屋外広告物としての違反の根拠
京都市は「京都市屋外広告物等に関する条例」で市内各地域の屋外広告物の規制に乗り出した。
この規制はもちろん京都市内全般に及ぶ。
そして今回京都大学のタテカンについて違反の根拠は、
上記にある擁壁に設置された広告物に該当するということだった。
当然京都市の景観をまもるという観点から、京都市左京区にある京都大学のタテカンも「ちょっと遠慮しよし」ということで指摘されたと思える。
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京大のパロディ魂・折田先生像
京都大学は前身大阪舎密局(せいみきょく)は1869明治2年開校、そして1889明治22年京都に第三高等中学校が移転した、とされる。
ところが京都市という若い組織(1889明治22年の市制施行)には伝統というものの理解が難しいのではないか。
はじめのころ数年間の京都市長は府知事が兼務し、ようやく1898明治31年 初代市長に内貴仁三郎が就任・市役所が開庁された。京都市長の誕生でいえば1898年。京都大学に遅れること9年。
一方1889年に第三高等学校の初代校長に就任したのが折田彦市。
記念したその像が今は吉田南構内、吉田南1号館地下(下図)に設置されている。だれでも見ることができる。
訂正 現在折田先生は下記京都大学本部構内百周年時計台記念館に出張中らしい。
正規折田像は当初は現在の京大吉田南構内北門に設置されていた。
ところが、そこはそれ時代とともに権力は批判され、胸像は権威の象徴とみなされたが、しかし調べると折田先生は生徒をさん付けで呼び、一人一人校長室で将来を聞く。「放任でなく見守り」の人格重視の姿勢が、京大流「自由」の源流となる重要な教師ということが分かった。
その結果いつのころからか毎年折田像は様々な衣装を羽織り、受験生に京大流「自由」と学習心そしてパロディのセンスを訴えるようになった。その中で、
ヘルメットレーニンに変装させられ、工事用赤コーンやハトが頭に乗った。
その中で過激さが一線を越えたと目されているのが、94年の下記ヤキソバンだ。
おまけ える会長 (@orit_ter) | Twitter
これが俗にいう、ヤキソバン事件である。
三高同窓会はカンカンにおこり、先輩には逆らえない大学当局は97年「いたずらにしても限度がある」「批判精神があれば議論の余地があるが、メッセージが感じられない」「折田先生も怒っている」と像を台座ごと撤去した。
だが、人間のパロディ創作活動は無限だ。
正規折田像は保護撤去されたが、毎年京大入試日その早朝に、その跡地吉田南構内北門付近に初代校長折田先生を讃えるパロディ像が建立される。朝日新聞デジタル:【京大・折田先生像】我こそ自由の体現者 - 関西
大学当局もこのころ、1997年折田先生が出張され、少し首をかしげるパロディのセンスから解き放たれ、ほっとしたのかその後に建立されるパロディ像には寛容だった。
大学内の一組織である旧高等教育研究開発推進機構(現国際高等教育院)から下記のような文書が発表され、無事折田先生像が役目を全うされるようにと宣言。
そんなこともあり、毎年パロディ折田先生像は設置されてから概ね1か月は学生諸君にお披露目されている。
高等教育研究開発推進機構は大学組織の中でも最もリベラルという評価が高かった。
そんな中折田先生のひ孫が上記朝日新聞で下記重大な証言をした。
風刺やユーモアの理解は教養ある人の特技だ。
タテカンにつながる石垣カフェ
2004年京都大学から発表された「キャンパスアメニティ計画」で百万遍にある大学裏門(京大は東一条通りに正門がある。下図参照)付近の改修計画が発表された。下記図のように改修予定だった。
この部分の石垣はそれこそ京大のタテカンメインの場所だった。学生は反発し、2005年1月石垣カフェなるものを石垣の上に作った。
そして闘争7か月、大学側が折れてキャンパスアメニティ計画の百万遍石垣改修を当初の予定から変更し石垣は残り、その後タテカンが設置された。
現在の百万遍交差点は以下の図
この石垣カフェについては主催?した笠木氏による「石垣カフェ-遊戯的実践の空間-」と題する下記学術論文が発表されている。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24219/1/%E7%AC%A0%E6%9C%A8%E4%B8%88.pdf
氏はその中で
と述べている。
石垣カフェの時は大学側も折れた。
だが今回のタテカン騒動は笠木氏のいうように大学当局はいわば渡りに船の京都市からの行政指導であり、その船に乗ってイレギュラーなものを適切に排除できる此岸へ行ってしまったのかもしれない。
そうであれば昨日(2018年5月18日)大学当局によって再度タテカンが葬り去られたように、大学当局は何度でも「何がなされているのか分からない空間」を消滅にかかるのだろう。
タテカンは漂流する。
あほやなあ
時々、数年に一回百万遍の交差点中心で食事会が開かれる。
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市民vs権力
1000年以上権力と付き合ってきた京都の地で、磨き上げた反権力としての諧謔趣味は市民の中に伝統として備わっている。権力も当然のようにその諧謔趣味に手をかけてしまった。
今後タテカンは漂流し復活するのか・・
京都大:「立て看板」展 価値ある景観、文化的表現 市立芸大で、きょうから - 毎日新聞
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おまけ
京都市屋外広告物等に関する条例に以下の条文もある。
担当部署( 京都市:都市計画局広告景観づくり推進室 )
REMEMBER3.11