紙つぶて 細く永く

「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋

日本の行方

夜明けのスキャット

https://www.youtube.com/watch?v=sqDCVrA6bYg

昔「夜明けのスキャット」という歌曲があった。

夜11時台に始まるラジオ番組「夜のバラード」始まりの歌曲だった。

(番組内ではスキャットのみの歌曲で使われていたようだ。それは鮮明に覚えている)

近年ピンクマルティーニとの共演でリバイバルした。上記リンクは元歌。

でもなぜか元歌がいい。

明けない夜はない

真っ暗な闇となった夜が朝日とともに夜明けを迎える。

使い古された言葉だが、明けない夜はない。

今は闇だけれど、必ず朝日がやってくる。

f:id:greengreengrass:20200224095341j:plain

これは夕陽だけれど (0^ー^0)

リインカーネーション

最近読んだ佐藤正午「月の満ち欠け」は大変面白かった。

その読後感

これはリインカーネーション、生き返るをテーマにした筋書きである。

「瑠璃も玻璃も照らせば光る」ということばがキーとなり「瑠璃の意識」を持った人間が三世代にわたり出現するという物語。

瑠璃という名の少女が3回生き返り主人公の目の前に現れる。

でも瑠璃は最初(二人目?)の「瑠璃」、青春の「瑠璃」でよかった。

そのあたりの文体は、村上春樹そっくりだ。

正直三回も瑠璃が登場すると何が何だか分からなくなり、どの瑠璃がこの瑠璃と考えることさえ億劫になる。人情というものはそんなもんだ。

したがって読んではいるが筋など関係ななくなる。まあ最後に救われることにより小説としての終着にはなっている。

山本周五郎「赤ひげ診療譚」憐れむべき人間は・・

こちらは赤ひげ。何度読んでも考えさせられる。

「すると、治療法はないのですね」

「ない」と去定は嘲笑するように首を振った。

「医術が進めば変わってくるかもしれない、だがそれでも、その個体のもっている生命力を凌ぐことはないだろう」

「医術を長い年月やっていればいるほど、医術がなさけないものだということを感ずるばかりだ、病気が起ると、ある個体はそれを克服し、別の個体は負けて倒れる、医者はその症状と経過を認めることができるし、生命力の強い個体には多少の助力をすることもできる、だが、それだけのことだ、医術にはそれ以上の能力はありゃあしない」

「現在われわれにできることで、まずやらなければならないことは、貧困と無知に対するたたかいだ、貧困と無知とに勝ってゆくことで、医術の不足を補うほかない」
「それは政治の問題だというだろう。しかし、人間を貧困のままにして置いてはならない、という箇条が一度でも示された例があるか」

去定は医術の神髄を心得ていた。

「将軍家に慶事があったのなら、罪人を放ち金穀を施与するのが当然ではないか」

「かれらは貧窮し病んでいるのです、施療の停止はそのままかれらを死へ追いおとすことです」
「乱世ならともかく、天下は泰平であり秩序もととのっている。幕府の権威は天下を押さえてゆるがず、四民は怯々とその命にたがわざらんことを怖れている」
「おれはごまかされないぞ。こんなふうに人間を愚弄し軽悔するような政治に、黙って頭をさげるほど老いぼれでもお人好しでもないんだ」

去定は力なく首を振り、右手の手首だけでなにかをぬぐい去るような動作をした。

「いやそうじゃない」
「おれにはそんなことはできない。かれらの罪は真の能力がないのに権威の座についたことと、知らなければならないことを知らないところにある」
「かれらはもっとも貧困であり、もっとも愚かな者より愚かで無知なのだ、かれらこそ憐れむべき人間どもなのだ」

ダニエル・エルズバーグ「国家機密と良心」

ディープスロートの抵抗

1969年戦争抵抗者連盟の年次総会に足を運びました。
強烈な印象を残したのがランディ・ケラーという青年でした。
ハーバード大学を卒業し、スタンフォード大学の教育局で働いていました。
(彼はサンフランシスコにあった戦争抵抗者連盟の一員)
(組織のメンバーで)残ったのは彼一人。
ケラーはいずれ獄中で仲間たちと再会できることを誇らしく思い、満足していると語りました。
(私には)これが私の祖国がたどりついた現実なのだと思えました。
同世代の最良の青年たちが、自分の人生をかけて最善の行為に訴えると、投獄の憂き目を見るのです。
理不尽な戦争に自分たちは加担しないと最大限の強さで意思をあらわす行為です。

「投獄の覚悟はできた。戦争を終結させるために、私になにができるのか」

こうした行動にどんな効果があるのかわれわれには計り知れません。
しかし可能性は常にあります。
ランディー・ケラーが徴兵センターの入口に座り込んで抗議行動を展開したとき、これで戦争を終わらせることができると確信していたわけではありません。
私のような元政府関係者に影響が及ぶとは、よもや考えていなかったことでしょう。
それでも、彼は抗議を続けました。やがて私もそこに加わり、(その結果)戦争のゆくえを左右する数々の真実を伝える役割を担ったのです。
「投獄の覚悟はできた。戦争を終結させるために、私になにができるのか」
私が思いついたのは戦争史を研究する中で知った7000頁におよぶ最高機密文書を明るみにだすことでした。

山本義隆 ある生き方

目の前には広い明るい道がある、しかしその道を選択しない生き方を選ばねばならなかった。