われわれ一般人にとっては驚くような幼稚園だが、しかし問題はどこにあるのだろうか、今回事件?が発覚しなければ見過ごされていた、ということなのではないだろうか。
問題の大きな部分は今般事件にならなければこのような教育(教育か否かおおいに疑問だが)をしている幼稚園を知らされることは無かったということだ。
このような方向性をもった幼稚園等は日本に多く存在し、それぞれにこのような指導に賛同する幼稚園教諭が参加しており、また賛同し子息を通園させる保護者が多くいるという事実があり、その事実を知らされないことなのではないだろうか。
一部のジャーナリストや報道関係者ではこの現実は既知で、報道されない、すなわち事件表面化しなければ報道できないだけではないだろうか?
不審に思う向きがあるなら、某apaホテルの社長にでもインタビューすれば教えてくれるに違いない。
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たしかに私学にはその教学精神に基づく教育は認められる。しかし組織としての私学が行う自由と同じように、そこに通学する生徒自体の多様性を求める自由(これを教育の自由という)が十分に、いやそれ以上に満足させられなければならない。
たとえば進化論を否定する教育をするならば、その前段として進化論の詳細を過不足なく学ばせる、そしてどちらが真理かをつかみ取る、そのような教育だ。
子供たちの可能性を限りある能力の大人が制限することは許されない。
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繰り返すが事件にならなければこの問題は放置されていた。
教育委員会というところは、文科省を筆頭に、天下り問題やいじめ問題といい、このような事態解決能力のない全くの中間管理職層になってしまったのだろう。
多様性という観点から気になるコラムがあった。
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これから2020年東京オリンピックに向けて東京都は『こじき』の一掃に励むのだろう。多様性の縮小に向けてエンジンが加速する。
なにやら多様性を閉じる某合州国の大統領を批判する矛先が、それでなくても多様性を重んじないアジアの某国に向けられている気がする。
REMEMBER3.11
不断の努力「民主主義を守れ」