新橋-横浜鉄道遺産
JR高輪ゲートウェイ駅の再開発にともなって昨年品川の鉄道築堤が出土した。
その明治初期の鉄道遺構「高輪築堤ちくてい跡」を保存するか否かで、産業遺産学会や日本考古学協会、日本歴史学協会などが歴史的価値を重視しJR東日本に全面保存を求めた。
築堤は、1872(明治5)年の日本初の鉄道開業時に築かれたもので、場所は現・田町駅―品川駅付近間2.7キロに造られた。
当時の建設の様子
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下図は当時の工部省が仮開業前後に作成し、太政官に提出した図から品川付近。
海岸に赤い線で線路が描かれている。
この付近は当時は浅瀬だった。
国土地理院の地図 1880(明治13)年-1886(明治19)年ころの湿地
でみると今の国道15号線くらいまで海だった。
この付近にある兵部省の施設を通すことに兵部省は反対し、浅瀬に造らざるを得なかったらしい。
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「日本の鉄道の原点が、鉄道会社に壊される」のか
JR高輪ゲートウェイ駅(東京都港区)西側の再開発では、車両基地や山手線などの線路があった計9.5ヘクタールの土地に、最高173メートルのビル4棟を建てる。
事業は羽田空港の再国際化や、リニア中央新幹線の開業を見越した国際ビジネス交流拠点づくりの国家戦略特区に認定された。
ビルには外国人向けの住居部分があり、インターナショナルスクールも設ける。
計画では2025年3月の完成予定。
会見で深沢社長は、一部現地保存のための計画変更も示唆しつつ
「本来ならすでに着工している。保存について関係各所と早急に詰め、半年ぐらい先には着工段階に」
と述べた。
鉄道史学会の渡辺恵一会長は「JR東のいう『一部』はどの程度か。
また『現地』とはまさに今ある場所を指すのか、再開発地区内の移設も含め『現地保存』と言っているのか分からない。まずそこから説明を」と注文を付ける。
もともと再開発計画は、世界遺産級の遺構の出土を想定していない。
しかもコロナ禍で、再開発で目指す「国際ビジネス交流」のあり方も変容しそうだ。
渡辺会長は「前提が変わったのだから、計画を白紙に戻す局面ではないか」と、開発を急ぐJR東に疑問を投げかけている。
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REMEMBER3.11