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虚飾の追悼文

安倍元首相の国葬儀において菅前首相の弔辞が読まれた。

以下はWebによるその弔辞の考察

菅前首相といえば、スピーチ下手で有名だったが、今回の国葬儀での菅義偉・前首相の弔辞は、ワイドショーやニュース番組でも繰り返し流され、「葬儀にもかかわらず自然に拍手が湧き起こった」など絶賛の嵐となっている。

 橋下徹・元大阪市長は「菅さんと安倍さんは明らかに友人、友情…失礼な言い方かもしれませんけど純粋な小学校、中学校、高校生の友情関係を強く感じましたので、
それが強く表れた最後の言葉だったと思います」と声を震わせた。

筆者注(もちろん安倍氏は1954年東京生まれ享年67歳 菅氏は1948年秋田生まれで6歳差がありすれ違いの要素はない)

 国葬から2日が経った29日、菅前総理が初めて単独インタビューに応じ、追悼の辞の執筆過程、盛り込まれたエピソードの裏話を明かした。
菅氏「提案があったので、『大変だ』と思って一生懸命資料集めから。一気にではなくまず全体像を入れていくというか、“何をして、何をして…”という構想からした。
それと、私自身が今まで発言したものを集めていき、(完成形になったのは)意外に早かった」

筆者注(自身が苦労して取材した経緯を明かしているようだ)

そして以下その弔辞の一部

国葬(儀)弔辞の一部衆議院第一議員会館、1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。
ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。 そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。
 しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。
総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。 かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」

そもそも、この山縣有朋の歌を紹介すること自体、ある政治家が他の人を追悼するために使ったネタの使い回しにすぎなかった。
 
 ある政治家とは、ほかでもない安倍元首相だ。安倍氏は今年6月17日、Facebookにこう投稿している。

〈一昨日故葛西敬之JR東海名誉会長の葬儀が執り行われました。
常に国家の行く末を案じておられた葛西さん。
国士という言葉が最も相応しい方でした。
失意の時も支えて頂きました。
葛西さんが最も評価する明治の元勲は山縣有朋
好敵手伊藤博文の死に際して彼は次の歌を残しています。
「かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ今より後の世をいかにせむ」
葛西さんのご高見に接することができないと思うと本当に寂しい思いです。
葛西名誉会長のご冥福を心からお祈りします。〉

 その最大のブレーンだった葛西氏が亡くなったとき、安倍元首相は葬儀で弔辞を述べたのはもちろん、さまざまなメディアで追悼の言葉を発したが、
そのとき、持ち出していたのが、今回、菅氏が紹介した山縣の歌だった。

これは、安倍氏にその歌が載っている評伝『山縣有朋』を薦めたのが、葛西氏だったからだ。
実際、安倍氏は6月24日発売の極右雑誌「WiLL」8月号に掲載された櫻井よしこ氏との対談でも、葛西氏をしのび、葛西氏が山縣有朋を敬愛していたこと、葛西氏から岡義武の『山縣有朋』を薦められたことなどを語った上で、「まさに、私たちが葛西さんに贈りたい歌です」として、この歌を紹介していた。
 
いくら勉強嫌いで知られる安倍氏とはいえ、8年近く経つのにまだ読みかけということはないだろう。

 実際、安倍元首相は2015年1月12日のFacebookで、週末三連休を河口湖の別荘で過ごしたことを報告した上で、岩波新書版の『山縣有朋 明治日本の象徴』の表紙の写真とともに、〈読みかけの「岡義武著・山縣有朋。明治日本の象徴」 を読了しました。〉と投稿。
〈伊藤の死によって山縣は権力を一手に握りますが、伊藤暗殺に際し山縣は、「かたりあひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」と詠みその死を悼みました。〉
とくだんの歌も全文を引用して紹介している。

菅氏が取材した事実は

衆議院第一議員会館、1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。
ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。
そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。」

ここだけだろう。

 そしてこのページが開かれていたのは葛西氏の葬儀に際しFacebookに投稿したときに見ていたものだろう。

 スピーチライターがこの事実一点から敷衍し作文、安倍元首相の葛西氏への弔辞で使っていたことなど知らずに、菅氏の弔辞として提供したのだろう。

そもそも安倍氏、菅氏とも読書癖なんてそうないと思われる。
かつて菅氏は、
「司馬さんの作品は結婚した30歳のころに代表作の「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」を読みました。」
と明かす。

多くの司馬ファンは作品に触れると計り知れぬ魅力から深みにはまることが多いのだが、彼はそうはならなかったようだ。

菅氏は代表作という2作品のみ読んだのだろう。

広く知識を求めようしない人が他人に仕事を投げつけ、成果を確認もしない、あるいは確認しても知識的整合性がとれない結果みじめな弔辞となってしまった。

草葉の陰で爆笑しているんじゃない・・。