紙つぶて 細く永く

「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋

識者の文章

好まれるニュートラル

最近の風潮に合わせていわゆる識者の文章が変わってきた。

ともかく世の中のトレンド=右傾化には抗えない、と文章中に予防線を張る。

ここでは代表として橋本治氏の文章を取り上げる。

この文章は

昨年国会で可決されてしまった安全保障関連法案の違憲性を問う訴えが、弁護士や元裁判官を原告として裁判所に提出された。私は「ああ、よかった」と思いました。

で始まる。

少し冷めた見方で批判はしている。

だから、ニュートラルに見せるには出すぎている、という思いから方向の手直しをする。

上記法案が国会に提出されたとき「戦争法案反対!」という声が高まりました。憲法九条に反するものだから反対ということでしょうが、世界情勢の変化によって国防を考え直すことは必要である。

私は「憲法九条を変えるべきだ」とも「変える必要はない」とも言っておりません。

「それを判断するための材料がないからよく分からない」という、そこら辺に転がっている日本国民の一人なので、憲法九条に関しては、よく分かりません。

上記「憲法九条を変えるべきだ」とも「変える必要はない」とも言っておりません、

の部分が予防線で、

私はニュートラル(中立)ですよ、とあえて宣言している。

近年の識者が記する多くの文章にはここの部分が散見できる。

ただ「戦争がなくなったらいいな」という高邁な理想や、「やばいんだから、さっさと戦争放棄なんかやめちまえ」というような二択に進む前に、「むずかしいことは分からないけど、暗線保障関連法案の審議って、手続き的におかしいんじゃないの?」という疑問はもちます。

あまり引き下がりすぎると自分の主張するところと異なりすぎるので気持ち悪くなるので、違った見方ではあるが、少し揺り戻している。

なんだ結論は・・

そしてコメントは重要部分へと入る。

手続きの中に重大な意味がある、ということをすっ飛ばして「二者択一」どちらかを選べ、という方向には簡単に進むが、手続きの中に重大な意味がある。

この手続きをすっ飛ばして、たやすく二者択一に誘導する技術に長けた人を詐欺師という。

改憲イエスかノーかのようなともかく決着を早くつけろ的な議論はこの手続きの重大性を無視する。

昨年(2015年)の夏、首相補佐官なる人物(注1)が、安全保障関連法案に関して、「法的安定性なんて関係ない」と合憲であるか違憲であるかを考える必要はないといってしまう。

この「法的安定性」ということばになじみがないばかりに簡単にスルーされる。

ここがこのコラムで主張する根幹部分で、この部分は、著者である「私」が「法的安定性」注2が大変重要なのだと訴えている。

国会の前に大勢の人が集まって「反対」の声を上げることを意味がないとは思わない。

映像に流れれば多くの人が反対をしているということが見てわかる。

しかし分かるのはそのことだけで、多くの人は「これなんの騒ぎ」と思うし、「ある種の人間はああいうことやるんだよ」と切り捨てられる。

大方の日本人に「法的安定性を無視する」ということの重大性が理解されないのはしかたないこととして、だからバカな国民に代わって「法の番人」であるはずの元裁判官や弁護士には、「違憲でもかまわない」という行政に対して怒ってほしい。

反対の意志表示の仕方によっては、敵対陣営からの反論が容易いものになってしまう。

だから、知識のある元裁判官や弁護士が怒ることこそ「私」の思うところである。

つまり、戦術を考えよう、ということだ。

すでにしっかりと本音どおりの反権力側にたっての論陣を張っている。

これでニュートラルは消えた。

なにしろバカな国民は、その内閣の支持率を平気で上げているのだから。

最後に大幅に振れ「この権力」に対する明確な判断「国民のためにならない」を下している。

この揺れは文章の起承転結という意味から必要ともいえるが、お遊びが過ぎると思える。

識者といわれる人には一方的な世の流れに迎合しない培った知識を存分に語っていただきたいものだ。

注1 首相補佐官 礒崎陽輔参議院議員 大分県選挙区

調べると大変重要

注2について政府自ら以下のように述べている。

(この政府の常道でもあるが、言行不一致とはこのことだ)

第189回国会(常会)答弁書第三五〇号 内閣総理大臣 安倍 晋三憲法を始めとする法令の解釈は、
当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、
また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきものであり、
政府による憲法の解釈は、このような考え方に基づき、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものであって、
諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請を考慮すべきことは当然であるとしても、 なお、前記のような考え方を離れて政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではないと考えている。
政府の憲法解釈におけるお尋ねの「論理的整合性」とは、政府の憲法解釈がこのような論理的な追求の結果として示されたものであることを指す。
また、お尋ねの「法的安定性」とは、法の制定、改廃や、法の適用を安定的に行い、 ある行為がどのような法的効果を生ずるかが予見可能な状態をいい、人々の法秩序に対する信頼を保護する原則を指すものと考えている。
仮に、政府において、論理的整合性に留意することなく、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをするとすれば、 法的安定性を害し、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねないと考えられる。 したがって、憲法尊重擁護義務を負う国家公務員がこのような意味で法的安定性を害してはならないのは当然である。

なんだかこれを読んで情けない、しっかりしろ、というのが心情です。

橋本 治氏

1968(昭和43)年東大在学中に、「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打った東京大学駒場祭のポスターで注目される(1968年は東大紛争のさなか)

 

われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

REMEMBER3.11