1398 64
天皇名 生年 即位 退位 崩御 年齢 陵名 所在地
98 長慶(ちょうけい)天皇 1343 1368 1383 1394 51 嵯峨東陵 京都府京都市右京区
99 後龜山(ごかめやま)天皇 1350 1383 1392 1424 74 嵯峨小倉陵 京都府京都市右京区
100 後小松(ごこまつ)天皇 1377 1382 1392 1433 56 深草北陵 京都府京都市伏見区
101 稱光(しょうこう)天皇 1401 1412   1428 27
102 後花園(ごはなぞの)天皇 1419 1428 1464 1471 52 後山国陵 京都府京都市右京区
103 後土御門(ごつちみかど)天皇 1442 1464   1500 58 深草北陵 京都府京都市伏見区
104 後柏原(ごかしわばら)天皇 1464 1500   1526 62
105 後奈良(ごなら)天皇 1497 1526   1557 60
106 正親町(おおぎまち)天皇 1517 1557 1586 1593 76
107 後陽成(ごようぜい)天皇 1571 1586 1611 1617 46
108 後水尾(ごみずのお)天皇 1596 1611 1629 1680 84 月輪陵 京都府京都市東山区
109 明正(めいしょう)天皇 1624 1629 1643 1696 72
110 後光明(ごこうみょう)天皇 1633 1643   1654 21
111 後西(ごさい)天皇 1638 1655 1663 1685 47
112 靈元(れいげん)天皇 1654 1663 1687 1732 78
113 東山(ひがしやま)天皇 1675 1687 1709 1710 35
114 中御門(なかみかど)天皇 1702 1709 1735 1737 35
115 櫻町(さくらまち)天皇 1720 1735 1747 1750 30
116 桃園(ももぞの)天皇 1741 1747   1762 21
117 後櫻町(ごさくらまち)天皇 1740 1762 1771 1813 73
118 後桃園(ごももぞの)天皇 1758 1771   1779 21
119 光格(こうかく)天皇 1771 1780 1817 1840 69 後月輪陵 京都府京都市東山区
120 仁孝(にんこう)天皇 1800 1817   1846 46
121 孝明(こうめい)天皇 1831 1846   1867 36 後月輪東山陵 京都府京都市東山区

中世の朝廷を調べると武家政治となった鎌倉・室町以降の朝廷の財政は思った以上に困窮であった。

皇室と公家は戦国時代に所領を実効支配する力を失ったため、収入が途絶えた財政は窮乏することになった。

織田信長・豊臣秀吉は皇室に所領の一部を献上し、漸く朝廷として7千石分の禁裏御料を確保した。

また1601年に徳川家康は改めて1万石を禁裏御料として確定させ、以後江戸幕府は1623年と1705年にそれぞれ1万石ずつ所領を献上して以後3万石の禁裏御料となった。

つまり武家幕府により朝廷の財政は支えられていたことになる。

3万石というと同様の大名としては以下となる。

 

各藩石高1864年の石高
国名 藩名 石高
美濃 高須 3万石
出雲 広瀬 3万石
陸奥 磐城平 3万石
陸奥 福島 3万石
上野 安中 3万石
志摩 鳥羽 3万石
下野 烏山 3万石
上総 久留里 3万石
信濃 高島 3万石
美濃 今尾 3万石
下野 壬生 3万石
美濃 岩村 3万石
出羽 上山 3万石
安芸 広島新田 3万石
因幡 鹿奴 3万石
但馬 出石 3万石
伊予 吉田 3万石
陸奥 一関 3万石
肥後 宇土 3万石
越後 村松 3万石
蝦夷 福山 3万石

 

御料

下図は資料 旧高旧領取調帳データベース から作成した、御料(天皇領)の所在した村を地図上に載せた。

資料は江戸時代の最末期、幕府滅亡時点での分類。

村全体ではなくその一部が御料となる。

参考までに同時に天皇陵も記載した。

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現在の京都府山城地方から京都市山科、左京、京北、亀岡、園部位のエリアになる。

江戸時代になるともはや現奈良県内に御料はなかった。

中世朝廷の日常

江戸時代のころは、奈良戦国時代とは異なり、庶民にとって天皇は全く意識の中から消えていた。

天皇が御所の外に出ることはほとんどなく、庶民の目に触れることもなかった。

そうであるなら、多くの市民の脳裡には武家の姿は認められるが、公家やまして天皇のすがたはなかったに違いない。

江戸時代に入り、1651年4月15日(慶安4年2月25日)の後光明天皇による朝覲行幸以後、1863年4月28日(文久3年3月11日)の孝明天皇による上賀茂神社・下鴨神社行幸まで212年間行幸は行われなかった

天皇の「外出」高埜利彦は江戸幕府が社会に広く天皇の存在と権威を直接示すことを拒む朝廷統制策(「江戸幕府による行幸禁止政策」)があったとする。
 これに対して藤田覚は行幸の衰退・廃絶傾向は鎌倉時代後期から一貫して見られる現象であり、なおかつ財政的な問題もあったことから、それが江戸時代における朝廷側の行幸への消極的な姿勢につながっているとする。
また、鎌倉時代後期から行幸の衰退・廃絶について、佐古愛己は財政的な問題に加え、行幸に際して随行した公家たちの対する叙位が行われたことで、随員に選ばれず他者に超越される(位階を越される)ことになった公家の反発を招いて公家社会内部でのトラブルが深刻化したことにより、徳政の目標として「公平な人事」を求める声が高まり、叙位発生の原因となる行幸そのものが抑制された可能性を指摘する。   ウィキペディアより
  • 藤田覚『近世政治史と天皇』(吉川弘文館、1999年)第6章「天保期の朝廷と幕府-朝覲行幸再興を中心に」
  • 佐古愛己『平安貴族社会の秩序と昇進』(思文閣出版、2012年)補論2「中世公家社会における叙位の一考察」

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REMEMBER3.11