紙つぶて 細く永く

「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 49 北海道鉄道冬紀行5

知床旅情

知床旅情という歌には思い出がある。

学生運動をしていた友が教えてくれた歌だ。たしか1967年。

かれは学生運動、それも運動の先頭にいた。

三派全学連だった。寡黙だったがときにぽろっと「チンデン」なんてその時のゲバ用語が出たりした。

家族とくに母親には頭が上がらなくて、しかし逆らっていた。

彼のデモの先頭で隊列を指揮する姿が当時の学生を象徴する。

優柔不断であった私にはその生きざまは憧れでもあった。世の動きをかたる熱い思いは誰をも腹から納得させるだろうと思った。

酔いの席で彼が口ずさんでくれた歌、「しれとこの岬に・・」と歌われゆらりと揺れるようなメロディ、その曲から浮かぶまだ見知らぬ北海道の地にあこがれた。

知床、番屋、ニシン、ピリカなどの郷愁そそる言葉も輝いていた。

森繁久弥が映画撮影の合間に作曲したと聞かされた。

その曲が数年して、加藤登紀子によって世に出た。

wikiによる「知床旅情知床を舞台にしたご当地ソング
知床とは、北海道北東部に位置する知床半島一帯をさす。知床国立公園があり、2005年7月17日には世界遺産に登録された。
 楽曲制作者は、俳優業のほかに歌手としてNHK紅白歌合戦への出場歴もある森繁久彌である。
森繁が1960年の映画『地の涯に生きるもの』の撮影で知床半島羅臼村(現:羅臼町)に長期滞在した際に制作され、その最終日に羅臼の人々の前で「さらば羅臼よ」という曲名で披露された。
 1962年の大晦日に放送された第13回NHK紅白歌合戦では、森繁自身によって披露された。1965年に森繁の歌でシングルレコードとして発売された。
 また1970年に加藤登紀子がリリースしたアルバム『日本哀歌集』で取り上げ、同年にシングルカット。徐々に人気に火がついた。
 加藤は1968年、後に夫となる藤本敏夫との初デートで、別れの時に初めて「知床旅情」を聴いた。

人口に膾炙する以前になぜ学生の間で広まったのか、撮影チームの中に伝えた人がいたのかもしれない。

花ぎおん2 - 紙つぶて 細く永く

 

知床半島

冬紀行その5回目

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その知床にきた。

北海道と京都は都道府県の中でもトップを争う人気らしいが、その対極にある両道府の地域性がより感動につながるのだろう。

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斜里岳は雲の中

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駅前から斜里バス ウトロには1時間ほどで到着。

雪はないがウトロの道は凍っていた。

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道の駅 うとろ・シリエトク

道の駅 うとろ・シリエトク

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エゾシカ肉カレー・知床ドラフト そして鉄道旅の至福である、ひるからビール。

なぜ寒いのにビールなのかなあ。

来る前には大いに期待した知床半島ウトロだったが、この時期だからかひっそりとしたウトロ、感動はそれほどでもなかった。

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職員がととろ?雪だるまを作っていた
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うとろ・シリエトクスタンプ

この地は夏もしくは冬季でも流氷の時期でないとだめかな。

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斜里駅オジロワシモニュメント

知床の魅力は簡単には味わえないもんだ。何か荷物を残したような気持ちで帰りのバスに乗った。

ウトロへの道中は行も帰りもオシンコシンの滝をあっという間に通過した。

知床斜里から網走へ。

知床斜里駅には2019年冬の青春18きっぷポスターが掲示されていた。

丁度釧網線知床斜里から止別付近の撮影だったので、記念に知床斜里駅にて青春18きっぷを購入した。

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2019冬青春18きっぷポスター
4730D
駅名 時間 釧路から 備考
知床斜里 16:33 131.8km
アイヌ語で島(陸=シリ)の突端(エトク)
止別 16:44 143.3km
やむべつ
浜小清水 16:50 149.0km
旧駅名古樋
北浜 17:00 157.6km  
藻琴 17:04 160.4km
アイヌ語のムク・トゥ(尻のふさがっている沼)から
鱒浦 17:07 162.9km  
桂台 17:13 167.7km  
網走 17:17 169.1km
アイヌ語のア・パ・シリ(われらが発見した土地)

知床斜里から網走まで乗車。今日の宿泊は駅前のホテル。

当然だろうがこの地の道路も凍てついていた。

 ホテルで荷を解き(古いな)とフロントで聞くと、ここ網走は駅周辺に飲食店は少ないとのこと。

歩いて10分ほどのところに飲食街があるという。

ゴムアイゼンを履いて出かけた。

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刺身盛り近海の魚、くじらやボタン海老、まぐろやはまちなど

食事後店を出ると丁度前にタクシーが停まっていた。

近くだが駅まで行ってくれるという。帰りはアイゼンがいらなかった。

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2017年
  • JR北海道の年間赤字「▲525億7600万円」
  • JR四国の年間赤字「▲119億0900万円」
  • JR東海東海道新幹線の年度利益額「5398億6000万円」

REMEMBER3.11