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歴代天皇陵 遥かなる京都4

禁裏御料

天皇(朝廷)の私的経済の収入源は皇室領という。

内裏と大内裏内裏とは、天皇が住み、儀式や執務などを行う宮殿のことで、禁中・禁裏・御所などともいう。
平安宮内裏は延暦年間(782~806)に造営された。内裏の周囲には朝堂院(ちょうどういん)・豊楽院(ぶらくいん)や二官八省をはじめとした官庁が並び、諸官庁のまわりは大垣(築地)で囲まれていた。その囲まれた区域を大内裏あるいは平安宮と呼ぶ。

天皇行幸から見える京都の町域

天皇は江戸時代のころは、奈良戦国時代とは異なり、天皇が御所の外に出ることはほとんどなく、庶民の目に触れることもなかった。

したがって庶民にとって天皇は全く意識の中から消えていた。

そこで実際の天皇の行幸を調べようと、続群書類従完成会「皇居行幸年表」という資料にあたった。

これに記載されているのは桓武天皇から後醍醐天皇まで。時代は南北朝までになる。

これを読み解くと、京都朱雀大路を中心とした平安宮が廃れ、徐々に左京地区へと移ってゆく様子がわかる。

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これには禁裏から里内裏や他への天皇行幸が記載されている。

この資料は大変詳細に日別の行幸が記録が掲載されており、平安宮内裏はこの期間に15回炎上している。

内裏以外の里内裏でも20数回燃えている。

一説によると、もちろん対立する勢力による放火もあるが、灯明が使えるようになり、夜の行事が増えたことで火の不始末から火災になったこともあったという。

中にはこの書籍の下になる資料(続日本紀、日本後紀、続日本後紀、日本文徳天皇実録、日本三大実録、日本紀略等)で「放火」と断定されているものもある。

この記録から里内裏を整理すると村上天皇から後醍醐天皇までの皇居の変遷が確認できる。

 

遷幸について注意しなければいけないのはこの資料では「行幸」という意味は、天皇の在所が変わった場合の「行幸」という解釈で、現代一般に思う「(地方)行幸」という場合の意味も含まれるが、皇居=住まいが変わったという場合にも「行幸」となっている。日本史の定義では天皇の住まいが変わった場合を「遷幸せんこう」というらしい。
そこでここでは皇居=住まいが変わったという場合の遷幸のみを記録した。

 

村上天皇から一条天皇まで

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セルは皇居滞在開始から終了期間 

左右で日付が同じものは移動した日

備考欄「炎上」と「新造」の間の数字は建築に要した年月

統一して遷移が見やすいように日付は西暦にした。

村上天皇・冷泉天皇946年-969年
天皇 皇居 備考
平安宮内 里内裏
63代
村上天皇
内裏
946/5/23
-
960/10/16
職曹司   践祚
960/10/16
-
960/11/25
冷泉院 内裏炎上
1回目
  960/11/25
-
962/1/28
1年3月
962/1/28
-
967/7/5
  新造内裏
    崩御
64代
冷泉天皇
967/7/5
-
969/9/27
    践祚
    退位
円融天皇・花山天皇969年-986年
天皇 皇居 備考
平安宮内 里内裏
65代
円融天皇
内裏
969/9/27
-
976/6/11
  桂芳坊   践祚
職曹司 976/6/11
-
976/6/30
  内裏
炎上
2回目
  976/6/30
-
976/8/24
  堀河院   1年
2月
内裏   976/8/24
-
977/8/16
 
977/8/16
-
977/10/30
  朝堂院   新造内裏
  977/10/30
-
979/1/23
 
979/1/23
-
980/12/31
職曹司    
980/12/31
-
981/8/9
  四条院 内裏
炎上
3回目
    981/8/9
-
981/10/13
11月
内裏 981/10/13
-
981/11/26
 
981/11/26
-
982/12/5
  新造内裏
982/12/5
-
983/1/11
  堀河院   内裏
炎上
4回目
    983/1/11
-
984/9/24
  1年
9月
内裏   退位

66代

花山天皇

984/9/24
-
986/8/1
  践祚
新造
  退位

(以下見やすいように書式変更 2021年7月)

さらに居住期間欄を設けました。

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一条天皇 在位24年11月15日
天皇 皇居色別 平安宮内 備考
里内裏
開始 終了 期間
67代
一条天皇
内裏 986/8/1 999/7/29 12年11月29日

新造まで

3年10月

内裏炎上 999/7/29   内裏焼亡
5回目
一条院 999/7/31 1000/11/9 1年3月12日 2年5月
新造内裏 1000/11/9 1001/12/5 1年27日
内裏炎上 1001/12/5   内裏焼亡
6回目
内裏職曹司 1001/12/5 1001/12/9 5日 新造まで
1年11月
一条院 1001/12/9 1003/11/4 1年10月27日
新造内裏 1003/11/4 1003/12/13 40日
内裏中和院 1003/12/13 1004/1/6 25日
内裏職曹司 1004/1/6 1004/2/7 33日
内裏 1004/2/7 1005/12/18 1年10月12日
内裏炎上 1005/12/18   内裏焼亡
7回目
内裏太政官朝所 1005/12/18 1005/12/30 13日  
東三条殿 1005/12/30 1006/4/4 3月6日
一条院 1006/4/4 1009/10/25 3年6月22日
一条院炎上 1009/10/25  
内裏織部司 1009/10/25 1009/11/8 15日
枇杷殿 1009/11/8 1010/1/5 59日
一条院 1010/1/5 1011/7/16 1年6月12日

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