外出が憚れる今、過去の旅を見つめ直すとどうなるだろうか・・
今回は2015年12月の「青春18きっぷ」の4泊5日間の旅を再記事に。
前回の旅で新幹線アレルギー?が解消され、今回東京から盛岡は東北新幹線に乗った。
というのも、旅行代理店では新幹線セットでの宿泊が安く設定されているので、間にそれをはさみ、青春18きっぷを利用した。
その東北周遊2回目。
昨日車で角館を訪問し、今日は平泉から釜石線経由で鵜住居まで。
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表中の赤字は乗車時間。合わせて駅間の距離と平均運行速度、駅数を掲載した。
【凡例】
駅 | 駅名 | |||||||||
区間 距離 |
駅間の営業キロ | |||||||||
時速 | 駅間の運行時速 | |||||||||
駅数 | 区間の駅数 | |||||||||
駅間 | 駅間の運行時間分 | |||||||||
6時 | 出発 | 列車番号 | ||||||||
所要時間 | 到着 |
以下今日の行程 | |||||||
駅 | 盛 岡 |
平 泉 |
花 巻 |
釜 石 |
|||
路線 | 東北線 | 釜石線 | |||||
区間 距離 |
83.0 | 47.7 | 90.2 | ||||
時速 | 54.1 | 66.6 | 45.1 | ||||
停車 駅数 |
17 | 8 | 23 | ||||
駅間 |
5'24 | 5’22 | 5’12 | ||||
8時 | 43 | 1532 M |
|||||
9時 | 1h 32 |
||||||
10時 | 15 | 平泉 周遊 |
|||||
11時 | |||||||
12時 | |||||||
13時 | 29 | 1539 M |
|||||
14時 | 43 | 12 | |||||
41 | 637 D |
||||||
15時 | 2h | ||||||
16時 | 41 |
検証 東北の魅力 平泉
盛岡駅から平泉駅は1時間32分で着いた。東北線盛岡駅ー一ノ関駅直通列車がある。
東北の地に栄華を誇った奥州藤原氏は日本史でも習う有名どころでぜひ一度金色堂を見たかった。
平泉に10時過ぎ到着。
朝食をすませてなかったので、駅前に見つけた泉屋でそばをいただく。
観光案内にも掲載されている由緒ある蕎麦屋でご主人が源義経を信奉されているとか・・。
知られているように源義経は平泉・衣川館で藤原泰衡に討たれた。
非業の英雄・その判官びいきという蕎麦屋である。
しかしなによりそば・出汁ともに美味かった。そばが無くなれば営業終了ということもあるらしい。
奥さんが店と平泉の気候などを丁寧に説明してくれ、義経のお守り札をいただいた。
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泉屋前のバス乗り場から「るんるんバス」で中国からの観光客数人とともに中尊寺へ。
1日乗車券400円を購入したが、一周ぐるっと回って20分。
30分に1本なので1台逃すと30分待ちとなる。
結局中尊寺のみの訪問で行きと帰り2回乗車、1回150円なので何のことはない一日乗車券は100円持ち出しであった。
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平泉では藤原三代の栄華、金色堂がそれこそ金ぴかで眩いばかりだった。
帰ってから調べると金色堂には藤原氏四代のミイラが眠っているらしい。
知らなかったことだが第四代の泰衡は、義経を討った後郎党であった河田次郎に首をはねられ源頼朝に差し出された。
それでも許さなかった頼朝に前九年の役の故実にならい、眉間に八寸の鉄釘を打ち付けて柱に懸けられた。
泰衡の首は間もなく平泉に戻されて近親者の手により、黒漆塗りの首桶に入れられ、父秀衡の眠る中尊寺金色堂の金棺の傍らに納められた。
芭蕉は平泉で「夏草や兵どもが夢の跡」と読んだが、義経や奥州藤原氏の栄華が夏草の中に残っている、ということだろうか。
義経は京都鞍馬の山中で育ち、奥州平泉で果てた。
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平泉のおまけ
帰りに気が付いたが駅前で荷物を預けたところに、「肖像画作成」という看板が上がっていた。そしてショ-ウィンドウに肖像画が掲げてあった。なんでも内閣総理大臣賞ということだった。見事な肖像画でした。
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平泉駅14時43分発で花巻駅へ、そして釜石線に乗る。
釜石線には途中陸中大橋駅近くにループがある。Ωループといわれている。
このΩループのところでは2100mほどの距離で200mの標高差がある。
これを避けるために大きく北へ迂回した線路を作った。
QGISで見ると半径300m強のループを描いている。
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