紙つぶて 細く永く

右の「読者になる」ボタンをクリックし読者なっていただくと記事更新時にお知らせが届きます。

}

雑誌「世界」から

いま、私たちは深い悲しみと巨きな不安の中にあります。
三月十一日、これまで経験したことのない巨大地震が宮城沖で発生、
津波が東北・北関東の東部沿岸を襲いました。
おそらく二万を大きく超えるであろう人々が、突然、生を断ち切られました。

 女も男も、老いたものも幼いものも、
 農民も漁民も、商店主も市長も、教師も介護者も
 成功したものも失敗したものも、
 豊かなものも貧しいものも、
 政策を推進したものもそれに反対したものも、
 祈ったものも祈らなかったものも

巨大な波の前には、無力な一個の命として、為すすべもなく、
巻き込まれ、押し流されてしまいました。
 地球の身震いひとつで、人間のすべての営為が無残に破壊しつくされてしまいました。
まるで神話の出来ごとのように巨大な犠牲を前に、
私たちはただ言葉もなく瞑目し、嘆き、茫然とたたずむほかはありません。
 からくも生き延びた人々も、別れの言葉ひとつ言えずに、
子どもを失い、親を失い、連れ合いを失い、兄弟、友人、知己を失いました。
家、財産を失い、仕事場を失い、コミュニティを失いました。
その喪失感と悲しみは、どれほど深く大きいことでしょう。
私たちはその嘆きと悲しみに寄り添いたいと願います。
 失った人びとには、故人を悼み、悲しむ喪の時間が必要です。
被災した人びとにどれだけ支援、救援の体制を整えることができるか、
悲しみに苦しみにどれだけ寄り添うことができるか、
新たな出発をする力をどれだけ与えることができるか-
それはその社会の政府(行政)と市民の質と力にかかっています。
私たちはいま、それを全力で行わなければなりません。

 この緊急の救援と喪の時間を妨げ、不吉な影を及ぼしているのが、
福島第一原子力発電所の深刻な事故です。
何重にも安全装置をかけてあるから「絶対に安全」といわれ続けてきた原発は、
地球の身震いひとつで、四機が一挙に冷却機能を失い、制御不能の事態に陥りました。
日本に住む私たちだけでなく、世界中の人びとが、爆発で建屋が吹き飛び、
強力な放射能の残る残骸をよけて放水する消防隊の姿を見、そして漏れ出し、
空中に漂う放射能の値を、恐怖に戦きながら注目することになりました。
雑誌「世界」は、原発について、安全性の面、経済性の面、エネルギー政策の面などから、
長年にわたって批判してきました。
しかし、現在の事態は、いかなる専門家も予想できなかった最悪の事態をもはるかに超えたものです。
私たちの主張が、原発政策を変えるほどの力をなぜ持てなかったのか、
慙愧の念をもって振り返らざるをえません。

事故炉の冷却に立ち向かう消防隊員、自衛隊員、警察官、東電現場社員やメーカーなどの作業員、
自治体職員などの決死の努力に敬意を表しつつ、同時に、現在運転中の他の原発を止め、
また原子力政策、エネルギー政策を根底から見直す論議をいま、始めるべきことを、
「世界」は改めて主張しないわけには行きません。

原発災害はなお進行中であり、予断を許しません。
地震津波による被災も、避難所における高齢者などの衰弱や死という形で進行中といえます。
行政やボランティアなどが必死の支援を行っているにもかかわらず、
被害の地域があまりに広く、多く、手が回らないのです。
 今回の大震災、および原発災害は、破壊の規模、犠牲の多さ、被災地の広さ、経済への影響の大きさ、
放射能汚染の永続性などから、間違いなく戦後最悪のものです。
私たちの経済のあり方、社会のあり方、あるいは生活のあり方すべてを変えてしまう可能性が高いと思います。
「世界」では何が起きたか、何が進行しているかを追いかけながら、同時に、この災害がどのような歴史的転換
になるのか、あるいはどのような転換点にしなければならないかを追求しました。
私たちは、もはや昨日のようには未来を生きることは出来ないのです。
何があろうと、私たちはここで生きていく以外にありません。
多くを失った被災地も、放射能に脅かされる原発周辺も、またそれを支えようとする私たち自身も、
絶望し、逃げるわけにはいかないのです。

私たちは「がんばろう」「がんばって」ではなく、ともに生きていこうという思いを込めて、
「生きよう!」
と呼びかけたいと思います。
-雑誌「世界」巻頭言-