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タテカンとパロディとしての折田像

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2020折田像

 

「京都大学」とだけ署名がある「撤去要請」。要請なのに「処分します」だって。

 

京都大学の前身は大阪舎密局(せいみきょく) 1869明治2年開校、そして1889明治22年京都に第三高等中学校として移転した、とされる。

京都大学より若い京都市(1889明治22年の市制施行)には伝統というものの理解が難しいのではないか。

はじめのころ数年間の京都市長は府知事が兼務し、ようやく1898明治31年 初代市長に内貴仁三郎が就任・市役所が開庁された。

京都市長の誕生でいえば1898年。京都大学に遅れること9年。

一方1889年に第三高等学校の初代校長に就任したのが折田彦市。

折田彦市(1849~1920)薩摩に生まれ、米プリンストン大に留学キリスト教の洗礼を受けた。帰国後、旧制三高(現・京大)などの校長を30年間務めた。

記念したその像が今は吉田南構内、吉田南1号館地下(下図)に設置されている。だれでも見ることができる。

(訂正 現在折田先生は下記京都大学本部構内百周年時計台記念館に出張中らしい。)

出張中の正規折田像に代わって毎年京大入試の日にパロディ折田像が出現する。

そのパロディ折田像について大学内の一組織である旧高等教育研究開発推進機構(現国際高等教育院)から下記のような文書が発表され、無事折田先生像が役目を全うされるようにと宣言。

京都大学 高等教育研究開発推進機構 平成20年度版 折田先生像について 平成20年度版 折田先生像について 毎年、入試の時期になりますと、吉田南構内の広場に色々なキャラクターに扮した折田先生像が突如として建立されますが、今年は「てんどんまん」に扮して登場しました。
昨年はポコちゃんでした。
出来映えが素晴らしいので制作者は誰なのか、学生、卒業生、学外者等々諸説紛々ですが、全く分かっていません。
今年も出た!と楽しみにされている方がおられる一方、あのような物を置くことを許していいのかという方もおられます。
機構としましては、吉田南構内の風物詩の一つとして一定の期間状況を見守っています。
ただ、この数年は何者かによって壊されることが続いております。
悪戯なのか気に入らないのか動機は定かではありませんが、誰のものであれ創作物を壊すという行為は、最も悪質で下劣で野蛮な行為です。
今年はそのようなことがないように、無事折田先生像が役目を全うされることを望んでいます。

そんなこともあり、毎年パロディ折田先生像は設置されてから概ね1か月は学生諸君にお披露目されている。

この高等教育研究開発推進機構は大学組織の中でも最もリベラルという評価が高かった。

そんな中折田先生のひ孫が朝日新聞で下記のような重大な証言をした。

折田彦市のひ孫・折田泰宏弁護士 一族、怒っていません。
 「てんどんまん」は生で見ました。折田一族全員、落書きや現状を知っています。
誰も怒っていません。
ここまで続けば文化。
大学が微妙な形で許容しているのが、自由な気風の伝統でいい。
折田がつくった文化だと思います。風刺やユーモアを大事にして欲しい。
私は京都・市民・オンブズパースン委員会の共同代表をしています。
権威に抵抗するところに関心がある。折田が残した気風とつながっています。

風刺やユーモアの理解は教養ある人の特技だ。

ということは今の大学には教養ある人はいないのかな・・?

今年度版として再掲です。タテカンは抗わず漂流する

 

「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋

REMEMBER3.11