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「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋

歴代天皇陵 遥かなる京都1

もちろん京都に天皇陵は多い

子供の頃歩いて5分ほどのところに立派な「墓」があった。

なぜだか誰に聞くともなく天皇の墓だ、と理解した。京都には天皇陵は当たり前のように存在した。

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今から思うとよく前を歩いた陵は冷泉天皇陵だった。後一条天皇や陽成天皇陵もしばしば歩いている。

京都だから少し歩けば天皇陵が見える、なんて思ってた。

天皇陵は全国に127ある

宮内庁の資料によると、天皇陵は全国に124あることになっている。

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全国の天皇陵

(宮内庁のHP「天皇陵」には北朝の天皇5代は掲載がない。上図には記載)

そして天皇陵はやはり近畿に集中して多い。

北朝としての天皇5代を合わせ127代(重祚した天皇2人)の天皇陵の内、

京都府には72、奈良県には31、大阪には16の天皇陵がある。

なかでも泉涌寺には天皇陵が16ある

泉涌寺には歴代天皇の内86代後堀河天皇から121代幕末の動乱に在位した孝明天皇までの内16代の天皇陵が泉涌寺境内にある。

泉涌寺天皇陵


















天皇 崩御 陵名
第86代天皇後堀河天皇 1234 観音寺陵
第87代天皇四条天皇 1242 月輪陵
第108代天皇後水尾天皇 1680
第109代天皇明正天皇 1696
第110代天皇後光明天皇 1654
第111代天皇後西天皇 1685
第112代天皇霊元天皇 1732
第113代天皇東山天皇 1710
第114代天皇中御門天皇 1737
第115代天皇桜町天皇 1750
第116代天皇桃園天皇 1762
第117代天皇後桜町天皇 1813
第118代天皇後桃園天皇 1779
第119代天皇光格天皇 1840 後月輪陵
第120代天皇仁孝天皇 1846
第121代天皇孝明天皇 1867 後月輪東山陵
泉涌寺にある天皇陵16

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月輪陵・後月輪陵14代の天皇陵と墓

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御所と泉涌寺

泉涌寺の月輪陵を見て、近くではなく近畿から遠方に築かれた天皇陵はどのような理由なのか少し気になった。

陵墓から望む遥か彼方の御所

天皇陵の中で京都御所から一番離れた陵は山口県下関市阿弥陀寺町赤間神宮にある安徳天皇陵で、京都御所からの直線距離は459kmほどになる。

次が東京都八王子市長房町の多摩陵(大正天皇陵)武蔵野陵(昭和天皇陵)で京都御所から327kmほど、そして皇居からは44kmほどとなる。

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安徳天皇は源平の合戦、壇ノ浦の戦いで亡くなっているのでその壇ノ浦近く、下関市赤間神宮にある。

大正天皇と昭和天皇は近代になってからの陵墓で東京にある。

その次三番目に遠い陵となるとちょっと脳裡に思い浮かばない。

調べると香川県にある崇徳天皇陵だった。

崇徳天皇は保元の乱で後白河天皇方に敗れ讃岐へ流された。

保元の乱1156(保元元)年7月に皇位継承問題や摂関家の内紛により、朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分かれ、双方の衝突に至った政変である。
崇徳上皇方が敗北し、上皇は讃岐に配流された。
この朝廷の内部抗争の解決に武士の力を借りたため、武士の存在感が増し、後の約7700年に渡る武家政権へ繋がるきっかけの一つとなった。wikiより

上皇の配流は、藤原仲麻呂の乱における淳仁天皇の淡路国配流以来、およそ400年ぶりの出来事だった。
そしてその後、二度と京の地を踏むことはなく、8年後の1164(長寛2)年8月26日、46歳で崩御した。

配流された崇徳天皇『保元物語』によると、崇徳院は讃岐国での軟禁生活の中で仏教に深く傾倒して極楽往生を願い、 五部大乗経(『法華経』『華厳経』『涅槃経』『大集経』『大品般若経』)の写本作りに専念した。
それら諸本は、血や墨で書いた。諸本によって違いがある。
戦死者の供養と反省の証にと、完成した五つの写本を京の寺に収めてほしいと朝廷に差し出したところ、 後白河院は「呪詛が込められているのではないか」と疑ってこれを拒否し、写本を送り返してきた。
 これに激しく怒った崇徳院は、舌を噛み切って写本に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」 「この経を魔道に回向(えこう)す」と血で書き込んだ。
そして崩御するまで爪や髪を伸ばし続けて夜叉のような姿となった。wikiより

その陵は香川県にあり、京都御所から直線距離で185kmほどになる。

1156保元の乱
各天皇数字は生年・即位(・退位・院政)崩御の順
後三条
天皇
白河
天皇
堀河
天皇
鳥羽
天皇
崇徳
天皇
近衛
天皇
後白河
天皇
二条
天皇
六条
天皇
1034                
  1053              
34歳
1068
               
39歳
1073
20歳
1073
             
    1079            
  34歳
1087
8歳
1087
           
  院政   1103          
  28歳
1107
4歳
1107
         
      1119        
    20歳
1123
4歳
1123
       
    院政     1127    
  1129            
        1139      
      23歳
1142
3歳
1142
  1143  
      院政 16歳
1155
28歳
1155
   
     

53歳

1156

配流   31歳
1158
15歳
1158
 
        45歳
1164
  院政   1164
            22歳
1165
1歳
1165
              4歳
1168
            65歳
1192
  院政
12歳
1176

 

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185kmの距離がどれほど遠い感覚がしたのだろう。

身近な陵墓

ならば京都御所に一番近い陵墓はどこか?

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後二条天皇陵は御所から2km(2094m)と最も近くにある。歩いても30分ほどでたどり着ける。

その後二条天皇の時代は史上最多5代の上皇が存在した。

後二条天皇の時代
各天皇数字は生年・即位(・退位・院政)崩御の順
後深草
天皇
亀山
天皇
後宇多
天皇
伏見
天皇
後伏見
天皇
後二条
天皇
1243          

3歳

1246

         
  1249        

17歳

1260

11歳

1260

       
院政     1265    
  1267      
24歳
1274
7歳
1274
     
院政       1285
20歳
1287
22歳
1287
   
院政   1288  
33歳
1298
10歳
1298
 
院政 13歳
1301
16歳
1301
61歳
1304
院政  
  56歳
1305
    23歳
1308
    52歳
1317
 
    57歳
1324
   
        48歳
1336
 

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REMEMBER3.11