法然院
京都市左京区に法然院という京都としては小さな寺がある。
東山の麓。背後はすぐに山麓となる。
当時の京都(平安京)市中はいまよりもっと西にあった。
1000年頃は下図Aにあるように、都の中心は現在の京都市街の西よりにあり、鴨川から東は郊外、ほぼ原野で葬送の地だったようだ。
図A
図B
法然院は名の通り法然上人が修行をした場所で、上の図Bで右側に赤い丸で大きく囲んだエリア付近にある。
そしてここは日本史で学んだ、承元の法難 - Wikipediaの場所でもある。
承元の法難が1206年。さらにさかのぼると1177年上図Aの小さい赤丸付近で「」があった。
この俊寛の地が法然院から近かった、と思い法然院へ行く寄り道に、俊寛山荘跡へ向かった。
俊寛山荘跡
この京都一周トレイルともなっている道を進む。少し坂になっているが舗装され散歩感覚だ。
しかし10分も進むと大いに変わる。
ちょっとしたトレッキングです。特にこの近辺は、進む道は確保されているが台風の影響か倒木が多い。
20分ほどで「楼門の滝」に到着。
そしてここに俊寛山荘跡があった。
調べると
「この碑は俊寛山荘跡を示すものであるが、その根拠は碑文によれば建碑者西垣精之助の夢に出た場所であるという。」
しかしここは1935年西垣精之助氏によって建立された碑の意志を記憶しておこう。
そこで下山するつもりだったが、昔の記憶から大文字の火床まで近かった(んじゃないか)と思いさらに上を目指した。
この道は京都一周トレイルでもあるので、登山者は多い。
さらにトレイルランニングのご夫婦ともすれ違った。
この俊寛山荘跡にはそれこそ急角度の石段がある。よこに回り道が出来ているが殆どのトレッカーがこの急な石段を通る。
すれ違った高齢のご夫婦はご主人こそすっと下りて行ったが、長いスタジアムコート?を羽織った奥さんは少しふらつきながら危なっかしく下りていった。
今日はしっかり山の準備をしてこなかったが山用の靴だけは履いてきた。
そこから思った以上に歩いた。
上図でみると「俊寛」の位置ですでに距離としては大文字火床を超えている。
京都一周トレイルを行くと大文字山三角点に到着した。
*
京都一周トレイル
京都一周トレイル東山は以下の部分を通る。
京都一周トレイルは大文字三角点から俊寛山荘跡経由、霊鑑寺から法然院前の洗心橋を渡って、銀閣寺橋へと向かう。
これは下図で分かる通り、途中哲学の道のごく一部になる。
京都一周トレイルはこの哲学の道を挟むために俊寛山荘跡を経由としたのだろう。
この付近は急坂であったが、近辺の倒木の迂回等を考えると、大文字山三角点から大文字火床を経由、銀閣寺へ下りた後、銀閣寺から哲学の道を歩く方が安全だ。
とくに家族連れや高齢者にはそちらをお勧めする。
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