経済情勢が不確かないま、高学歴が良い収入を生む。
必然、結婚できる確立の高いのは高学歴すなわち知性のすぐれるものである。
このような経済情勢が長く続くと、日本人の「血」は知性のすぐれたものが受け継いでゆく。
その結果純粋種だけが残ると彼はいった。
ゲルマン人種の優位を説いた先人は、そのゲルマン人をして奈落の底に落としやったことが頭をよぎる。
*
本人は、大阪大学を卒業し、大手商事に入社、その後脱サラし小さな事業を始めた。
しかし商才に恵まれなかったと見えて、その事業もうまく行かず、最終的には親から引き継いだ多大な財産も失い、家を失い家族も失い孤独になった。
この先はわずかな年金を見込み、放浪してでも四国遍路をやり遂げ、終の棲家は沖縄へ行く。
*
唯一の親友-彼も生活保護を受けている-が末期癌で入院している。
時々見舞いに行き、繋がり続けることが、友への友情の証と信じている。
時に自分の将来を重ね合わせることもあるらしい。
*
屋上のプレハブ一人で椅子を連ねたベッドに寝起きし、近所の飲み屋で食事をし管を巻く。
愛唱歌は「吉田松陰」
口で言うより 行なうことが
志士の志士たる 誇りなら
かくごの罪の 踏海忌
下田港の 弁天島の
波も讃える 男意気
*
時に触れ彼方の記憶を呼び起こし、四国遍路のときには「足摺岬」を読み返す。
世の中との触れ合いは、携帯電話による会話、垂れ流しに近いテレビ
そして生活の糧となる、新聞配達この先の展望があるのだろうか。
*
*
テレビで「疾風勁草」という言葉が語られた。
http://www.mainichi.jp/select/wadai/kanji/archive/news/2011/04/20110329org00m040007000c.html
経済には倫理が必要である。
経済活動とは本来人間が生きるために必要とする範囲の衣食住の物資の確保であった。
富の蓄積が自己目的化したときに際限のない富の蓄積が始まる。
それがさらなる欲望の暴発を引き起こし、不自然な経済社会となる。
人間は何を喜びとして生きるのか。それは他者との交わりの中にある。
他者を愛すること、他者から愛されること、他者を助けること、他者から助けられること、
それが人間の喜びである。
しかし人それぞれが人生を歩む。祈りながらあるべき道を探し求めて。
-プラトン-
REMEMBER3.11
不断の努力「民主主義を守れ」