知識の巨人
立花隆が亡くなった。
田名角栄研究で一躍注目を浴びた。
政治から科学技術まで知識の巨人だった。
文芸春秋の記者だったが、大学の哲学科に入り直したという(変わった?)経歴の持ち主だ。
若い時に思った、俊英という言葉はこの人のためにある、なんてことは畏れ多いことと後に思った。
知識の塊のような人で、私は特にその法律面での下記のような解釈に痛く感動を覚えた。
法律問題というのは、数学や物理の問題のように答えが必ずしも一義的に出るわけではない。
ひとつの論点について三つか四つの議論が同時になりたちうる場合すらある。
どの立場をよしとするかは見解の問題、選択の問題である。
それぞれの論理を追っていけば、A説もB説もC説もそれなりの論理的成立基盤を持つということはいくらもありうる。
従って法律のプロが議論していて相手の見解を「誤り」ときめつけるときは、理論的にはそういう主張が成り立ちうるとしても自分はその主張にくみしないという意味の主観的「誤り」を意味している。
一方こうした主観的「誤り」に対して、1プラス1を5としてしまうような客観的(=絶対的)「誤り」はプロ同士の議論においては極めて少ない
科学技術
そして興味は宇宙に及ぶ。
「宇宙からの帰還」は宇宙に飛び立った飛行士たちから聞いた宇宙の神秘が描かれる。
その本の帯に下記のようなことが書かれている。
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知的好奇心
彼の興味の一端をしる本は「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」という長い名前の本
この目次は以下
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なんとも好奇心の塊みたいだ。
反知性とのたたかい
ぼくは人前で喋るということはめったにやらないんです。
(しかし)ここカルチャーセンターの初山さんが昔のぼくの担当編集者で、ぼくが「田中角栄研究」を書いた時初山さんは朝日ジャーナルのデスクだった。
それから朝日ジャーナルで一緒に仕事をするようになり、初山さんのつぎに担当になったのが、筑紫哲也さん。
結局田中の金脈問題やロッキード裁判を中心に10年以上朝日ジャーナルで仕事をした。
ロッキード裁判は何年も何年もつづいて、世間の関心が急速に失われていった。その中で朝日ジャーナルだけがとことんつきあって最後までページを提供してくれた。
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悲しいかな現在も反知性とのたたかいは続く。
「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋
REMEMBER3.11