一月一三日:朝日新聞署名記事
編集委員・曽我豪
ただ、自分もそう書いたから反省を込めてだが、
改めて同時代を生きた政治記者たちの証言にあたると、
やはりこれも後講釈の弊は免れないようだ。
朝日新聞の後藤基夫・元東京編集局長と石川真澄・元編集委員、共同通信の内田健三・元論説委員長が座談した
「戦後保守政治の軌跡」(岩波書店)には生々しい政治家の実像と記者の実感が残る。
内田氏は「私たちも、池田政権ができたときに岸亜流政権だと書いた」と証言する。
安保紛争時の池田の強硬な言動に加え、岸が「自分の理念を誰がより多く継いでくれるか」
との観点から池田支持に回ったのは明らかだったからだ。
従って理屈は後づけなのだ。
内田氏は池田から佐藤栄作に政権が移る際に
「前尾繁三郎さん(池田政権時の自民党幹事長)が理論づけてしゃべってくれたんで
僕には記憶が鮮明なんだ」とした上で、
池田の政権獲得時には「振り子論としては意識されていなかったでしょう」
と語る。
岸政権を「反面教師」とした「反射的なもの」とし、
側近の宮沢喜一の言葉を引く。
「何かをなすんじゃなくて、いかにしてやるかということだった」 後藤氏は「計画性と偶然性、その両方だね」と語る。
吉田茂政権で蔵相だった池田は、経済政策と政治姿勢の両面で
鳩山一郎、岸両政権に「危い面」を感じて
「冷や飯時代」に所得倍増の勉強会を立ち上げていた。
岸の安保退陣は「頭になかった」とはいえ、
池田には「政権としての準備はないけれども政策の準備は十分にあった」と振り返る。
池田評も忌憚(きたん)ない。
後藤氏が「本を読まないんだよ。だから人の言うことしか聞くものはないんだな」
「ディス・インテリと宮沢からからかわれていた」と回顧すると、
内田氏が「池田の周りには書生が議論しあうような非常に自由な雰囲気があった」「八方破れというか門戸開放で、
そこに、いろんな人が入った」と指摘する。
後藤氏も「秘書官の演出」には「限界がある」とし、
池田は「幅の広さでもっていた」と応じる。
低姿勢を体現した大平正芳官房長官らによる「チーム力」が成功の礎ということか。
白眉(はくび)は、保守の政権戦略と「野党の欠陥」を関連づけた後藤氏の分析である。
池田、佐藤両首相は、経済成長で生じる「中間層」をつかんで
「これが保守党支配の社会の中核になっていくことを考えた」と明かす。
社会党は「池田の戦術にはまって、池田が成長率がいくらだというと、
すぐそれに追随して少し違った数字をあげる」だけで、
政策的なイニシアチブを欠いたとする。
石川氏もそれが「社会党を自民党の敵でない弱小勢力にとどめた原因だ」と語るのだ。
この後に以下の文章が続く。
安倍首相は6日の年頭会見で、今年の干支(えと)である「庚子(かのえね)」には「新しい芽が伸び始める」
「これまでの継承の上に思い切って改革していく」といった意味があるとし、
祖父が仕上げた60年前の日米安保改定を実例に挙げた。
だが国内外の情勢が全面転換を兆すなか、
自民党のポスト安倍や政権交代を期す野党の人々には文字通りの「新しい芽」を意味しよう。
そしてこの記事の三日前の会食を載せた、1月11日の同紙記事「首相動静」
(10日)6時45分、東京・京橋の日本料理店「京都つゆしゃぶCHIRIRI 銀座京橋店」。曽我豪・朝日新聞編集委員、山田孝男・毎日新聞特別編集委員、小田尚・読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員、島田敏男・NHK名古屋拠点放送局長、粕谷賢之・日本テレビ取締役執行役員、石川一郎・テレビ東京ホールディングス専務取締役、政治ジャーナリストの田崎史郎氏と食事。
そう権力者と昵懇になった新聞記者の成果がこの記事だ。
次は権力者と昵懇ではない記者の一文
もの憂げな瞳、青白い肌、しゃくれたあご。
17世紀のスペイン国王フェリペ4世の顔貌(がんぼう)は、失礼を承知で申し上げれば、全体に締まりを欠く。
東京・上野の国立西洋美術館で26日まで開催中の「ハプスブルク展」で、肖像画に見入った
▼「根は善良な人ですが、もともと無気力で怠け者。国王本来の仕事に身が入らず、
スペインの凋落(ちょうらく)を加速させました」。
そう話すのは南山大名誉教授の佐竹謙一さん(70)。
評伝『浮気な国王フェリペ四世の宮廷生活』の著者である
▼国政は寵臣(ちょうしん)に丸投げ。
時間の多くを観劇や狩猟、酒宴に費やした。
なかでも情熱を注いだのが、たわむれの恋の数々。
独身既婚を問わず、侍女や修道女にまで求愛した。
王の放逸ぶりは醜聞として大衆に知れ渡り、
詩人や劇作家たちの創作の源にもなった
▼大航海時代に植民地を広げ、「太陽の沈まぬ国」として繁栄を謳歌(おうか)したのは祖父フェリペ2世のころ。
4世の治世下では版図が縮小。財政は傾き、人口も減少した。
「自国の退潮はもう国民の目にも明らかでした」と佐竹さん
▼「余に天罰を」。彼が晩年に書いた私信には苦悩の色が濃い。
反乱や飢餓、疫病が続くのは、自分の意志が弱いせいだと自責の念にかられた。
己の限界を嘆きはしたものの、国運の衰退はもはや止めるべくもなかった
▼思いはふいに現代の日本へ飛ぶ。国の借金が増えに増え、人口の減少に歯止めがきかず、
将来への不安が消えないいま、私たちはどんな為政者を必要としているのだろう。
比較しても昵懇な記者には笑えるほど骨がない。
彼にとって権力者と会食の成果はなにだったのだろうか。
追記 ここに海外の具体例も書かれている。
「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋
REMEMBER3.11