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日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 66 最長片道切符4

最長片道切符シリーズ第四弾

2004年最長片道切符を23日目から日を追ってみる。

鉄道路線図はいずれも国土数値情報をもとに加工

2004年の最長片道切符

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2004年最長片道切符

中部・近畿の行程

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2004年中部・近畿

第二十三日目 弥富駅8時12分発から周参見駅15時2分着まで 松阪-紀伊勝浦間、紀伊勝浦周参見間は特急乗車

6時間50分

第二十四日目 周参見駅8時11分発から伊賀上野駅17時43分着まで 周参見-和歌山間は特急乗車

9時間32分

第二十五日目 伊賀上野駅8時30分発から米原駅15時25分まで 優等列車乗車なし

6時間55分

第二十六日目 米原駅8時24分発から猪谷駅16時13分着まで 米原-岐阜間、岐阜-下呂間、下呂飛騨小坂、高山-猪谷間は特急乗車

7時間49分

第二十七日目 猪谷駅9時発から敦賀駅15時40分着まで 富山-高岡間、高岡-金沢間、金沢-加賀温泉間、加賀温泉-福井間、福井-敦賀間5本の特急連続乗車

6時間40分

第二十八日目 敦賀駅10時45分発から京都駅14時54分着まで 綾部-京都間は特急乗車

4時間9分

第二十九日目 京都駅9時21分発から餘部駅16時51分着まで 京都-西明石間新幹線乗車、福知山-城崎間特急乗車

7時間30分

第三十日目 餘部駅8時39分発から因幡社駅14時37分着まで 

5時間58分

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2004年中国・四国

四国オプションの行程

第三十一日目 因幡社駅8時12分発から高松駅19時28分着まで。四国にも足を伸ばす。

11時間16分

第三十二日目 高松駅8時20分発から土佐北川駅19時21分着まで 高松-板野間特急乗車

11時間1分

第三十三日目 土佐北川駅8時41分発から下灘駅19時24分着まで 須崎-窪川間は特急乗車

10時間43分

第三十四日目 下灘駅8時59分発から亀甲駅18時18分着まで 今治伊予西条間、伊予西条-岡山間は特急乗車

9時間19分

最長片道切符に戻る。

第三十五日目 亀甲駅9時26分発から三良坂駅20時2分着まで 優等列車なし

10時間36分

第三十六日目 三良坂駅8時29分発から西出雲駅20時30分着まで 米子-出雲市間は特急乗車 出雲市-西出雲間は一駅だけ

第三十七日目 西出雲駅8時22分発から大畠駅20時38分着まで 三次-広島間は急行乗車

12時間16分

第三十八日目 大畠駅8時32分発から東別府駅22時24分着まで 益田-長門市間、小倉-別府間は特急乗車。いよいよ九州に入る

13時間52分

九州の行程

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2004年九州

第三十九日目 東別府駅8時28分から青井岳駅18時49分まで 佐伯-宮崎間は特急乗車

10時間21分

第四十日目 青井岳駅9時18分発から上熊本駅19時18分着まで 嘉例川鹿児島中央間、新八代-熊本間は特急乗車、鹿児島中央新八代間は新幹線乗車

10時間

第四十一日目 上熊本駅8時14分発から折尾駅16時28分着まで 上熊本-久留米間は特急乗車

8時間14分

第四十二日目 折尾駅8時34分発から諫早駅18時22分着まで 鳥栖-有田間特急乗車

9時間48分

第四十三日目 諫早駅6時47分発から肥前山口駅7時45分着まで 特急乗車

58分 以上で2004年最長片道切符終了

続く

最長片道切符3へ戻る

 

2017/18/19年JRの決算より
  • JR北海道
    2017年3月決算赤字「▲525億7600万円」
    2018年3月決算赤字「▲559億8200万円」
    2019年3月決算赤字「▲520億円」
  • JR四国
    2017年3月決算赤字「▲119億0900万円」
    2018年3月決算赤字「▲123億3300万円」
    2019年3月決算赤字「▲128億6400万円」
  • JR東海
    2017年3月決算利益額「5870億円」
    2018年3月決算利益額「6127億8400万円」
    (2018年3月決算リニア新幹線関連投資額2500億円)
    2019年3月決算利益額「7097億7500万円」
    (2019年3月決算リニア新幹線関連投資額3100億円)

REMEMBER3.11

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 65 最長片道切符3

最長片道切符シリーズ第三弾

2004年関口版最長片道切符を日を追ってみる。

鉄道路線図はいずれも国土数値情報をもとに加工

2004年の最長片道切符

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2004年最長片道切符

これが全ルート。(「最長片道切符1」でコース間違いがあったので修正しました)

ちなみに上図では    の色分けで一日ごとに色を変え、出発駅と到着駅を記載している。  色は番外で四国を回った行程。

北海道の行程

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2004年北海道

第一日目 稚内駅10時58分発から生田原駅19時19分着まで 上川-生田原間特急乗車

所要時間8時間21分

第二日目 生田原駅8時56分発から塘路駅17時56分着まで 優等列車なし

9時間

第三日目 塘路駅9時36分発から美瑛駅18時38分着まで 釧路-新得間特急乗車

9時間2分

第四日目 美瑛駅8時56分発から小樽駅17時8分着まで 旭川岩見沢間特急乗車

8時間12分

第五日目 小樽駅8時07分発から五稜郭駅17時44分着まで 長万部-森間特急乗車

9時間37分

第六日目 五稜郭駅10時12分発から八戸駅18時40分着まで 木古内-八戸間特急乗車

8時間28分

東北の行程

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2004年東北

第七日目 八戸駅8時55分発から上有住駅17時42分着まで 八戸-盛岡間東北新幹線乗車

8時間47分

第八日目 上有住駅8時32分発から横手駅17時34分着まで 特急乗車なし

9時間2分

第九日目 横手駅8時8分発から米沢駅19時16分着まで 大曲-秋田間、酒田-坂町間特急乗車

11時間8分

第十日目 米沢駅8時33分発から気仙沼駅19時54分着まで かみのやま温泉-新庄間特急乗車

11時間21分

放送休み 気仙沼駅17時39分発から南気仙沼駅17時47分へ移動

8分

第十一日目 南気仙沼駅10時3分発から小高駅19時41分着まで 仙台-福島間東北新幹線、岩沼-原ノ町間特急乗車

9時間38分

第十二日目 小高駅9時4分発から新津駅18時56分着まで

9時間52分

関東甲信越の行程

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2004年関東甲信越

第十三日目 新津駅9時発から筒石駅22時40分着まで 長岡-新潟間は上越新幹線乗車

13時間40分

第十四日目 筒石駅8時34分発姨捨駅16時09分着まで 南小谷-松本間は特急乗車

7時間35分

第十五日目 姨捨駅8時50分発黒磯駅17時1分着まで 長野-高崎、高崎-越後湯沢間は新幹線乗車

8時間11分

第十六日目 黒磯駅8時44分発常陸大子15時36分着まで 優等列車乗車なし

6時間52分

第十七日目 常陸大子駅8時10分発から東京駅22時25分着まで 水戸-柏間のみ特急乗車

14時間15分

第十八日目 東京駅8時29分発から桜木町20時13分着まで 大宮-熊谷間は上越新幹線乗車

11時間44分

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2004年東京近郊

第十九日目 桜木町駅8時16分発から四方津駅17時21分着まで 松田-沼津間、富士-甲府間は特急乗車

9時間5分

第二十日目 四方津駅8時38分発から大嵐駅17時32分着まで 上野原-八王子間は特急乗車、新横浜-豊橋間は新幹線乗車

8時間54分

中部へ入る

第二十一日目 大嵐駅6時44分発から土岐市駅18時38分着まで

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2004年中部・近畿

第二十二日目 土岐市駅8時22分発から弥富駅12時30分着まで

4時間8分

最長片道切符4へ進む

最長片道切符2へ戻る

 

2017/18/19年JRの決算より
  • JR北海道
    2017年3月決算赤字「▲525億7600万円」
    2018年3月決算赤字「▲559億8200万円」
    2019年3月決算赤字「▲520億円」
  • JR四国
    2017年3月決算赤字「▲119億0900万円」
    2018年3月決算赤字「▲123億3300万円」
    2019年3月決算赤字「▲128億6400万円」
  • JR東海
    2017年3月決算利益額「5870億円」
    2018年3月決算利益額「6127億8400万円」
    (2018年3月決算リニア新幹線関連投資額2500億円)
    2019年3月決算利益額「7097億7500万円」
    (2019年3月決算リニア新幹線関連投資額3100億円)

REMEMBER3.11

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 64 最長片道切符2

宮脇俊三氏による「最長片道切符の旅」。 1978年10月13日から12月20日までの34日間の旅行。その後半18日目から

鉄道路線・河川図はいずれも国土数値情報をもとに加工

中部の行程続き

第十八日目 小出駅5時36分発から十日町駅20時31分着まで

只見線を通過。「只見川はダムが連続しているので、川というよりは青緑色に淀んだダム湖の数珠つなぎになっている」

昔習った「日本版TVA」をおもいだすなあ。

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只見線・只見川ダム群

会津若松から新津まで急行乗車。

所要時間14時間55分

第十九日目 十日町駅6時21分発から津20時21分駅まで 直江津糸魚川間は特急乗車 糸魚川-松本は急行乗車 松本から名古屋は特急乗車

14時間

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1978年最長片道切符・中部2

近畿の行程

第二十日目 津駅8時20分発から京橋駅(時間不明)まで 多気駅から新宮駅間は急行、新宮駅和歌山駅間は特急、和歌山駅奈良駅間は急行にそれぞれ乗車。

 

第二十一日目 京橋駅6時42分発から高山駅18時05分着まで。柘植駅からオーバーラン山科駅ではなく京都駅まで急行乗車。京都駅からこれもオーバーラン近江塩津駅ではなく敦賀駅まで特急乗車。敦賀駅から米原駅まで特急乗車。岐阜駅から高山駅まで急行乗車。

11時間23分

第二十二日目 高山駅6時04分発から敦賀駅10時34分(所用で通過・米原駅)まで 富山駅から敦賀駅(所用で通過、米原駅まで)は特急乗車

4時間30分

第二十三日目 敦賀駅11時22分(通過)から京都駅18時31分着まで 米原駅から豊岡駅までと豊岡駅から京都駅間は急行乗車

7時間09分

第二十四日目 京都駅7時42分発から倉吉駅着18時23分まで 

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1978年最長片道切符・関西近辺

京都駅から西明石駅までは新幹線特急こだま乗車 再度大阪駅に戻り、大阪駅加古川駅は急行乗車。

「時刻表には新幹線こだま西明石駅の発車時刻は8時35分とのみあるが、こだまの新明石駅到着はそれよりも数分早い。新明石駅でこだまは後続のひかりに抜かれるダイヤのため4分停車するから推理できる」

西明石駅発8時37分の東海道線線上り快速に乗車し、大阪駅まで。そして大阪駅発9時50分の急行「だいせん1号」に乗車。

この結果大阪駅-尼崎駅間を往復することになるが、旅客営業取扱基準規程で指定された区間については、同区間のキロ数は含めないで運賃計算をします(定期券は除きます)。ただし、折り返し区間内では途中下車はできません、とあるので乗車OKとなる。

(JR・国鉄時代ともに同じ)

宿は倉吉駅から一つ手前の松崎駅まで戻った。

10時間41分

中国の行程

1978年最長片道切符・中国2

第二十五日目 昨夜の宿近くの駅「松崎駅」6時14分発から江津駅18時10分着まで。この列車は福知山駅発6時14分の普通列車である。

11時間56分

この時代は福知山発浜田行きという普通列車があったらしい。

1976年2月の時刻表で調べると、

福知山駅6時12分発、浜田駅19時42分着とある。距離384.8km13時間30分、これは現在の長距離普通列車リスト 1位 308.4km8時間19分 より大幅に長距離・長時間だ。

第二十六日目 江津駅6時24分発から岡山駅22時17分着まで

15時間53分

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1978年最長片道切符・四国

四国から再び中国の行程

第二十七日目 岡山駅6時7分発から北宇和島駅(不明・乗り越しで宇和島駅18時46分着)まで

宇野-高松間は宇高連絡船 高松駅徳島駅徳島駅阿波池田駅間は急行乗車

12時間39分

第二十八日目 北宇和島駅(不明・宇和島駅7時20分発)から三原駅着15時27分まで(所用で東京へ) 北宇和島駅(宇和島駅から乗車)-松山駅間は特急乗車 堀江-仁方間は仁堀連絡船乗車

8時間07分

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1978年最長片道切符・中国・九州

第二十九日目 三原駅11時7分発から益田駅18時39分着まで 小郡駅から津和野駅間は特急乗車

7時間32分

第三十日目 益田駅7時11分発から城野駅23時22分着まで 益田駅門司駅間は急行乗車

途中上り824列車(門司駅発5時20分福知山駅着23時51分)とすれ違う。

距離595.1km走行時間18時間31分 こちらが当時の長距離普通列車日本一。

小倉で宿泊

16時間11分

九州の行程

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1978年最長片道切符・九州北部

第三十一日目 城野駅(時間不明・小倉駅7時19分)発から佐賀駅21時14分着まで 

13時間55分

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1978年最長片道切符・北九州近辺

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1978年の九州北部付近国鉄路線

この部分についても上国鉄路線1978年と下JR路線を見比べると随分廃線になったところがある。

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現在の九州北部JR路線

第三十二日目 佐賀駅6時49分発から志布志駅20時36分着まで 熊本駅から大分駅までと、大分駅から宮崎駅までは急行乗車。

13時間47分

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1978年最長片道切符・九州

第三十三日目 志布志駅7時23分発から八代駅20時37分着まで

13時間14分。

宮脇氏はこの旅では途中風邪で寝込んだこともあり、最長片道切符の有効期限はこの日12月19日までだった。

八代駅まで着いた。ここで宿泊したいが、21時57分発の出水駅行があり、駅員から規則で下記旅客営業規則の継続上車船の手続きはできないと言われた。

継続乗車船 第155条
 乗車船中に通用期間を経過した当該使用乗車券は、下車船しないでそのまま乗車船する場合に限つて、その券面に表示された着駅までは、第147条の規定にかかわらず、これを使用することができる
この場合、接続駅において設備又は時間の関係上、旅客を一時出場させて、列車等に接続のため待合せをさせるときは、指定した列車等に乗り継ぐ場合に限り、継続乗車船しているものとみなす。

その駅員に「上記規定は、その日の列車のある限り、行けるところまで行ったお客様にしか継続乗車は認められないのです」、と説明され納得した。

第三十四日目 八代駅6時12分発から枕崎駅18時30分着まで。出水から川内間特急利用。ここで最長片道切符は完了した。

12時間18分

最長片道切符3へ進む

最長片道切符1へ戻る

 

2017/18/19年JRの決算より
  • JR北海道
    2017年3月決算赤字「▲525億7600万円」
    2018年3月決算赤字「▲559億8200万円」
    2019年3月決算赤字「▲520億円」
  • JR四国
    2017年3月決算赤字「▲119億0900万円」
    2018年3月決算赤字「▲123億3300万円」
    2019年3月決算赤字「▲128億6400万円」
  • JR東海
    2017年3月決算利益額「5870億円」
    2018年3月決算利益額「6127億8400万円」
    (2018年3月決算リニア新幹線関連投資額2500億円)
    2019年3月決算利益額「7097億7500万円」
    (2019年3月決算リニア新幹線関連投資額3100億円)

REMEMBER3.11

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 63 最長片道切符1

最長片道切符

1961年最初の「旅」から、最長片道切符というものがいろいろ研究されている。

JR(旧国鉄)の路線に限定し、同じ経路を通過しない最も長い距離の切符

当然ながら新駅開設や路線新設・廃止により変化する。その1978年と2004年のものを比較してみよう。

鉄道路線図はいずれも国土数値情報をもとに加工

2004年の最長片道切符

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国土数値情報をもとに加工

まずはNHKで2004年放送された列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜。全走行行程。

稚内を出発し、肥前山口までの走行距離は営業キロ11,158.0km(デスクトップ鉄 氏による)となっている。

上図では    の色分けで一日ごとに色を変え、出発駅と到着駅を記載している。

  色は番外で四国を回った行程。

宮脇俊三最長片道切符の旅

次に有名な宮脇俊三氏による「最長片道切符の旅」。

1978年10月13日から12月20日までの34日間の旅行

(連続した旅行日ではなかった。有効期間は10月13日から68日だったが、最終日の行程は期限切れで別途切符を購入)

こちらは広尾出発枕崎までの13319.4km(連絡船区間201.0km)

 

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国土数値情報をもとに加工

上図については    の色分けで一日ごとに色を変え、出発駅と到着駅を記載している。

  色はオプションの行程。

まず1978年の最長片道切符を地域ごとに見てみる。

 

北海道の行程

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1978年最長片道切符・北海道

初日広尾駅を8時2分に出発し遠軽駅着17時37分。新得から富良野まで特急乗車

旭川から遠軽間は急行乗車 

所要時間9時間35分

二日目遠軽駅発6時14分から池北線を経由根室線厚床駅17時11分着まで。

池田から釧路、厚岸根室間は急行乗車。花咲線はオプションの行程

10時間57分

三日目は(根室駅5時31分発)厚床駅発6時33分から今はない標津線経由釧網線から涌網線で紋別駅着18時47分まで。

12時間14分

四日目紋別駅発5時28分から名寄線を経て南稚内駅17時44分着まで。オプションで深名線美幸線に足を伸ばしている。

音威子府から稚内は急行乗車。

12時間16分

五日目南稚内駅6時14分発から小樽駅着20時13分。途中苫小牧から札幌間は急行乗車

13時間59分

六日目小樽駅5時51分発から青森県好摩(23時10分頃通過)まで。途中洞爺から大沼間は急行乗車。青森-好摩間は特急で通過(所用で東京へ帰った)

17時間19分

東北の行程

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1978年最長片道切符・東北

第七日目好摩(途中下車)から秋田駅着21時17分まで。大館から弘前東能代秋田間は急行乗車。

第八日目秋田駅発6時41分から横手駅着18時55分。秋田-鶴岡、米沢-横手間は特急乗車

12時間14分

第九日目、横手駅発6時30分から気仙沼駅着16時45分、東北横断路線。

当時横手駅6時30分発の普通列車は11両編成だった。今は同じ時間帯の列車は4両となっている。そして盛岡から山田線・釜石線経由花巻までの急行に乗車。

花巻から一ノ関まで特急乗車。

10時間15分

第十日目気仙沼駅発7時10分から水戸駅着18時14分。仙台-福島間は特急乗車

11時間4分

関東の行程

第十一日目 いよいよ関東に入る。水戸駅6時30分発から我孫子駅16時09分途中下車まで

9時間39分

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1978年最長片道切符・関東

白河-小山間は急行乗車

第十二日目 我孫子駅8時14分発から西船橋駅(時間不明)まで 大網から安房鴨川は急行乗車、千倉から西船橋(経由東京帰宅)間は特急乗車。

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1978年最長片道切符・東京近辺

第十三日目 西船橋駅15時04分から吉祥寺駅(時間不明)まで。この区間に尾久問題がある。

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1978年尾久問題
尾久問題尾久問題とは今回のように、西船橋-新松戸-北千住-三河島と進んだ時日暮里駅では赤羽方面に乗り継ぎで降りるべき駅がない、という問題。
したがって著者宮脇氏は一旦上野駅まで行き、折り返し東北線で日暮里-尾久経由赤羽駅まで進んだ。
片道切符では往復ができないから本来なら日暮里-上野往復で切符は無効となるのではないかという疑問。
「旅客営業取扱基準規程」にある尾久に発着する旅客は日暮里を通り越して上野まで行って常磐線に乗ってよいとの解釈を準用し、距離計算上は上野往復とし、乗車券としては「新松戸-日暮里-尾久」経由とした。

第十四日目 吉祥寺駅11時53分から登戸駅(時間不明)まで。

東京近辺では普通列車のダイヤも多く急行・特急に乗車することはなかった。

(この後、著者は風邪をひき10日ほど旅行を中断したので、残り有効期間は27日/68日)

第十五日目 登戸駅8時45分発から八王子駅17時35分着まで。

東京-小田原間は東海道新幹線利用

8時間50分

中部の行程

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1978年最長片道切符・中部1

第十六日目 八王子駅(時間不明・途中高尾駅は6時45分)から飯田駅まで

甲府-富士、豊橋-飯田間は急行乗車

第十七日目 飯田駅5時48分発から小出駅着16時54分まで 飯田-小淵沢間は急行乗車 小諸-高崎間は特急乗車 

11時間6分

この区間にある碓氷峠は下図にあるように国鉄最大の難所といわれ、このときも乗車した特急あさま8号は下り坂であったが前に機関車(碓氷峠専用のEF63)2両を増結し信越碓氷峠を制御しながら越えた。

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信越碓氷峠

(1997年長野新幹線開通にともなって、この信越線軽井沢-横川間は廃止された)

最長片道切符2 へ続く

2017/18/19年JRの決算より
  • JR北海道
    2017年3月決算赤字「▲525億7600万円」
    2018年3月決算赤字「▲559億8200万円」
    2019年3月決算赤字「▲520億円」
  • JR四国
    2017年3月決算赤字「▲119億0900万円」
    2018年3月決算赤字「▲123億3300万円」
    2019年3月決算赤字「▲128億6400万円」
  • JR東海
    2017年3月決算利益額「5870億円」
    2018年3月決算利益額「6127億8400万円」
    (2018年3月決算リニア新幹線関連投資額2500億円)
    2019年3月決算利益額「7097億7500万円」
    (2019年3月決算リニア新幹線関連投資額3100億円)

REMEMBER3.11

雄弁に勝る沈黙があると信じて・・語らぬ世代

「空語を満たす」

あるとき父は着物を着たまま何を思ったか、孫にキャッチボールをしようといった。

父は家にいるときはいつも着物(注1)だった。

着物でのキャッチボールいまから思えば違和感がある。

小さな庭に出て、ソフトボールでキャッチボールをした。そんなに父とキャッチボールをした覚えはないので、孫相手とは言え珍しいことでもあった。

父は英語の通訳だったので、体力派でもなくその年では運動も行ってなかった。

そんなこんなで着物でのキャッチボールになたのだろう。

父は明治39年西暦では1906生まれだった。計算すると18歳になったのは1924年・大正13年になる。

前々年にソビエト政権が成立、前年に関東大震災があった。

1932年、26歳の時に五・一五事件が起こった。このころ大正デモクラシーから戦争へ傾きかけたころだった。

極度の近視で徴兵(注2)は免除された。したがって兵役の経験はなかった。

そんな父の立場を思ってなのかわからないが、家庭で戦争の話をした記憶はない。

でも三島が自決(注3)したときに父は、「彼は右翼なんだね」とふと漏らした。

思想的にはいまでいうリベラルにあたる。

父は法律がらみの仕事だったので日本国憲法にも思いはあったのだろう、私の友人にも「憲一」君がいるが、われわれは憲法の世代である。

父と直接憲法についての話を交わしたことはないが、なぜか昭和ではなく明治の日露戦争についての話を交わした。

先日、内田樹「憲法について」

佐々木央 47NEWS編集部、共同通信編集委員「憲法内矛盾もたらす世襲 本質は血のカリスマ」

いう一文を読んだ。そこからの引用。

「戦中派は二つのことがらについて沈黙していた。

一つは戦争中における彼ら自身の加害経験についての沈黙」

(そしてもう一つが憲法制定過程についての沈黙)

憲法制定は親たち、教師たちの年齢でしたら、リアルタイムで、目の前で起きたことです。1945年から46年にかけて、大人たちは何が起きているか、新聞を読めばだいたいのことは分かったはずです。
おそらく、かなりの人が憲法制定過程に関してさまざまな「裏情報」を聴き知っていた。でも、子どもたちには一切伝えなかった。子どもたちはテキストとしての日本国憲法をポンと与えられていて、どういう過程でこれが制定されたのかに関しては何も教えられなかった」

父も日本国憲法に異存はなかったのだ。

徴兵にいってないので侵略した地での加害経験は置くとして、日本国憲法については語らなかったし強い賛成表現ではないが好ましいていとの意志表現はあった。

小学校五年の時の担任の先生がその頃で35歳ぐらいでした。もちろん戦争経験がある。その先生が大好きだったので、いつもまつわりついていました。
何か時に「先生は戦争行ったことある?」と聞いたら、ちょっと緊張して、「ああ」と先生が答えた。
で、僕がさらに重ねて「先生、人殺したことある?」って聞いたら、先生は顔面蒼白になったことがあった。
聞いてはいけないことを聞いてしまったということは子どもにもわかりました。その時の先生の青ざめた顔色を今でも覚えています。

私は典型的なノンポリ(注4)でもあったが、当時は日の丸など論外で、テレビの「皇室アルバム」でさえ毛嫌いしていた。

中学の先生はいわゆる徴兵帰りだった。中国に派兵され実際に銃をもった。

教師という立場で徴兵され、戦後帰郷し、教師に復帰した。

戦争について語ることはなかったが、眉間に刻まれた深いしわは大変威厳を感じさせた。

このクラスの同窓会は長く続き、先生は数年前に亡くなったが、同窓会がいまも続いている。

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一度花が落ちたパンジーは春になり復活

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「護憲」

いつのころからか、時代の流れが変わり、いつのまにかジミントーすら代わり

自民党は党是として結党時から自主憲法制定を掲げていたようですが 、憲法を改正することが国家的急務であるというような言説がメディアを賑わせたことなんか、小学生から大学生時代に至るまで、僕はまったく記憶にありません。

「党是で改憲を謳っている」と意気軒高にまくしたてる。

安倍晋三が登場してきて「みっともない憲法だ」と言った時にほんとうに驚いたのです。海とか山のような自然物に向かって「みっともない」というような形容はふつうしませんから」

少なくとも国家公務員(注5)たるもの憲法遵守義務(注6)くらい守れよといいたくなる。

ひるがえって前天皇はあきらかに平和主義に徹し護憲を率先しているように思われる。

それこそ「天皇(略)は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」のだ。

天皇が率先垂範するところが某安倍総理=Aは気に入らないのだろう。

しかし天皇はAに気に入られていないことを承知でなお追い込むように退位の決断を下されたのだと思える。

これも言葉にならないが意志の伝達ではないか。

いまの傾きかけた日本をかろうじて支えているのは、意識ある市民と天皇なのではないかとさえ思う。

1975年皇室にとって戦後初めての沖縄訪問は当時皇太子だった前天皇によって行われ、皇太子夫妻によるひめゆりの塔参拝時に、火炎瓶を投げられた。(注7)

この事件によって戦争責任に直面した皇太子・前天皇は、平成を通して憲法を順守することによって「その」答えとした。

その平和主義への無言の意志がどれほど強靭なものかを、少なからぬものが体感するのである。

思い出すと、昭和天皇で印象に残るのは、愛馬「白雪」にまたがる姿と敗戦後、アメリカ大使館を訪問し、マッカーサーと会見したときの写真だ。

それに比して「平成」は戦争のない時代といわれる由縁だ。

しかし「平成」には未曽有(「みぞう」と読みます。某麻生元総理へ)の大災害がいくつか起きた。

天皇はそのたびに被災者の立場に寄り添いながら、憲法25条「最低限度の生活を営む権利を有する」を率先して推進するべく行動を起こした。

ここにも憲法擁護の意志が強く表れている。

天皇制に問題がないわけでもない。

この部分は「憲法内矛盾もたらす世襲 本質は血のカリスマ」から)

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。  
第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
 
第1条が意味するのは、旗や歌ではなく生身の人間を象徴として置くということだ。生身の人間は生まれ、成長し、衰え、やがて死ぬ。
日本国の象徴がいま、どの過程にいて、どのような状況にあるかは、国の問題となる。ここで私事こそが公事になるという逆転が起きる。
 第2条は皇位世襲世襲であるから「誕生」とそれを準備する「結婚」、皇位継承を意味する「死」の重要性はさらに増すことになる(今回は「死去」による皇位継承ではないが、生きながらの退位を認めない皇室典範は維持されている)。
そして、次の天皇になるべき人、次の次に天皇になるべき人たちの「生老病死」もまた社会の関心事となる。
 世襲であるということは、血筋にこそ天皇たる理由があるということだ。事実、天皇の地位は神話に淵源を求め、血統によって根拠付けられてきた。「血のカリスマ」である。そのような特別な血筋を受け継ぐ一族、貴種の動静にも、関心が集まることになる。

沈黙からくる力

世代は熱気を語らねばならないのだろうか、という問題を出されたが解答はまだない。

いくばくかの熱気を語る人もいるようだが、大勢は沈黙している。いや世代としては沈黙している。

しかし中にひとり気を吐く、山本義隆がいる。

神によって選ばれし者、天才は語らねばならない。

世代のフォースが彼をして語らせているのかもしれない。

沈黙の中の雄弁が徒労に終わるのか、なにがしかの結果を生むのかいまは分からない。

神のみぞ知る。

しかし、この「代替わり」の騒ぎ様はなんだ。世を上げて新元号一色となり、沈黙はどこえやら賑やかなことだ。

歴代の首相たちを素に、せっかく抽出した「理性」という「出汁」を間違って捨て、「えこひいき」という味を足したようなちゃらんぽらんな現首相を戴き、狂ったようなこの騒ぎ方はかえって何かの始まり、日本という国の「奈落」の未来がはじまったようにも思えるなあ。

それでも雄弁に勝る沈黙があると信じて・・

 

注1当時の「着物」

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どてら・丹前ともいう

注2兵役法

注3三島事件

注4「ノンポリ」

注5国家公務員

注6 日本国憲法第九十九条:「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」

注7ひめゆりの塔で火炎瓶

 

「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋

REMEMBER3.11

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 62 下灘の夕日を訪ねて 終

おはなはん

伊予大洲といえばやはり「おはなはん」だ。

大洲にはおはなはん通りがある。ここで連続テレビ小説おはなはん」が撮影された。

f:id:greengreengrass:20190422071905j:plainここでも大洲駅から2kmほど歩いた。ただし帰りは挫折。コミュニティーバスに乗った。

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大洲駅からおはなはん通り

これが「おはなはん」のワンカット

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速水謙太郎:高橋幸治 浅尾はな:樫山文枝

当時はおはなはんが始まると、炊事洗濯を止めテレビをつけることから水道使用量が激減するといわれた。

主題歌「おはなはん」を謳っているのは倍賞千恵子。素朴なマンドリン?のメロディだった。

ここを訪れるのは数回目だが、そのロケ地も年々寂れてゆく。忘れられる過程なのだろうか?

 

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こちらは大洲城

そして大洲から下灘へ向かう。

伊予大洲発17時9分。

予約が取れなかった観光列車「伊予灘ものがたり道後編」は伊予大洲発16時30分。

40分ほど前を走っている。この列車がなぜか大幅に遅れていた。

その影響をくらって4926Dも遅れ気味だ。夕日に間に合うか・・

下灘の夕日を目ざして6:4926D

着時刻 発時刻 km
伊予大洲 17:06 17:09 0
五郎 17:13 17:14 3.8
春賀 17:17 17:17 6.1
八多喜 17:20 17:20 7.8
伊予白滝 17:23 17:24 10.2
伊予出石 17:29 17:29 13.6
伊予長浜 17:34 17:35 16.4
喜多灘 17:41 17:42 21.3
17:46 17:47 24.5
下灘 17:50 17:51 27.1
運転日:全日

 

下灘の夕日

4926Dは伊予灘ものがたりに行方を抑えられ、時折停車さえし、気をもませながらそれでも無事5分ほどの遅れで下灘に着いた。

下車してびっくり、下灘駅は人であふれていた。そして大多数は車での訪問だった。

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50人以上はいたと思うが、夕日を眺めながら、思い思い写真を撮っている。

一組のインバウンド(中国語だった)が一人をモデルに交代で写真を撮っている。

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セーラ服らしき装いもいる。大いに違和感があった。

人がいなくなる隙を狙って、シャッターを切る。

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大洲からの4926Dで近くの席に下灘出身という女性が一緒だった。

夕日の撮影スポットを聞いていたのだが今回は季節が異なった。そのポイントは近くの山のふもとで駅全体と夕日が一緒に撮れるということだったが、季節が異なりその場所からは全景が撮れなかった。夕日の沈む位置が変わっていた。

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沈むまで気をもませた夕日だった。

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寅さん19作(1977年公開)の頃、下灘駅は海に面していた。

それで綿六旅館

撮影を終え18時37分の929Dに乗り八多喜に向かった。

下灘の夕日を目ざして7:929D

着時刻 発時刻 km
下灘 18:37 18:38 0
18:41 18:42 2.6
喜多灘 18:46 18:46 3.2
伊予長浜 18:53 18:56 4.9
伊予出石 19:00 19:00 2.8
伊予白滝 19:05 19:12 3.4
八多喜 19:16 19:16 2.4
運転日:全日

八多喜駅着は19時16分。

綿六旅館は駅から歩いてすぐと聞いていた。

歩くこと5分、宿はすぐに分かった。

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綿六旅館

想像以上に立派な旅館だった。

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店主は京都で京懐石を修業をしたとのこと。

一泊二食付きで8000円 下灘の夕日のあとぜひお出かけください。

「下灘の夕日を訪ねて」終わり

下灘の夕日を訪ねて3 に戻る

2017/18年JRの決算より
  • JR北海道
    2017年度赤字「▲525億7600万円」
    2018年度赤字「▲559億8200万円」
  • JR四国
    2017年度赤字「▲119億0900万円」
    2018年度赤字「▲123億3300万円」
  • JR東海
    2017年度利益額「5870億円」
    2018年度利益額「6127億8400万円」
    (2018年リニア新幹線関連投資額2500億円)

REMEMBER3.11

私にとっての4月30日

ついに容量がいっぱいになった。

なんのことって、hatenaの画像アップロードが制限いっぱいとなったので、画像を伴った記事はアップできない。

月が替わるとまたゼロになり画像アップが可能となる。

したがって今日一日は耳目を閉じてじっとおとなしくしている。

 

人格の完成は真理と正義を愛し、個人の価値を尊ぶことである。

REMEMBER3.11

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 61 下灘の夕日を訪ねて3

松山城

歩くのが好きだから、丘の上松山城も歩いた。

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ロープウェイで上ることもできる

松山城は桜の時期。

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加藤嘉明
松山藩から会津藩松山城の創設者は加藤嘉明です。嘉明は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、20才の時に賤ヶ岳の合戦において(の活躍で)七本槍の一人としても有名です。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められて20万石となります。
そこで嘉明は同7年に道後平野の中枢部にある勝山に城郭を築くため、普請奉行に足立重信を命じて地割を行い工事に着手し、翌8年(1603)10月に嘉明は居を新城下に移し、初めて松山という名称が公にされました。
その後も工事は継続され、四半世紀の後にようやく完成します。 当時の天守は五重で偉観を誇ります。
しかし嘉明は松山にあること25年、寛永4年(1627)に会津へ転封されることになりました。<ここまで松山城HPより>

 

その後の会津藩

会津では加藤家のあと松平家会津藩主となる。会津藩には幕末最後の悲劇といっていい悲しい歴史がある。
松平容保は1862年(戊辰戦争から6年前)京都守護職として京都に入る。紫雲山金戒光明寺をその本営とした。その後「新選組」がその配下となり、新選組は「その苛烈な白刃によって都の大路小路に屍をさらした長州人や長州系の浪人はおびただしく」暴虐を尽くした。
その恨みは新選組よりも会津藩に向けられた。
その結果、明治政府は降伏した会津藩を藩ぐるみ流刑に処するように下北半島に送り、斗南藩とした。

寒冷の火山山地に1万四千人以上の人々が移り住んだ。藩士の暮らしは赤貧というような生易しいものではなく、「伏するに褥なく、耕すに鍬なく、まこと乞食にも劣る有様にて草の根を噛み、氷点下二十度の寒風に筵を張りて生き長らえた(会津人・柴五郎の遺書)」

 

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松山城は陽のあたりがいいのだろうか桜はほぼ満開だったが、下山すると桜はまだだった。

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一気にあるいて下山、そのまま松山駅まで行った。

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松山城HPより

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松山城遠景

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松山城天守に上るなどかなり時間を過ごしたようだが、松山駅に着いた時は丁度12時だった。

 

「愛ある伊予灘線」

午後1時過ぎに伊予大洲行があるので少し早いが伊予大洲に行く。

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松山から伊予大洲ルートは線路が2系統ある。

内子経由の内陸ルートと「愛ある伊予灘線」と名付けられた海岸ルート。

途中の下灘は当然「愛ある伊予灘線」にある。乗車した4921D13時02分発はこの海岸沿いを走る。

そして下灘は一旦通り過ぎ、伊予大洲まで行く。

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予讃線内子線

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下灘付近
下灘の夕日を目ざして5
着時刻 発時刻 番線 松山から
松山(愛媛)   13:02 3 0.0km
市坪 13:06 13:07   3.5km
北伊予 13:10 13:12   5.9km
伊予横田 13:15 13:16   8.6km
鳥ノ木 13:18 13:18   10.4km
伊予市 13:20 13:23   11.6km
向井原 13:26 13:27   14.1km
高野川 13:33 13:33   19.5km
伊予上灘 13:37 13:38   22.7km
下灘 13:44 13:44   28.0km
13:48 13:48   30.6km
喜多灘 13:52 13:53   33.8km
伊予長浜 13:59 14:13   38.7km
伊予出石 14:17 14:18   41.5km
伊予白滝 14:23 14:25   44.9km
八多喜 14:28 14:29   47.3km
春賀 14:31 14:32   49.0km
五郎 14:35 14:35   51.3km
伊予大洲 14:40     55.1km
運転日:全日

下灘の夕日を訪ねて4へ進む

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2017/18年JRの決算より
  • JR北海道
    2017年度赤字「▲525億7600万円」
    2018年度赤字「▲559億8200万円」
  • JR四国
    2017年度赤字「▲119億0900万円」
    2018年度赤字「▲123億3300万円」
  • JR東海
    2017年度利益額「5870億円」
    2018年度利益額「6127億8400万円」
    (2018年リニア新幹線関連投資額2500億円)

REMEMBER3.11

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 60 下灘の夕日を訪ねて2

長時間列車候補

京都で7時29分発新快速3409Mに乗車。

しかしこの時間列車は大変混んでいた。大きなバッグを抱えた体育clubの高校生十数人が大阪まで乗車していたこともあり座席ゲットできず。

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神戸を過ぎやっと一人分のみシートを確保した。

下灘の夕日を目ざして1
  着時刻 発時刻







京都   7:29
高槻 7:41 7:42
新大阪 7:53 7:53
大阪 7:57 8:00
尼崎(JR) 8:05 9:06
芦屋(JR) 8:13 8:14
三ノ宮 8:22 8:24
神戸(兵庫) 8:27 8:27
明石 8:39 8:40
西明石 8:43 8:43
加古川 8:53 8:53
姫路 9:03 9:11
英賀保 9:15 9:15
はりま勝原 9:18 9:18
網干 9:21 9:21
竜野 9:25 9:26
相生(兵庫) 9:30  

次の停車は相生駅。ここでの接続は毎回混雑するが、ここでの乗り換えを相生ダッシュというのだそうだ。

相生駅では入ってくる新快速は8両編成なのに待ち受けている列車が4両編成なんてときもある。

今回は1311Mは7両編成だった。それでも満員。座れなかった。

下灘の夕日を目ざして2
  着時刻 発時刻




相生(兵庫)   9:32
有年 9:38 9:39
上郡 9:44 9:44
三石 9:55 9:55
吉永 10:01 10:01
和気 10:06 10:06
熊山 10:10 10:11
万富 10:14 10:15
瀬戸 10:19 10:19
上道(岡山) 10:23 10:24
東岡山 10:27 10:28
高島 10:31 10:31
西川原 10:33 10:34
岡山 10:38  

岡山駅ではアンパンマン列車が停車中だった。

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アンパンマン列車がピース

マリンライナーも満席。こんなに混雑することは珍しい。

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列車は宇多津短絡路を経由して一旦高松到着

下灘の夕日を目ざして3
  着時刻 発時刻














岡山   10:53
早島 11:05 11:06
茶屋町 11:09 11:10
児島 11:18 11:19
坂出 11:34 11:35
高松 11:49  

高松駅での接続時間は24分、昼食は駅弁を買った。

松山まで5時間8分、さすがにこの列車は空いていた。ゆっくりと駅弁を楽しむことができる。

下灘の夕日を目ざして4
  着時刻 発時刻



|





|
高松   12:13
瑞岡 12:20 12:21
坂出 12:29 12:30
宇多津 12:34 12:34
丸亀 12:37 12:37
讃岐塩屋 12:39 12:40
多度津 12:43 12:44
海岸寺 12:48 12:48
詫間 12:53 12:54
みの 12:57 12:58
高瀬(香川) 13:00 13:01
比地大 13:04 13:05
本山(香川) 13:08 13:11
観音寺(香川) 13:15  
26分停車
観音寺(香川)   13:41
豊浜 13:45 13:46
箕浦 13:49 13:50
川之江 13:55 13:57
伊予三島 14:02 14:03
伊予寒川 14:07 14:08
赤星 14:12 14:12
伊予土居 14:15 14:16
関川 14:19 14:20
多喜浜 14:27 14:27
新居浜 14:31 14:41
中萩 14:46 14:46
伊予西条 14:52  
37分停車
伊予西条   15:29
石鎚山 15:33 15:33
伊予氷見 15:36 15:36
伊予小松 15:38 15:39
玉之江 15:42 15:43
壬生川 15:46 15:47
伊予三芳 15:50 15:51
伊予桜井 15:58 15:59
伊予富田 16:03 16:09
今治 16:13 16:13
波止浜 16:18 16:18
波方 16:21 16:21
大西 16:25 16:26
伊予亀岡 16:32 16:33
菊間 16:37 16:37
浅海 16:42 16:46
大浦 16:49 16:50
伊予北条 16:54 16:57
柳原(愛媛) 17:00 17:00
粟井 17:02 17:03
光洋台 17:05 17:05
堀江 17:08 17:09
伊予和気 17:12 17:12
三津浜 17:16 17:17
松山(愛媛) 17:21  

 

禁煙歴40年

松山の宿は松山駅から市内電車で15分ほど。

JTBのサイトでは予約の際に、「禁煙」「喫煙」「表示なし」の3種類がある。

私は煙草をすわないので、いつもは当然「禁煙」を選ぶ。ところが今回どうしたことか、後で分かったことだがサイトで「表示なし」を選んだらしい。

この日宿は満室で喫煙の部屋を用意された。

フロントとなんどもやり取りをするが、今日は満室でどうしようもないらしい。

JTBからの予約確定メールにも喫煙か禁煙かの区別は表示されていないことを確認してもらった。

しかし満室で部屋のチェンジもできないとの一点張り。

部屋を見せてもらい、リセッシュ等の対策をと依頼するが、かなりきつく匂う。

困った。この悪臭の強さでは寝られない。

思い切って近隣のホテル紹介をと頼むが、こちらサイドのキャンセルとなり100%の解約料が必要とのこと。

JTBにも連絡し対策を考えるが選択ミスはこちら・・

そうこうするうちに、フロントから「キャンセルがでました」と。

ワンクラス下の部屋になるが禁煙を用意できるとのこと。部屋を確認した上で変更してもらった。

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(多分スペアの形の部屋は常時用意してあるのだろうと思うが、親切な対応に感謝)

荷物を置き、市内電車に乗り道後温泉へと出かけた。

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道後温泉本館

道後温泉本館はリフォーム中。よこの入り口から利用は可能。

完成までなんとあと7年!だそうだ。

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夕食は宇和島料理の名物鯛めし

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2017/18年JRの決算より
  • JR北海道
    2017年度赤字「▲525億7600万円」
    2018年度赤字「▲559億8200万円」
  • JR四国
    2017年度赤字「▲119億0900万円」
    2018年度赤字「▲123億3300万円」
  • JR東海
    2017年度利益額「5870億円」
    2018年度利益額「6127億8400万円」
    (2018年リニア新幹線関連投資額2500億円)

REMEMBER3.11

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 59 下灘の夕日を訪ねて1

夕日リベンジ

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当日下灘駅では多数が夕日を眺めた

北海道鉄道冬紀行では釧路の夕日に間に合わなかった。残念な気分で夕日撮影を考えながあら、そうだ下灘に行こうと思った。もちろん青春18きっぷ

松山と大洲の間、予讃線にある下灘駅に夕日の時間に居るということはやや困難を伴う。

JR四国では観光列車「伊予灘ものがたり」を運行している。

その中で下灘の夕日を見る列車が「道後編」となっている。

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伊予灘ものがたり道後編

その中道後編では夕日の時間に下灘駅10分停車する。

しかしこの列車はすぐに予約一杯となり、手配できなかった。

今回運行日の26日前に調べたがもう満席だった。

鉄道切符は運行日の1か月前に発売だからほぼ同時に売り切れているのだろう。

そこで各駅停車で行こうと考え下記下灘駅の時刻表を見つめた。

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灘駅時刻表

4月当初の下灘駅日の入り時刻は18時30分ころ。

そこでまず松山から16時37分下灘着、下灘18時38分発八幡浜行きを候補として考えた。

JR予讃線 5925D  松山(愛媛) → 下灘間
到着時刻 出発時刻 番線 距離
松山(愛媛)   15:45 2 0.0km
市坪 15:49 15:49   3.5km
北伊予 15:52 15:53   5.9km
伊予横田 15:56 15:57   8.6km
鳥ノ木 15:59 16:00   10.4km
伊予市 16:03 16:12   11.6km
向井原 16:16 16:17   14.1km
高野川 16:25 16:25   19.5km
伊予上灘 16:29 16:30   22.7km
下灘 16:37 16:37   28.0km
運転日:全日

松山駅を15時35分発となる。京都から松山着15時35分は無理なので松山で一泊。

しかしこの予定では下灘駅滞在時間が2時間と少し長い。なにもない駅で時間を持て余すと考えた。

そこで上り松山行き下灘着17時51分を選んだ。

この列車は伊予大洲を17時09分に出る。

JR予讃線 4926D 伊予大洲 → 下灘間
到着時刻 出発時刻 番線 距離
伊予大洲 17:06 17:09   0km
五郎 17:13 17:14   3.8km
春賀 17:17 17:17   6.1km
八多喜 17:20 17:20   7.8km
伊予白滝 17:23 17:24   10.2km
伊予出石 17:29 17:29   13.6km
伊予長浜 17:34 17:35   16.4km
喜多灘 17:41 17:42   21.3km
17:46 17:47   24.5km
下灘 17:50 17:51   27.1km
運転日:全日

計画は松山宿泊、翌日午後松山から伊予大洲に向かい折り返し伊予大洲から下灘、そして夕日撮影後、再び伊予大洲方面に向かうという行程。

 

下灘往復

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下灘往復

 

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下灘付近

下灘は伊予灘に面している。上の地図でみると、付近に高野川や伊予上灘、串、喜多灘などの駅がある。

それらも伊予灘に面し、夕日のポイントだとは思うがやはり青春18きっぷポスターのインパクトが大きいのだろうなあ。

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串駅付近

この行程では帰りを伊予大洲方向になるので下灘から適当なところで宿を探さなければならない。

旅行代理店のサイトでは見つからなかった。

googleで検索したところ近辺では数件の宿があった。そして八多喜駅にある「綿六」に予約を入れた。

下灘を目ざして出発。

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2017/18年JRの決算より
  • JR北海道
    2017年度赤字「▲525億7600万円」
    2018年度赤字「▲559億8200万円」
  • JR四国
    2017年度赤字「▲119億0900万円」
    2018年度赤字「▲123億3300万円」
  • JR東海
    2017年度利益額「5870億円」
    2018年度利益額「6127億8400万円」
    (2018年リニア新幹線関連投資額2500億円)

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