紙つぶて 細く永く

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また富山、そして只見線 その2

二日目は富山から、あいの風とやま鉄道そしてえちごトキめき鉄道で直江津、そして只見線乗車。直江津まではいわゆる第三セクター路線。

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この区間は青春18きっぷが使えない。

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読みにくい官僚文章だが、概略抜粋すると以下のように書いてある。

青春18きっぷ説明 JR線(BRT含む)及びJR西日本宮島フェリー以外の路線は、ご利用になれません。青い森鉄道線、IGRいわて銀河鉄道線、北越急行線、しなの鉄道線、えちごトキめき鉄道線、あいの風とやま鉄道線(※1)、IRいしかわ鉄道線(※2)、伊勢鉄道線、京都丹後鉄道線、智頭急行線、土佐くろしお鉄道線及び肥薩おれんじ鉄道線等、JR線と直通運転している路線ならびにJRバスもご利用になれません。 別途、ご利用になる区間に有効な乗車券類が必要です。

(※1)あいの風とやま鉄道線「高岡~富山」間については、普通列車の普通車自由席に乗車してJR線へ通過利用する場合に限り、利用できます。高岡駅、富山駅に限り途中下車できますが、その他の駅では下車できません。「高岡~富山」以外の区間を乗車した場合(区間内での下車、区間を越えて乗車等)は、別に全乗車区間の運賃が必要です。また、〔あいの風ライナー〕をご利用になる場合は、別にライナー券が必要です。

(※2)IRいしかわ鉄道線「金沢~津幡」間については、普通列車の普通車自由席に乗車してJR線へ通過利用する場合に限り、利用できます。金沢駅、津幡駅に限り途中下車できますが、その他の駅では下車できません。「金沢~津幡」以外の区間を乗車した場合(区間内での下車、区間を越えて乗車等)は別に全乗車区間の運賃が必要です。
例1:金沢駅から高岡駅を経由して城端駅へ向かう場合  
 金沢~高岡間のIRいしかわ鉄道線およびあいの風とやま鉄道線の運賃が必要です。


そのため富山から直江津まで2080円を別途買い求める。ただしこの区間改札はなかった。
富山駅で「あいの風とやま鉄道」に乗ろうとすると、昨日岐阜からの列車1717C-1829D-871Dでずっと一緒だった親子連れと再会した。
双方ともが顔を覚えていたので、思わず会釈をし隣の席に座った。

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きょうの立山は雪らしい

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富山発8時25分泊着9時14分、泊発9時24分糸魚川9時53分着。
 19才の高専生と母親だった。機械工学を専攻しているらしいが、PCにはあまり興味はないらしく、高専生は時刻表も持たず、スマホの時刻表、スマホの写真で済ませていた。
なんでも息子は青春18キッパーだそうで、
今回は米原-岐阜-富山-糸魚川-(大糸線)-松本-そして飯田線で豊橋への旅をするそうだ。
 飯田線の先輩として思ったほど尻が痛くならない等、いろいろ助言をしておいた。きっと今後写真にも興味を持つことだろう。糸魚川で彼らは下車。

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この地では得体のしれない列車が走っている。

運転日スケジュール | 水と大地の贈り物 越乃Shu*Kura(コシノ シュクラ)| 地酒王国・新潟で、列車に乗って日本酒三昧。


直江津からは10時58分発長岡行き。長岡着12時26分

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Webの乗換案内等では直江津から小出等を検索すると、長岡のひとつ手前宮内で乗り換えと出る。ところが下図みどりの線のように乗っている列車1331Mが長岡行きで、次に乗る1734Mも長岡始発。時間さえ確保できれば長岡まで行くことにより始発駅で乗車となる。時刻表の使いよいところだ。

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しかしその結果、接続時間が少なくなり昼食がとれない。乗り継ぎ8分では駅弁を探し買い求める時間はなかった。果たしてどちらが良かったのかなあ?
早いところでは桜も開花したというこの時期なのに、小出に近づくにつれ外は吹雪となってきた。

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小出からの只見線ダイヤは下記一日4本です。

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そして本日は13時11分発に乗る。ここ小出でも乗り継ぎ時間「2分」これではなにもできない。

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JR東日本のホームページに只見線の現況についての記事がある。

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http://www.jreast.co.jp/railway/pdf/20140122tadami.pdf

ここでもやはり地方交通線の乗車客数についての言及がある。JRはよほど地方交通線からの撤退を考えているのだろう。
 しかし上記数字にも歴史の視点が必要なのではないか。かりに只見線全通の1971年から「平均通過人員」が減少した2010年度の旅客運輸収入1.7億円が続いたとして計算しても、39年間で66億円強の収入があった。

入広瀬(いりひろせ)を過ぎたあたりで車掌が代行バスの利用予定者を聞き合わせしていた。代行バスはまさしく駅前からの発車ですぐの乗車となった。

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代行バスはマイクロでうまくて手配できたのか当地での乗車は丁度20名ほど。途中駅で乗車する人2名は補助席を使った。バスは会津川口に時間通り着いた。

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REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

何回目かの京都一周トレイル

足慣らしで京都一周トレイルの続き。今回は鷹峯から二ノ瀬までの小コース。前回
(といっても2年ほど前 保津峡から高雄そして光悦寺 モミジは紅くなかった - 紙つぶて 細く永く
の続きのコースとなる。出発は京都市バスの鷹峯源光庵前。光悦寺がある。

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画像の中みどり線を歩いた。スタートのA地点からB地点までは秋に迂回となるコースなので、トレイル標識はなし。だらだらと緩いのぼりが続く。この間40分ほど。
そしてBからトレイルの再開。

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ほどなくクマ出没との警告があった。昨年6月にクマの姿が目撃されたとのこと。そういえばクマ除けの鈴持参を忘れたなあ・・

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ここからの景色が京見峠の名の元

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B地点は標高380mそして今日の最高点城山下峠が450m。少し進むと氷室神社があった水尾の郷に眠る清和天皇ともゆかりがあるようだ。

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この辺りでも見事に手入れされた北山杉が受けられる。その中に雪の被害?だろうかお辞儀する北山杉も。氷室は名前からして雪の多いところかもしれない。

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唯一の難所? 倒木でトレイル道がふさがれていた。その下をくぐる。

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遅咲き?の梅
そして山幸橋到着。ここで昼食。
山幸橋からは大岩経由の旧ルートではなく向山ルートが開設されている。このアップダウンが結構きつい。旧ルートへ行けばよかったと後悔。

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 しかし3時前にたどり着いた二ノ瀬駅は木材を使った瀟洒な駅だった。
これで「一周トレイル踏破」まで残すところ一日の行程(二ノ瀬から比叡山横川)となった。

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出町柳到着後、墓参りそして恒例の珉珉餃子で締めくくり。生ビール2杯、餃子4人前、ニンニクと青梗菜炒め、固焼きソバ、味噌ラーメン、その他で4100円。安くかつ美味い店です。

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REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 9

2017年4月旧シリーズ名「鉄道運賃はこのままでいいのだろうか」をタイトル変更しました。

当然ながらかっては旧国鉄路線全線を日本国有鉄道1組織で運行していた。
 国鉄改革は表面的には公社:国鉄としての巨額すぎる赤字の払拭を国鉄を分割することにより、分割で誕生した各社の競合による競争意識を作ることにより、サービスの向上と赤字体質からの脱却を目指す、として国鉄は7社のJRに分割された。
 しかし実態は強力な国鉄労働者の組合を分割する労働対策を主眼として、ではないのかと水面下でささやかれていた。
 日本では労働組合(労組)の組織形態として企業別労働組合となっているので、企業が分割されると労組も分割され弱体化される、このことを忘れないでおきたい。

国鉄の民営分割のプランの骨格は1983年に発足した国鉄再建監理委員会(委員長亀井正夫氏当時の住友電気工業会長)によって立案された。
国鉄民営分割の目的は4つあり

  1. JR経営の黒字化
  2. 37兆3000億円の国鉄長期債務処理
  3. 労使関係の「正常化」
  4. 鉄道事業の再生

以上の展望を得ることであった。
そして1987(昭和62)年に旧国鉄が分割・民営化された時の国鉄長期債務等の総額は37.1兆円で、このうち、25.5兆円を当時の国鉄清算事業団が承継し、 残りは、新幹線保有機構が5.7兆円、JR各社が5.9兆円を引き継いだ。
 現在長期債務の処理については、1998年閣議決定で一般会計に継承され、2014年3月(平成26年度末)で17兆9784億円の残となっている。
 当時政府は国鉄所有の用地を清算事業団により売却しその益を返済にあてるとしたが、初年度(1987年)から用地高値売却が周辺地域の地価高騰を招くとして売却は1年凍結された。
現在では以下に見るように国鉄の長期債務のうち24.2兆円が国民負担とされた。

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鉄道・運輸機構 | 国鉄清算事業 | 国鉄長期債務の処理及び事業の収支構造

いわば国鉄長期債務はいったん棚上げされ、いつの間にか国民全体の負担と変わり、荷が軽くなったJR各社は過去の赤字体質には戻れないということで、採算重視の視点がいっそう強くなったようだ。

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JR各社は連続している国鉄路線を6エリアに分けて、かつ新幹線だけを分離しないという方針でJR6社は1987年発足した。
 「旅と鉄道」2017年4月増刊号に興味のある記事がある。

須田 寛氏の回想録でタイトルは「あれから30年、国鉄分割民営化、舞台裏の物語」とある。氏は旧日本国有鉄道入社後、87年の分割民営化にあたり、JR東海初代代表取締役社長を務めた。

記事によれば

国鉄改革・分割には、国会でも世論を二分するほどの賛否両論が議論された。
その時に抱かれた疑問は、

  • 分割民営化すれば線区の途中で会社別に分断され、乗り換えが生ずる。
  • 会社ごとに運賃も別々に決定されるだろうから複数会社またがりの運賃はたかくなる、
  • 長距離列車は運転できないのでは
  • 会社によって運賃格差ができる

というような疑問があったとのことである。
また「国鉄は全国一本のネットワークであってこそ、そのサービスが維持される」などの反対意見も多かった。

それに対し以下のような解決策をとった。
「そのまま」の移行を
  • 実践移行前の86年9月に翌年実施予定の運賃繰り上げ実施
  • 86年11月に翌年実施予定のダイヤ改正を先行実施
  • 長距離列車の客車乗務員待ち受けは、11月時点で分割会社が担当することを想定し地域ごとに受け持ち替えをしておく(当面車掌は従来通り始発終着駅通し乗務)運賃収受方法・乗車券発行の方法など運送約款についても国鉄当時のものをそのまま新会社の約款とみなすこととし各社間で協定し、運輸省にも申請許可を得ておく。
  • 乗車券の発行方法、通用期間、乗り越し、乗車変更、途中下車ルールなど 乗車券の地紋・様式も変更しない
いくつかの「例外」
法的に、また経理的にいくつかの「例外」が必要になった。
  • 東海道新幹線は運行管理上、線区途中分割にはなじまないので、東京ー新大阪間が一貫してJR東海の経営となった。そのため東京ー熱海間と米原ー新大阪間では新幹線と在来線で別の経営会社に分かれることになった。
    そこで在来線運賃切符で新幹線に乗り換える際に新幹線改札で「振替票」なるものを発行し、下車する駅の新幹線改札でこれを回収しその運賃部分を計算、該当会社に振り分けた。
    しかしこれも1年間実施したが、完全な回収は無理となり、結果的には各社立会いのもと実態調査を行い、発行会社と収受会社の異なる切符は統計的手法で収入金の再配分を行った。
  • 東京・(新)横浜・京都・(新)大阪は特定都区市内制なので、たとえば東海道新幹線の東京都区内行きの切符を持った乗客は新幹線改札をでてそのまま在来線利用で目的地まで向かう。
    これも実際どのような利用かを調査し1枚当たり平均距離(3km)の運賃を該当会社に再配分することで落着した。

JR発足後30年がたち乗車券の様式や販売制度の基本は当時と変わらず、むしろ当時以上に全国のJR旅客6社が統一されたシステムへ向かっているものが多い。  JR6社分割後想像以上にコンピュータ機器への依存が増え6社で統一方式を採用した方がなじむからだ。

 

どうだろうか。

この論をもってしても国鉄分割をする目的の一つであった鉄道事業の再生に向けての発展的施策は見えてこない。分割にあたっての障害解決には成功したとしてさて鉄道事業の再生・発展はどのようにえがかれるのだろうか。
 ここで提示された論は、そもそも国鉄分割がなければ発生しない問題であり、ましてや最後の「JR6社の統一されたシステム」などは分割しないほうが大いに発展したと思われる。
みどりの窓口にあるMARSシステムも、前回書いたようなJR各社ホームページにあるWeb案内構成も同じシステムで構築は可能だ。
 またこの中にでてくる統計的手法は、青春18キップの販売についても応用され、なんらかの実態調査に基づき、統計的に各社への再配分をしているのだろう。

seisyun.tabiris.com



結論 前回見たようにJR東日本以外の各社はこのような貧しいWeb案内システムの提供で利用者に向けての親切なシステム構築ができているのだろうか?

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REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 8

前回「日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 7」 以下

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 7 - 紙つぶて 細く永く

で取り上げた「おいこっと指定席」は旅行代理店で購入することができた。JR西日本みどりの窓口でのマルス端末では発券できなかった回数券が関西にある旅行代理店の発券端末ではOKということになる。
(JTBの発券端末はMARS端末ではなくJTB独自の「TRIPS」以下参照ということが分った  以下段落でさらなる修正)

【事例編】JTB、基幹系プラットフォームを刷新 - 進化するITプラットフォーム Part8 | IT Leaders

しかし、後日この指定券を払い戻ししてもらうことになり、
(詳細記事日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 番外4 V字旅行1 - 紙つぶて 細く永く
その時窓口で、上記「おいこっと指定席」はJTBでも発券できない切符だということを知らされた。(間違って発券したそうだ)

事情は大変複雑に込み入っておりこれを紐解くことも詳細な契約の話となり相当困難だ。
旅行代理店窓口担当者では詳細がわからなかったので、しなの鉄道に連絡を入れたところ、次の回答があった。

しなの鉄道説明しなの鉄道路線運賃部分についてはしなの鉄道売上になるが指定席部分は全額JR東日本の売上収入になる。

 そうなると次の問題として100%JR東日本の指定席券を旅行代理店で発券できないのかなという疑問がわく。
そして、その疑問に、JTBから追加の下記回答が来た。

JTB回答JTBには「TRIPS」端末と「MARS」端末双方が置かれているとのこと。(問題の指定席券は当然「MARS」端末で発券したと思われる)
JRと交わしたMARS端末の発券要項ではこの区間の上記指定席券はJR東日本管内にある旅行代理店店舗でのみ発売可能な切符となっている。
担当者が間違って発券した。


 それを受けてJR東日本お問合せセンターにも聞いた。詳しい部署に聞いたうえで返答してくれた。やはりこの切符はJR東日本みどりの窓口と、そしてJR東日本管内にある旅行代理店でしか販売できないはずの切符とのことであった。
 JR東日本以外のエリアからの訪問客がこの切符を含む旅を考えた時に、当然人気観光列車ということもあり、事前に切符を手配することは大いに考えられる。しかし他のJR切符と同じように手配できないのだ。
 解決法としては該当する切符だけを別途、JR東日本の「えきねっと」で予約し、現地に着いた時自動販売機やみどりの窓口で受け取るということになる。

 機械システム的には発券可能ではあるが、運用契約で発券しないとなっているのだろう。それで担当者は運用契約を失念し間違って発券したことになる。
 システムを組む立場から考えても通常のシステムに、もう一アクションを付け加え端末設置場所を特定する工程が必要となるので、コストアップにつながり、また設置後になんらかの事情で端末をエリア外からエリアの中へ移動することもあるだろうからこのような付加要件をつけることは好ましくない。

 しなの鉄道北しなの線は旧国鉄の路線であり、昨2016年までJR東日本の路線であった。JR西日本とも縁遠い路線ではない。そのような路線でもやはり発券できるか否かは各JRと第三セクターしなの鉄道等)個々の契約により発売できる切符が変わる。
何故こんなに面倒なことになるのか鉄道利用者の立場にとって非常に不可解だ。
 旧国鉄の路線は分割されそしてJR7社となった。
JRとしての協力体制はどうなっているのだろうか。部外者には表にでてくる各種お知らせでしか判断できないが、結論から言って連携に重心を置くよりも、すでに各社独立組織としてそれぞれの企業体質が育ちつつあるようだ。

そんな中新聞JR東日本会長のインタビューが掲載された。

線路は続く:28 会長に聞く■「国全体で考えないといけない時期を迎えていると思う」
 
《地方の公共交通を誰が守るべきか。東日本大震災で被災を経験したJR東日本の清野智(せいのさとし)会長(69)に聞いた。  人口減への危機感から、企業だけでなく国全体での議論を訴えた。》  

――震災に限らず、災害からの復旧で、鉄路かバスか廃止かの議論が繰り返される。実際に廃止されるJR路線も出ているが。

 「レールがつながっていて欲しいという人々の思いがあるのは理解できる。  ただ、鉄道は本来、一定以上の乗客がいることで初めて利点が生かせる。  乗客が極端に少ないならばバスの方が赤字は少ない」
 「バスへの転換は地域を見捨てることではない。  例えば東北の被災区間の一部で導入したBRT(バス高速輸送システム)は、ルートを病院や高校まで延ばして利便性を高めた結果、  地元の人も評価してくれている」

 ――JR各社は国鉄改革で30年前に誕生した。たとえ赤字でも、引き継いだローカル線の維持は責務ではないか。  特に、黒字のJR東日本などは経営的にも可能ではないか。

 「現時点では鉄路を廃止する考えはなくても、さらに人口減が進むとどうなるか。  鉄道が、地域の公共交通の最後の手段かどうかは、地域の需要など様々な状況の変化を含め、ていねいに議論すべきだろう」  

――線路や駅を自治体が保有し、鉄道会社が列車を運行する「上下分離方式」が、鉄路を残す時の選択肢としてよく浮上する。確かに鉄道会社の負担が軽減される。

 「人口減の進む地方にとっても一つの選択肢だろう。  ただ、鉄道会社が負担する運行費だけでなく、自治体が保有する車両や線路の維持費も将来にわたって必要になることを忘れてはいけない」  

――少子高齢化や人口減など、JR発足時とは社会が変わってきた。公共交通が維持できないと、地方はますます衰退する。

 「私が会長を務める『東北観光推進機構』では、外国人の誘客とともに、鉄路とバス、飛行機を組み合わせて被災地を回る『教育観光』も推進したい。  観光で地域活性化を目指せる人材の育成や、財政支援などを、産官学一体で推進できるよう働きかけている」
 「これだけで根本的な解決、とはならない。どのような形で公共交通を守るか、国全体で考えないといけない時期を迎えていると思う」  


なんとも短いインタビュー記事であるがポイントは
「鉄道は本来、一定以上の乗客がいることで初めて利点が生かせる。  乗客が極端に少ないならばバスの方が赤字は少ない」
と断言しているところだ。
  予てから主張しているようにもちろんJR路線は日本各地へレール間隔1067mmでくまなく続いている。JRの境界で分断されているのではない。

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 7 - 紙つぶて 細く永く

ならば全国の地方交通線も全国の鉄路の一部として、たとえば山田線・只見線等を考える目も必要ではないか。

ではJR各社の連携を調べる方法として、Webページでの全国の切符関連情報はどうなっているのだろうか。
 下記調べた。

JR東海Webアクセス検索
  • 「Webで表示できるのはJR東海エリアと新幹線が絡む場合との説明」
  • (しかし京都ー大阪在来線も表示)
  • 「名古屋」「博多」間は表示 
  • 「名古屋」「鹿児島中央」間は新幹線でも非表示「該当駅がありません」
JR西日本Webおでかけネット
JR東日本のWebえきねっと


そしてそれぞれのWebページには下記の但し書きがついている。

JR西日本での表示エリア案内
マイ・ダイヤ|ご利用案内:JRおでかけネット
JR東海での表示エリア案内
http://railway.jr-central.co.jp/timetable/area.html
JR東日本での表示エリア案内
www.eki-net.com


各社で何らかの方程式があるようだが詳細は不明である。
結果JR東日本えきねっとはほぼ旧国鉄の路線に合致して使用できるようだ。(ただしみどりの窓口で購入できるか否かは別の制限がつく)

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REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

なぜか富山 下

富山湾

海王丸公園での寒さに震えながら、海王丸駅で万葉線を待った。海王丸から一駅先が終点越ノ潟で、万葉線はここで折り返し運転となる。この付近万葉線は単線で少しでも暖をとるために、上り下りどちらか早く来るほうに乗ることにした。この辺りが乗り放題になれた青春18キッパーとしての感覚だなあ。

 下りがやってきたのでひとつ先の越ノ潟駅まで乗車。折り返し高岡駅行きの上りとして出発。
列車は「アイトラム」車内も静かで「志の輔」解説もぐっと聞きやすくなった。再び志の輔の名調子をどうぞ。(こちらは長く10分ほどあります)

youtu.be

この電車に乗り暖かくなってマフラーを外し、アナウンスに酔いしれていた。そして案の定マフラーを置き忘れた。
当日宿に帰ってから気が付き、すぐ万葉線本社に連絡を入れた。そして本社に届いているとのことで翌日再度万葉線本社まで取りに行くことになった。

今夜は待望の富山湾鮨である。第一ホテル内にはフレンチ・中華・日本料理・鮨などレストランがある。当初は当然鮨店を考えていたが、ふと日本料理のほうが鮨だけよりもバラエティにとぶと考え、そしてメニューに鮨もあるだろうと日本料理店予約を入れた。
 ところがその日本料理店に鮨のメニューがなかった。どうしようと考えていると、店の方がホテル内の鮨店から出前という形で鮨がだせますよとのこと。そして富山湾鮨にぎり十貫、汁物がやってきました。

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ノドグロやサワラ、マアジ、スルメイカ、クロムツ、アマエビ等々身のしまった冬の富山湾の魚。さすがに美味かった。
そしてもちろんホタルイカの沖漬けこちらも絶品でした。

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宿で富山湾鮨を堪能した翌日は、昨夜来の雨が雪に変わり前の街路樹が見事に白い衣を着ていた。

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富山市役所も白い

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ドラえもん電車

そして昨日の忘れ物をとりに高岡へ。再びとやま一日乗り放題きっぷを購入し高岡へ・・
高岡駅に到着し万葉線高岡駅で電車をまっていると、驚くことにドラえもん電車がやってきた。後で調べるとドラえもん電車は前日の18時に編成ダイヤが決まるそうで、なかなか時刻を調べ出会うことは難しそうだ。

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ドラえもん作者の藤子・F・不二雄富山県高岡市出身。コンビの藤子 不二雄Ⓐは富山県氷見市出身。
万葉線ドラえもん電車が走り、JR氷見線には忍者ハットリくん列車が走っている。

忍者ハットリくん列車で行く城端線 氷見線の旅:JRおでかけネット

こちらも時刻は不定期となっている。写真を取り損ねたが高岡駅に入線する忍者ハットリくん列車の後ろ姿を見た。

この日は富山に近づくにつれて立山がくっきりと見えてきた。そこでこちらも二回目市役所展望台から雄大なパノラマを眺めた。

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冬の越中八尾

富山から越中八尾へはJR高山線で向かう。駅前からコミュニティバスが出ている。そのバスの運転手さんも八尾出身とのことで、丁寧にルートにそって街を解説案内してくれた。
 それこそ9月1日から3日のシーズンには人口5000人の町に22万人の観光客が訪れるという。宿もとれないはずだ。
 列車の時刻もあり駆け足の見物となった。まずはおわら資料館

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なんでも中興の祖と呼ばれる、地元の医師でありおわらの名人川崎順二氏にちなんだものが展示してある。
 そして諏訪町

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高山線からの立山が最も美しいということも聞いた。そこで帰りの車中からの一枚

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富山を回ってみて富山はLRTの導入先進県で市内電車としても乗りやすい車両が使われている。市民にとっては鉄道が利用しやすいといえる。
 この地であっても、このように鉄道会社として努力してもいかんせんマイカーにかなわない面がある。富山地方鉄道も鉄道外の収益を含む状態で2015年赤字、2016年は少し改善し12089百万円の営業収益に対し292百万円の利益となっている。

 まず家の玄関を出るときに目の前にあるマイカーと少し歩き駅までの距離をかんがえるとどうしてもマイカーに有利な状況となってしまう。
 東京の三軒茶屋あたりなら東西南北どちらに向かうにせよ数分の距離に駅があり、マイカーに比較して鉄道の利便性が勝る結果となっているのだが・・。鉄道の課題が垣間見れた旅でもあった。

なぜか富山 上

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

「日本の」幼稚園

われわれ一般人にとっては驚くような幼稚園だが、しかし問題はどこにあるのだろうか、今回事件?が発覚しなければ見過ごされていた、ということなのではないだろうか。
 問題の大きな部分は今般事件にならなければこのような教育(教育か否かおおいに疑問だが)をしている幼稚園を知らされることは無かったということだ。
 このような方向性をもった幼稚園等は日本に多く存在し、それぞれにこのような指導に賛同する幼稚園教諭が参加しており、また賛同し子息を通園させる保護者が多くいるという事実があり、その事実を知らされないことなのではないだろうか。
 一部のジャーナリストや報道関係者ではこの現実は既知で、報道されない、すなわち事件表面化しなければ報道できないだけではないだろうか?
 不審に思う向きがあるなら、某apaホテルの社長にでもインタビューすれば教えてくれるに違いない。

たしかに私学にはその教学精神に基づく教育は認められる。しかし組織としての私学が行う自由と同じように、そこに通学する生徒自体の多様性を求める自由(これを教育の自由という)が十分に、いやそれ以上に満足させられなければならない。
たとえば進化論を否定する教育をするならば、その前段として進化論の詳細を過不足なく学ばせる、そしてどちらが真理かをつかみ取る、そのような教育だ。

 子供たちの可能性を限りある能力の大人が制限することは許されない。

 繰り返すが事件にならなければこの問題は放置されていた。
教育委員会というところは、文科省を筆頭に、天下り問題やいじめ問題といい、このような事態解決能力のない全くの中間管理職層になってしまったのだろう。

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多様性という観点から気になるコラムがあった。

政治断簡 多数派のエゴ 編集委員・松下秀雄私は時々、「喜多見と狛江の小さな映画祭」という手作りの上映会におじゃましている。小田急の両駅周辺で開かれるこの上映会、沖縄とかハンセン病とかテーマが重い。先日は映画のあと、脳性まひの上田要(もとむ)さん(68)と意見交換する場が設けられた。
 車いすで現れた上田さん、私たちに問いかけた。なぜいま多様性が叫ばれていると思いますか? 現実はそうじゃないから、全体主義がみえてきているからでは?  その前段で話していたのは津久井やまゆり園での事件。被告は「ヒトラーの思想が降りてきた」といったそうだから、全体主義や優生思想が潜んでいるのはまちがいあるまい。けれど上田さんの話は個人の思想ではなく、社会のありようを問うていた。     

 「画家の山下清さんは知的障害者でしたが、全国を自由に歩きました。いま、できますか? たぶん無理です」  
「『こじき』という言葉がありました。多くは障害者だったんじゃないでしょうか。そこに『こじき』がいてよかった時代、食べ物やお金を分け与えることが許された時代と、なんのかんの縛られているいまと、どっちがいいのかなと思うのです」
 そういえば物乞いの姿をみかけなくなった。障害のある人が施設を抜け出し、放浪を続けるのも難しいだろうな。と考えていると、他の参加者から「ちっちゃなころから障害者をみて育てば平気になるのに」。そういう機会が失われているということか。
 ご自宅に押しかけて尋ねてみた。上田さん、人がまばらな地域に施設が造られる背景をこうみていた。視界から遠ざければ考えずに済むから。その方が楽だから。そして触れあった記憶も、考えるきっかけもないまま人々が育ち、無関心が広がっていないか。そこから全体主義が芽を出さないか……。
 全体主義は、個人の利益や生よりも全体を優先させる。それは少数派の痛みへの無関心、多数派のエゴイズムの結晶なのかもしれない。究極がナチスの行為。障害者やユダヤ人、同性愛者など様々な少数派を、生きるに値しないなどといって虐殺した。
 いまの世界はどうだろう。最強の米国の白人大統領が、「米国が第一」といい、立場の弱い移民を排除しようとする。テロの危険とか暮らしとか、社会に不安が高まる時は注意が要る。「他人のことにかまっていられない」と、エゴむき出しになりやすい。     

 上田さんは若いころに施設を出て、障害者と地域の人がかかわりあいながら暮らせる環境づくりに尽力してきた。
 ノンステップバスの普及運動に取り組み、家族に頼らなくても暮らせるよう、介助者を派遣するNPOの理事を務める。今後は障害者と高齢者が抱える課題の共通点と相違点を洗い出したいという。高齢化社会では、障害者の課題の多くがひとごとではなくなる。社会の関心を高めるチャンスと捉えているのだ。
 ひとごとではなくす知恵。それが鍵に思える。


これから2020年東京オリンピックに向けて東京都は『こじき』の一掃に励むのだろう。多様性の縮小に向けてエンジンが加速する。
 なにやら多様性を閉じる某合州国の大統領を批判する矛先が、それでなくても多様性を重んじないアジアの某国に向けられている気がする。

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

凄い技か?

先日富山で土産を買い、電子マネーで決済をした。
 予てから一回の買い物で複数枚数の電子マネー決済ができるかできないか疑問だった。多くの店舗のヘルプデスクでは複数枚数使えませんという回答が最も多く、なぜなのか疑問だった。

しかしnanacoでは複数使えるというこんなサイトもある。

nanacoは同時に何枚まで利用可能? | 菊地崇仁ブログ「ポイ探社長のブログ」


店員さんにはテストで悪かったが、nanaco1枚と交通系電子マネー(icoca)2枚を持っていたので、連続しての決済をお願いした。
買物総額はこれ

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そして電子マネーの決済がこちら

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まず3459円のうち1898円引き去り、買物残額1561円

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次に一枚目のICOCAで1063円引き去り、買物残額498円

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最後に2枚目のICOCAで全額498円引き去り。
この決済を一連の流れで途切れることなく行ってくれた。システムを乗り越えた凄い技なのだろうか?

nanaco、suica、ICOCA、WAONなどは素材としてSONY開発のフェリカを使用している。
そしてフェリカには(たしか)プライマリキーと呼ばれるキーが付与され、同じ番号は数億枚(数値はややあいまい)に一枚しかないというユニークなキーとなっている。
そしてしnanacoやICOCAなどの自社ブランドエリア部分のキーと組み合わせ結果として2枚と存在しないユニークなカードが作成できる。
これらのキーを使って読み書きする、リーダー(カードを読む端末)やライター(カードに書き込む端末)がPOSレジ等に内蔵されている。
このことからシステムさえ整備すれば複数のカードを順次読み込み残高調整をすること自体は、システムの障壁は高いが不可能ではない。
ただし、自動改札機のように短い時間で処理することには無理があるので、ICOCAやsuicaでは複数枚数の使用は、システムの立場ではなく現場で「許可」されていないということなのだろう。

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

なぜか富山 上

北陸新幹線ちょい乗り

昨年12月から1月いっぱいほぼ休みなしだったので、ご褒美と称してなぜなのか富山一泊二日に出かけた。
 そして今回の主目的は富山湾鮨とシーズンにはなかなか宿が取れない越中八尾、それもまさに季節外れの諏訪町散策。
 富山湾鮨は下記の車両中吊広告に魅せられました。

このシーズンなのでJTBでツアーを申し込み。
富山宿泊を選定すると、全部北陸線経由のツアーで、ここはぜひ高山線経由を選択したいといろいろ模索して探した。
 ところが見つからない。JR東日本からのツアーでも高山止まり。
最終的に見つけたのは小さく注意書きで、「高山から富山間の交通費は別途お支払ください」というものだった。やはりJR西・東ともに北陸新幹線を売り込みたいということでしょう。高山線は次回ということで断念。

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そこで今回は恒例列車の旅ではありますが、いつもの各駅停車ではなくサンダーバード+新幹線のパック旅行。

京都7時29分発のサンダーバード9号で金沢着9時38分、金沢からは9時49分発北陸新幹線「つるぎ708号」で富山10時12分着、この間(金沢-富山)23分この短い時間でつるぎは金沢-富山間をシャトル運転をしています。下記参照 

北陸新幹線「つるぎ」の乗車率は20%。富山~金沢の「短距離新幹線」の利用者は意外に多い? - 旅行総合研究所タビリス

なぜ短い区間23分間のシャトルなのでしょうかね・・、金沢からの乗客は同じ車両に数名でした。

富山駅前は北陸新幹線延伸前に訪ねた時とは異なりすっかり工事は完成していた。

greengreengrass.hatenadiary.jp
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いままで富山ライトレール富山地方鉄道市内電車は異なる別路線であったが、相互に乗り入れる案が採用され実施されるらしい。

富山市 路面電車南北接続事業 ~第1期区間の開業について~

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上記で赤い矢印の間が一本の線路に結ばれる予定。
現在は新幹線ホーム下の空間に市内電車ターミナル富山駅がある。

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上の写真赤い二重線に電車が入って行く

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ターミナル側から外を見るとすぐ前を横断歩道が横切っている。

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富山地方鉄道市内電車にはいろいろな車両が走っている。ここでそれを見るのも面白い。

鉄道 – 車両のご紹介 | 富山地方鉄道株式会社

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さてチェックインまで何をするかと迷ったときに、ふと立山が頭に浮かんだ。駅で立山の展望について尋ねると市役所の展望台と教えられた。駅から歩いて5分くらいで市役所に着いた。展望台へは休日も10時から入館OK、エレベーターで9階だったと思う、展望台へ

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少し雲がかかっていたが立山の眺望を間近に堪能できた。
 その後少し早かったがきょうの宿、富山第一ホテルにチェックイン。ホテル内レストランをチェック、ホテル内にすし店があった。今宵は楽しみにしていた富山湾鮨を。

 昼食は近くの「高志の国文学館」にあるイタリア料理で人気の落合シェフの直営店を考えたが、超満員でしかも時間制らしく13時30分からの席も予約で満席とのこと諦め、富山駅で駅そばとなった。
 夕方までの時間をいかに過ごすか考え、とりあえず富山駅構内に向かった。そこで「とやま一日乗り放題きっぷ」を見つけた。

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あいの風とやま鉄道富山-高岡間、万葉線富山ライトレール射水市コミュニティバス海王丸-ライトレール接続線、加越能バス新高岡-高岡間が一日乗り放題

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(残念ながら発売は2月26日まで)

パンフレットのようにぐるっと一周できる仕掛けだ。
そして駅北側のライトレールに着いたところ丁度列車が出て行った。その瞬間、夜の富山湾鮨が頭をよぎり、わずか15分ですが、この15分で乗り継ぎ予定の射水市コミュニティバスとの接続が悪くなるのでここで時間を浪費したくないと考え反対に回ることにした。
 あいの風とやま鉄道富山駅に引き返し高岡へ。富山駅13時46分発で高岡駅14時3分着。高岡駅一階には2014年から万葉線が乗り入れている。

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万葉線については右記サイトが凄く詳しい。 万葉線


そして乗った万葉線では聞いたことのあるこえで案内が流れ始めた。土日には地元新湊出身の落語家立川志の輔の声で車内アナウンス沿線案内があり、ユニークなトークを聞くことが出来る。

youtu.be

終点の ひとつ前海王丸駅で下車し、海王丸を見に行った。海王丸公園では天気は良かったが烈風が吹き非常に寒かった。

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写真もままならず数枚撮ったところであまりの寒さそして、対岸へ渡る射水市コミュニティバスは1時間後ということもあり、万葉線で帰ることにした。その寒さボケが原因で翌日再度万葉線に乗ることになってしまった。

なぜか富山 下

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

移民または亡命者たち

加藤周一に「亡命者たち」という一文がある。

亡命者たち(抄):加藤周一日本から外国への移民はあったが政治的理由による亡命者は、十五年戦争当時の狂信的な軍国日本からさえも、きわめてまれであった。
 その理由の一つは、日本政府が批判者を弾圧し投獄はしたが、国外追放はしなかったということである。
  当然強制的な亡命はなかった。
自発的な亡命がなかったのは、もちろん、亡命先の言語習慣と殊に日本のそれとの著しいちがいによる。しかしそれだけではなく、長い鎖国の伝統があり、政治的信条が知識人においても国家に超越しなかった。
 ヒトラーが政権を掌握した一九三三年以降、ドイツからの、後にはドイツ占領下 のヨーロッパからの、亡命者は多かった。
33年から45年まで、その数は百六十万人に達したといわれる。 その一部は、ナチ政権による国外追放(主としてユダヤ人)であり、大部分は、 弾圧-38年の「クリスタルーナハト」(注1)から42年の「ヴァンゼー会議」(注2)決定まで -を恐れての自発的亡命である。
米国がその間に受け入れたヨーロッパからの亡命者は三十一万八千人、 その中でユダヤ人は二十五万人。米国への亡命者のなかには、二〇世紀の文化の形成に決定的な役割を演じた自然科学者や社会科学者、作家や音楽家、建築家や造形芸術家が含まれていた。
 たとえばアインシュタインやエーリッヒフロム、トーマスマンやブレヒトシェーンベルク、ストラビンスキー、ミース・ファン・デル・ローエ(注3)、グロピウス(注4)、 シャガールモンドリアン
「亡命者たち-ヨーロッパの芸術家のヒトラーからの逃走」(exiles十emigres‐The Flight of European Artist From Hitler) という展覧会をロス・アンジェレスで見て、さまざまのことを考えた。
 亡命の芸術家は、二つの世界と係る。
 一方では、彼または彼女を育てて来た過去の世界。そこには作品を評価した公衆もいる。
 他方では、現在の仕事場としての世界。 そこには未知の、作品を受け入れるか受け入れないかわからぬ公衆がいる。
 も し芸術家がその独自性を貫くとすれば、過去の環境に対し鋭く批判的であった芸術家は、亡命先の環境に対しても批判的でなければならない。
 しかるに亡命先で、批判的表現が公衆に受け入れられることは期待できないだろう。たとえばゲオルク・ グロス(注5)の作品を、米国社会は、それがあまりに暗く、絶望的である、として批判し た。
 他方亡命は、(自身が所属した)旧世界の人々から、かつてその批判を受け入れた人々からさえも、多かれ少なかれ距離を作りだす。
 仲間の批判を受け入れた公衆が、亡命先からの批判を受け入れる、とはかぎらない。
 亡命芸術家の根本的な孤独は、旧世界においても、新世界においても、作品をもって呼びかける相手、聴衆や観客を見失うことであろう。
 政治に「コミット」せず、社会問題に係らず、自己内部の世界の表現に専心して きた芸術家は、亡命先においても、その立場を貫くことで、公衆から受け入れられることがある。たとえばべックマン(注6)。彼はヒトラーの死後もヨーロッパヘ帰らなかった。しかし自己内部の世界を養ってきたのは、旧世界の文化的環境であって、亡命先のそれではない。たとえばフェルナン・レジェ(注7)は、米国の環境の素晴しさを評価する言葉をのこしているが、画家において重要なのは、言葉ではなく、画面である。その画面が亡命先で根本的に変わったのではない。故にフランスが「解放」されると。彼はパリに帰った。
 亡命芸術家の態度は、人によって異なり、一般化することは、きわめてむずかし い。私はただサン・テグジュペリ(注8)が第二次大戦中のリスボンで書いた小冊子を考え る。彼はそこで亡命を定義し、「帰るところのない旅」である、とした。亡命でない旅には、それがどんなに長くても、帰るべき故郷がある。
ブルターニュの漁夫にと っては、喜望峰の沖で操業中のときほど故郷が身近に感じられたことはない」……。
 ヒトラーを逃れた芸術家たちの多くは、長い旅をしたので、実は亡命者ではなか ったのだろう。
 ほんとうの亡命者たちは、どこにいても同じ仕事のできる自律的な精神的世界を、 自己内部に作りだした人たちだけではなかったろうか。
  • 注1)「水晶の夜」1938年11月9日夜から10日未明にかけてドイツの各地で発生した反ユダヤ主義暴動、迫害である。水晶の夜という名前の由来は、破壊されたガラスが月明かりに照らされて水晶のようにきらめいていたことによる。
  • 注2)15名のヒトラー政権の高官が会同して、ヨーロッパ・ユダヤ人の移送と殺害について分担と連携を討議した会議
  • 注3)ドイツ出身のモダニズム建築の代表的な建築家
  • 注4)近代建築の四大巨匠(ル・コルビュジエフランク・ロイド・ライトミース・ファン・デル・ローエと共に)の一人とされる。世界的に知られた教育機関(学校)である「バウハウス」の創立者であり、初代校長を務めた。
  • 注5)ドイツ出身の画家。20世紀最大の諷刺画家といわれる。
  • 注6)ライプツィヒ生まれ。社会的、哲学的なメッセージをアレゴリカルに描いた。1930年にナチスに追われてアムステルダムに移住。最後の3年間はニューヨークで仕事をした。
  • 注7)20世紀前半に活動したフランスの画家。ピカソ、ブラックらとともにキュビスム(立体派)の画家と見なされる

注8)サンテグジュペリ

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ - Wikipedia

帰るところのない旅にでた移民・亡命者達によってアメリカ合州国は築かれた。
理不尽なことに非知性的な一政治家によって「先にやってきたわれわれは、後から来るあなたたちを助けはしない」と叫ばれていても、偉大な先人の貢献、彼らのアートは少しも色あせない。

 

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