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そして未来6 論を待たない

10月25日に行われた「安全保障関連法に反対する学者の会」主催「岐路に立つ日本の立憲主義・民主主義・平和主義――大学人の使命と責任を問い直す」(以下の動画参照)

学者と学生によるシンポジウム第1部(2015年10月25日) - YouTube

この中に御用学者との表現が出てくる。一体どのような学者なのだろうと想像するが、ここに現れた。以下その論(薄い色部分)と私なりの反対意見(正しい意見部分、というのではなかった黒い色部分)です。

憲法9条の解釈を閣議決定で変更し、安全保障関連法案の国会審議を強引に推し進めた安倍政権を、民主主義の破壊者だと批判する声を耳にする。ファシストといったように。気持ちは分からないわけではない。だが、それは本当に正しい認識なのか。自民党を政権の座から放逐すれば、問題は解決するのか。私には、そうは思えな」

ファシスト論は最終段でも取り上げるが、政権の交代を否認する?これが政権擁護すなわち御用学者の真髄なのだろう。
失政を犯せばその政権は投票者の意志で交代をする、当然の法理。

 なぜなら、民主党政権の政治手法もまた、程度の差こそあれ、かなり乱暴だったからである。例えば、鳩山内閣前原誠司国土交通相は、群馬県の八ツ場(やんば)ダムの建設について「マニフェストに書いてありますから中止します」と表明し、周辺住民などから猛反発を受けた。菅直人副総理は「議会制民主主義というのは期限を切ったあるレベルの独裁を認めること」と国会で述べた。

百歩譲って、現在政治を担っている体制に非があるときに、次の政権を担う人材がいないとしよう、そのような場合でも愚政に苦しむ市民は政権批判はおろか政権引き下ろしすらできないのであろうか? ともかく失政をした政権をささえた与党が議席を減らせば次の多数党に座を譲る、政治の道筋です。
この政治学者は歴史のなか「革命」で正義が実現されたこともあるという事実すら見落としているのでは

 それだけではない。政治主導を標榜(ひょうぼう)した民主党は、鳩山内閣の時期、独立性の高い機関の長として国会答弁が認められる「政府特別補佐人」から、内閣法制局長官を除外する国会改革法案の成立を図った。そこには、官僚たる内閣法制局長官ではなく、政治家が憲法解釈を行うという、今から見れば危ういねらいが存在していた。 こちらも消し去りたい過去かもしれないが、自民党はその当時、次のような正しい批判を民主党に加えていた。
憲法は、主権者である国民が政府・国会の権限を制限するための法であるという性格をもち、その解釈が、政治的恣意(しい)によって安易に変更されることは、国民主権の基本原則の観点から許されない」

ここはその通り。いまのjimintoにそっくりお渡しをしよう。

 自民党民主党は、野党になると一転して批判に回れども、民主主義に関して、ある共通した認識を抱いてきた。それは、総選挙で過半数の議席を握った政党が、首相を中心として強力な政治的リーダーシップを発揮することこそが民主主義である、という考えだ。このような考えのもとでは、国家権力の行使を憲法によって制約する立憲主義が軽視され、世論調査や抗議行動など選挙以外の回路によって表出される多様な民意が蔑(ないがし)ろにされてしまう。安倍首相の強引な政権運営は、こうした多数決主義的な民主主義の表れ、あるいはその行き過ぎとみるべきであろう。


(この手の論者の常套句 いったん論を引き次の展開へ引き込む)


 (ここから反転の開始です)その根源は、1994年以降の政治改革にある。硬性憲法を持たないイギリスがモデルとされ、小選挙区制の導入、内閣機能の強化などが段階的に進められた。まさにこの延長線上に、政治改革を主導してきた小沢一郎民主党幹事長(当時)が、内閣法制局長官の国会答弁を禁じようとしたのであった。

どのようにしても今のjimintoに責任はない、「あなたがた」に責任があるのです、といいたいらしい。

 ただし、民主党が具体的な数値を盛り込むマニフェストを掲げて選挙を戦い、実行しようとしたことは、それなりに評価されてもよい。

そこでの有権者との関係は、白紙委任的な自民党とは違って命令委任的であり、選挙に限られていたとはいえ、民意に依拠した政治主導が目指されたからだ。しかし、マニフェスト政治は失敗し、今や見る影もない。多様な民意に耳を傾け、丁寧な手続きを通じて、国民の間に幅広い合意を形成していく。
そうした民主主義への萌芽(ほうが)は、むしろマニフェスト政治の失敗が明らかになった後の民主党政権の模索のなかに見いだすことができる。
野田内閣がエネルギー政策に関して討議を通じた一般市民の意見の変化をみる討論型世論調査を実施し、首相が反原発グループとの会談に応じたことである。

彼「野田佳彦」首相については自身の信念を曲げて消費税増を決めたその非誠実さをこそ避難される。同時にjimintoのだまし討ちにあって政権を投げ出した。そのことをこそ取り上げるべきだ。

 現在、民主党は「権力の暴走を許さない。その先頭に立つ。」というスローガンを掲げ、野党の間でも来年の参院選に向けて選挙協力などが進められている。安倍自民党が民主主義の単なる破壊者なら、それで十分だが、そうではない(注)
多数決主義に基づく権力ゲームの繰り返しに終わらないためには、立憲主義と合意形成を重視する、ポスト政治改革の民主主義のビジョンが必要ではないか。
 (中北浩爾なかきた・こうじ 1968年生まれ。一橋大教授・政治学。『現代日本の政党デモクラシー』など)


*(注)ここがこのコラムで主張したいところなのだろうか。そのあとさっと転回をしている。『(安倍首相は)「民主主義の単なる破壊者」ではない』、という論を主張したいのであろう。40%弱の得票で=国民の3割の支持で得た政権で、圧倒的に違憲と判断された安保戦争法制を無理に成立させる権力者が民主主義の破壊者でないというのなら何者であるのであろうか。たんなる祖父にあこがれるだだっこ坊やとでもいえば納得するのであろうか?
1932年ワイマール憲法下における国家社会主義ドイツ労働者党 (NSDAP) の躍進となった選挙で得たナチ党の得票率は37.8%

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」