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「文学とはなにか」加藤周一

「文学とはなにか」加藤周一(覚え)

科学は具体的な経験の一面を抽象し、抽象化された経験は、他の同類の経験と関係づけられて分類される。このように抽象化され、分類された経験は、原則として、一定の条件のもとでくり返されるはずのものである。したがって、科学は、法則の普遍性についてかたることができるのである。

たとえば1個の具体的なレモンは、その質量・容積・位置・運動等に還元されることによって力学の対象となり、またその効用や生産費や小売価格などに還元されることによって、経済学の対象となる。

文学は具体的な経験の具体性を強調する。具体的な経験は、分類されることができない、またけっしてそのままくり返されることもない。分類の不可能な、1回限りの具体的な経験が文学の典型的な対象である。
梶井基次郎の「レモン」の経験は、その色、その肌触り、その手に感じられる重みのすべてにかかり、それを同じ質量の石によって換えることもできないし、それを同じ値段の他のレモンで換えることもできない。
彼が必要としたのは、レモン一般ではなく、いわんや個体一般でも、商品一般でもなくて、そのレモンである。

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そのレモンによる経験は、たとえ同じレモンによっても、別の日、別のところで、ふたたび経験されることのないものである。
そのレモンのそのレモンたる所以にもとづく経験-具体的で特殊な1回かぎりの経験は、科学の対象にはならない。まさに科学が成りたたぬところにおいて、文学が成りたつのである。



 

REMEMBER3.11