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京都歴史周遊 3 法然院3章

Walk around 法然院

法然院の近くには哲学の道がある。

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哲学の道は哲学者西田幾多郎が自宅付近を瞑想しながら散歩したことに因み名づけられた。

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哲学の道周辺の界隈形成に関する研究より

哲学者の散歩から、哲学の道と名付けられた。

追記

西田幾多郎の明治から大正の住居は以下になる。

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それぞれこの哲学の道まで直線距離で1kmほど離れている。

この道が気に入ったのだろうが、途中かなりの距離を歩いてから閑静なこの道となる。

それほどまでこの道は気に入られたのだ。

参考 ドイツにも哲学の道があった。

gotrip.jp

疎水:水道としての機能

哲学の道は疎水分線に沿って伸びる。

運河である疎水分線は、京都市民の水不足に対応するため、1890年琵琶湖疎水から蹴上で別れ南の蹴上から北の松ヶ崎浄水場へ運ぶため等高線を計算し築かれた。

疎水分線はこのエリアの傾斜に逆らって北へ流れている。

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等高線の地図で見てみると疎水は等高線沿いに北へむかって流れ、また同じエリアを流れる白川は等高線を横切り南へ流れている。

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疎水分線はこの白川と銀閣寺付近で交差する。

これも標高差を利用しての交差で、それぞれの水が混じることなく流れている。

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疎水と白川の交差

一方哲学の道南端の若王子神社横に、疎水分線の水を利用したプールがあった、

西田幾多郎は思索に耽ったが、なにも考えない私は、自宅から水着のままで哲学の道をこのプールまで泳ぎに行ったこともある。

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若王子プール

疎水分線が築かれた当時から付近には社寺仏閣が多く、付近との調和が考慮されたようだ。

南禅寺水路閣

代表的なものに南禅寺水路閣がある。

1888年完成から130年余り、その素材レンガからしてすっかり南禅寺の一風景となっている。

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さくらあふれる哲学の道

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この道の近くに住んだ日本画家橋本関雪らによって、桜が植えられた。

そこで哲学の道は桜の名所にもなっている。

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哲学の道は約2km。休日は車の乗り入れが禁止されているのでゆっくり散策ができる。

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すっかりさくらの名所になった。

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