年末青春18きっぷの時期に休むことが恒例になった。
2019年12月年末は、未踏破線の七尾線と大糸線、飯山線を踏破に行った。
その5回目
M字ルート
今回のルート
乗り鉄でなければこのような経路は取らないだろうルートになった。
そして今回の白眉は大糸線。北アルプスが雪化粧をしていた時期となり、充分堪能させてもらった。
JR東日本は観光路線としての大糸線を盛んにPRしているようだが、その大糸線は南小谷駅でJR東日本とJR西日本の所有路線に分かれる。
以下は国鉄の時代の話ではあるが
JR7社分割が1987年4月であるから、旧国鉄最後の組織変更で南小谷をJR東日本と西日本の境界駅にする目的があったのだろう。
しかしこれはその時点で北陸新幹線の開通を予測できたなら、糸魚川駅まで長野鉄道管理局となっていた、そしてJR発足後、大糸線は全線JR東日本の管轄となっていたのではないか。
JR西日本未電化、JR東日本電化という路線の違いがのこっているが、今となっては松本から糸魚川間を一本の大糸線にすることが正解に思える。
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飯山線経由越後川口駅から上越線にはいった。ここからは踏破済路線。
その時乗った 上越線 は大変暑かった。
ちなみに路線名「上越線」の由来は、上州(現在の群馬県)と越後(現在の新潟県本土)を結ぶことに由来する。
なお、新潟県には上越市やそれを含む上越地方があるが、上越の由来が異なり、
上越線は上越市はおろか上越地方すら通らない。新潟県の上越線沿線は全域が中越地方である。 (Wikipedia)
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うどん県うどん会館
東京では宿をとった。
麻布十番にある香川県さぬき倶楽部
瀟洒な庭園があった。
麻布十番とあって周囲には高級高層マンションが立ち並ぶ。
翌朝麻布十番前駅からバスで着いた駅は新橋駅だった。しかしこの新橋駅は2代目とのこと。
1914年の東京駅完成により東海道本線の起点が変更され、それまでの烏森駅を新橋駅に改称して現在に至るとともに初代の新橋駅は汐留駅に改称された。
駅前に「鉄道唱歌の碑」があった。
新橋駅には「新橋駅前」バス停と「新橋駅」バス停があり、新橋駅前バス停でほとんどの乗客はが降りた。
当然私は新橋駅バス停で降りたが、駅前の交差点をぐるっと回るだけで、新橋駅前バス停にほど近いところだった。
帰りの東海道線では雪と帽子をかぶった富士が機嫌よく出迎えてくれた。 終
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REMEMBER3.11