権力者と横浜
我が国の最高権力者菅義偉の過去を知っておこう。
その上下2編の下(文中敬称略)
自身が伝える経歴3
横浜は新しい街に変わる時期でした。
今は先進的な街並みの「みなとみらい」も、当時は計画が始まったばかりで、建物は何もありませんでした。
横浜は開港以来150年の歴史しかありません。
居留地が神奈川村ではなく関内に置かれて、海外から新しいものが一気に入ってきました。
不平等条約がありながら、海外から入ったものを自分のものにして、煉瓦造りの建物やガス灯をつくった。
関東大震災と空襲で壊れたものもたくさんありますが、今でも古き良きものを横浜の人たちは大切にします。私は政治家として、東京のベッドタウンと言われた横浜の問題点を見直し、待機児童の解消や企業誘致を推進し、街づくりに力を注ぎました。
また神奈川は戦後、多くの土地が米軍に接収されて発展が遅れてしまいました。
そこは神戸との大きな違いです。
「みなとみらい21」のように何もないところに新しい都市づくりを計画的にできたこともあり、横浜は爆発的に発展し、今や370万人を超える大都市になりました。
同時に馬車道の復元など横浜の歴史も大切にし住民が仲良くなれる街にしたいですね。
横浜には開港時に多くの人が各地から外国文化を学びにきました。
たまっていたものを爆発させた明治のひとたちの大きなエネルギーを感じました。
横浜の水道の技術はイギリス人に教えられ、今では横浜から発展途上国に技術指導に行っています。
ここの下りは今となっては
「横浜には現在に多くの人が各地から外国文化を学びにきます。
たまっていた資金を使ってさらなる一攫千金をしたいという令和のひとたちの大きなエネルギーを感じました。
わたしは秋田を棄て都会に来ました。その都市「横浜」が素晴らしい街になる様に、
外国で儲けの大きい事業者からIR賭博場の技術を学び、今後横浜から日本全国に賭博の技術指導を行ってゆきます。
同時に全員がよりリッチになり横浜の歴史も大切にし豊かな住民はそれなりに、そうでない住民はそこそこ幸せになれる街にしたいですね」
のようにどうしても読める。
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自身が伝える経歴4
司馬さんの作品は結婚した30歳のころに代表作の「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」を読みました。
そこから司馬さんの思考が見えるような気がしました。
司馬さんは大量の資料を読み込んで躍動感のある作品に仕立てており、きっと物事を前向きに考える人だと思いました。
きっと心優しいひとだったろうと作品から感じています。
司馬遼太郎作品についての感想だが、多くの司馬ファンは作品に触れると計り知れぬ魅力から深みにはまることが多いのだが、彼はそうはならなかったようだ。
代表作という2作品のみ読んだのだろう。
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揺れる権力者像
彼を取材した森功著「総理の影 菅義偉の正体」2016年刊にはこんなことも記載されている。
菅は秘書=庶務タイプなのだ。
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その森功の最新論文情報では
参考にもう一度権力者の経歴を見ておこう。
菅 義偉 元官房長官・現総理 経歴 | ||||
年齢 | 1948年生まれ | |||
15 | 高校入学 | 1963 | 湯沢高等学校 | 高校 |
18 | 高校卒 | 1966 | 同校 | |
25 | 大学卒業 | 1973 | 法政大学 | 大学 |
第一部法学部 | ||||
38 | 1987 | 横浜市議 | 西区 | |
46 | 衆議院議員 | 1996 | 衆議院議員 初当選 | 自民党 |
(以降8期連続当選 | ||||
57 | 2006 | 総務大臣 | 内閣 | |
58 | 2007 | 神奈川県支部連合会長 | 自民党 | |
65 | 2014 | 内閣官房長官 | 内閣 | |
71 | 2020 | 内閣総理大臣 | 内閣 |
上記菅の弟が1989年東京駅の八重洲中央改札近くに菓子店を開いた時兄菅義偉は横浜市議であり、小此木事務所に所属していた。
小此木彦三郎は1989年の少し前1984年に国鉄分割民営化(1987年)後にはJRの担当大臣となる通産大臣(今の経産大臣)を務めている。
菅がJR東日本松田昌士元会長とも懇意だったことは充分うかがえる。
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歪なふるさと納税
平嶋彰英は2014年7月に総務省の自治税務局長に就任した。
その時菅首相が総務相時代に肝いりではじめた「ふるさと納税」制度の拡充に反対。
すると、官房長官だった菅は2015年の人事で事務次官候補とも呼ばれた平嶋を、極めて異例の自治大学校長に“左遷”させた。
平嶋は2014年に「ふるさと納税」制度の拡充に抵抗。
理由は「ふるさと納税」制度が高所得者層のほうが得をするという
「極めて不平等で、不健全」な問題を孕んでいたからだ。
平嶋個人の考えではなく、さんざん議論を繰り返してきた自治税務局の総意でもあった。
「せめて返礼品問題だけでもなんとかしなくちゃいけない」と考えた平嶋は、旗振り役であり当時官房長官だった菅を説得しようとさまざまな案を持って何度も説明をおこなった。
だが、菅はすべてを撥ねつけ、こんなひと言でシャットアウトした。 「純粋な気持ちでふるさと納税している人を俺は何人も知っている」
スタジオジブリ「熱風」11月号より
南彰朝日新聞記者
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昨今伝えられるところでは、彼と反社会的勢力との癒着も出てきた。
調べれば調べるほど魅力がそがれる人物。
なんでジミントーてこんな政治家ばかり現出するのだろう。
もう解読するモチベーションが続かないので、終わり。
「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋
REMEMBER3.11