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人類愛と知性

イエナの大学の数学の教授

イエナの大学の教授、ゴットローブ・フレーゲ(1848-1925)は命題論理学の基礎を創った論理学者として有名である。ヴィトゲンシュタインも『論理哲学綱要』の序に、その仕事を負うところの多いただ二人の哲学者として、バートランド・ラッセルと共にフレーゲの名を挙げている。

そのフレーゲが1924年の春、日記の形式で政治社会問題についての意見を誌した文章が、最近『ドイツ哲学雑誌』に掲載された。

 その文章の存在は早くから知られていたらしいが、公刊されたのは初めてで、二人の編者による詳細な紹介と注釈が加えられている。

 「日記」(と仮に名づける)の内容は、実におどろくべきものである。

そこには狂信的な軍国主義と激しい反ユダヤ主義がある。

 1924年は、ヒトラーのミュンヘン暴動の翌年、フレーゲの死の前年である。十年ほど後にナチ政権が実行し始めた妄想を、晩年の論理学者は先取りしていたと考えないわけにはゆかない。

 第一次世界大戦の敗北からドイツが甦るためには、「社会民主主義の癌」を除き、「ユダヤ人を一掃」し、「自信を以て全軍を率いるドイツ皇帝」をみつけなければならない、と「日記」はいう。

 国民に必要なのは「祖国愛(Vaterlandsliebe)」であり、祖国愛とは「その土地への愛、それ以上にその土地に住む民族への愛、民族の強く貴き面への誇り」であると。

 この意見は、合理的でも、実証的でも、客観的でもないだろう。一方で、「尊敬すべきユダヤ人」がいることを認め、他方で、すべてのユダヤ人から市民権を奪うべきであると主張し、ドイツの国土から彼らを一掃することを願うのは、全く理屈に合わない。

 どの民族にもおそらくは「強く貴き面」がある。ドイツ国民のそれだけを強調するのは、客観的ではなく、狂信的である。

 このようなフレーゲの二面性はどう折り合っていたのか。「分析哲学の父」といわれる天才的論理学者は、いかにして同時に、「英雄主義 Heldentum」や「祖国愛」や「強力な指導者としての皇帝」という言葉を連発する極端な反動主義者になり得たのか。

 本人の説明は次のようである。

「最良の民族を決めるためには、あらかじめすべての民族を偏見なしに検討する必要があると考える者は、真の祖国愛を知らない。・・・ここでの問題は、論理的な意味での判断でも、何を真実とするかということでもなくて、内的に感情的にいかなる立場をとるかということである。感情das Gemütのみが参加し、悟性der Verstandは参加しない。あらかじめ悟性に相談することなく感情が語るのである。しかし、しばしば、このような感情のはたらきが、国家の問題を正しく合理的に判断するためには必要であるように思われる」(「日記」の1924年5月2日の条)

 しかし、しばしばこのような感情のはたらきこそは、国家の問題を誤らせた。フレーゲの二面性は、本人によれば、感情と悟性(日常的言語では理性といってもよい)の分離に由来する。論理学は純粋に理性の領域であり、そこに感情的判断の介入する余地はない(「ただし美的直感を除けば」、とつけ加えた方がよいのかもしれないが、今ではその問題に立ち入らない)

 他方、政治的領域に、数学的に厳密な論理を適用することはできない。そこで政治的社会を純粋に感情の領域とみなしたのが、フレーゲの立場である。そうではなくて、政治社会を理性に媒介され、理性的に、コントロールされた感情の領域と考えたのが、たとえばラッセルであろう。ヴィトゲンシュタインの認めた二人の哲学者の道は、ここで分かれる、と私は思う。フレーゲはビスマルクのドイツを理想とし、第一次世界大戦に復讐の戦争を考えて、ナチの思想に限りなく近づいた。

 ラッセルは第一次世界大戦に反対して平和主義の立場をとり、ナチに反対して第二次世界大戦を支持し、戦後には核兵器反対の運動に積極的であった。

 わたしはフレーゲの日記を読みながら、ハイデッガや詩人ゴットフリート・ベンのことも想い出した。彼らもまた一面では抜群の知的能力をそれぞれの著作に発揮し、他面では、少なくとも一時期に、少なくともおだやかに、ヒトラーのデマゴギーを支持した。彼らの二面はいかに関係していたのか。それは人によってちがい、フレーゲの単純明快な理性と感情の分離だけではなかった。しかし今はそれぞれの場合を詳しく検討することができない。太平洋戦争中の西田幾多郎や小林秀雄の二面性についても、さしあたりは論及を控える。参照 京都学派

 しかしフレーゲの「日記」が示唆するのは、戦時中のドイツや日本での代表的な哲学者や詩人や文芸批評家の場合にかぎらない。必ずしも戦時中でなく、必ずしも代表的な思想家ではなく、一般に多くの科学技術者において、実験室のなかでの思考の習慣と、実験室の外でのそれとの間には、もしそれを意識化してつきつめればフレーゲの理性と感情の分離に行きつくであろうところの著しい乖離があるように思われる。

 実験室のなかには、合理的な推敲があり、知的な満足がある。実験室の外では、「」あらかじめ悟性に相談することなく感性が語る」のであり、その感情の内容は時代と文化によって変化する。

 かって国家とそのイデオロギーによって操作された個人の感情生活は、今ではマス・メディアや擬似宗教やあらゆる種類の非合理主義によって操作されている。操作された感情は貧困化し、麻痺し、非人間化する。十分な予算さえ与えられれば、科学技術の研究は大きな知的満足をつくりだすのであり、その結果がいかなる人命の破壊手段であろうともそのことは無視される。

 感情の操作に対しては、どういう抵抗があり得るだろうか。それはおそらく、理性と感情の分離ではなく結合であり、結合を可能にするのは、合理的思考の内面化と同時に、人間の尊厳に対する感情の復権の他にはないだろう。

加藤周一『フレーゲの「日記」1995・5.24』

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