紙つぶて 細く永く

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先人の知恵にも松竹梅

学者というものは、普通の人より頭もよくしっかりとものを考えているのだから、間違うはずはない、と思いがちだが、学者の態度は、対象から身を引き離して、それを観察し形式論を立てるに過ぎない

という論がある。ここで「学者が間違うはずはない」=完璧だという極端な意見をそのまま信じていいか否かははなはだ疑問だとも思うが、まあ学者はわれわれ無教養人よりは数段頭は良くて間違いは少ないという程度の感じかたがこのさい涵養だ。


そして論はこう続く、

ここにもうひとつ、大事な問題が絡んでくる。それは、日本の指導的な学者や知識人などのエリート層は、多くの場合、西洋の学問を身に着けた人たちだ、という点である。西洋の近代科学の方法は、まさしく対象から距離を取り、それを観察して、論理的で形式的な帰結を得ようとする。そして、その多くは、西洋社会を対象として得られた「理論」である。それを日本社会に適用すればどうなるか。学者やエリート知識人たちの「理論」はまったく庶民の現実からはかけ離れてしまうだろう。それにもかかわらず、この方向で社会が動くなら、「理論」とは違う「現実」を生きている「ふつうの人々」はますます神経をすり減らしてゆくだろう」エリート・漱石の苦悩 西洋的理論がもたらす分断:佐伯啓思より

つまりこの論は昨年からの安保(戦争)法制をめぐって世の「指導的な学者や知識人などのエリート層」が論をめぐらした、そしてその主張は「西洋社会を対象として得られた「理論」である。それを日本社会に適用すればどうなるか。学者やエリート知識人たちの「理論」はまったく庶民の現実からはかけ離れてしまうだろう」ということをいいたいのだろう。
 ちょとまてよこの論はどこかで聞いたことのある論だ。そうだこれはなぜか特に中国政府高官がよく言う、「貴国の求められる民主主義と、われわれ中国の求める民主主義はことなるものである」を連想するのである。
 学者とて万能ではないので、まずは「学者が間違うはずはない」と思うその思い込みこそが間違いである。
 かといってその道の権威である学者ともなればわれわれより優れた知識が当然あり、その道については学者が間違うことは我々よりは少ない、ということは自明である。
 昨年に安保(戦争)法制の制定をめぐり憲法学者の多くが、「違憲」であると結論づけたことはこの論に拘わらず、間違いではない圧倒的に正しい。
 むしろ指摘の論はこのように読み替えてみればどうか。
学者や知識人の唱える理論は、
「人類社会を対象として得られた「理論」である。それを日本社会にも応用しよう。そうでなければわたしたち庶民の暮らしは人類の理想からは遠くかけ離れてしまうだろう」
 悲しいかな多くの先達が希求した民主主義、そしてその結果として現在ある手間暇のかかる民主主義以外には我々の暮らしにとってベストなものは存在しない。これになじむしかないのである。
 なじめずに拒否する方法もあるだろうが、それはそれで後は野となれ山となれというしかない。

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関連して思い出した。加藤周一に「国学の明暗」という一文がある。

橘曙覧は福井の商家の長男であったが、家産を異母弟に譲って、清貧に甘んじ、読書と歌作に専念していた。福井藩松平慶永は、野遊びの途次、側近と共に、その茅屋を訪ねたことがある(一八六五年)。慶永三十七歳、曙覧五十三歳。慶永はその印象を、館に帰ってから書き記している(「橘曙覧の家にいたる詞」、『全歌集』所収)。
 「かたちはかく貧しくみゆれど、其の心のみやびこそ、いといとしたはしけれ。おのれは富貴の身にして。大厦高堂に居て、何ひとつたらざることなけれど、むねに万巻のたくはへなく、心は寒く貧しくして、曙覧におとる事と、更に言をまたねぱ、おのづからうしろめたくて顔あからむ心地せられぬ」
 慶永はその後使者を立てて、曙覧の仕官をもとめた。曙覧は断る。「花めきてしばし見ゆるもすずな園田廬に咲けばなりけり」(621、数字は橘曙覧『全歌集』の番号、以下同じ)。藩主は固執せず、曙覧に答えて一首を贈った。「すずな園田ぶせの庵にさく花をしひてはをらじさもあらばあれ」(622の詞書)
 今日の支配者たちのなかに、その見識の慶永に匹敵する者が果たして何人居るだろうか。また今日の学者詩人のなかに、金力に屈せざること曙覧の如き人物が何人居るだろうか。(中略)
 曙覧の国学は、本居宣長の系統を引いていた。宣長国学は、古代日本語の古典の言語学と文献学を中心とし、その研究には古代人の「心」を知る必要があり、古代人の「心」を知るには勅撰集に倣って歌を作る必要があると主張していた。宣長自身も『古今集』から『新古今集』に及ぶ歌集の言葉と技法に従って歌を多作した。
曙覧の歌の第一種は、宣長流の歌を技法的に洗錬した一種の詩的マニエリスムと考えることもできるだろう。
 宣長はまたその『古事記』研究と併せて「神ながらの道」を主張した。「神ながらの道」は「あるがまま」、「おのずから成る」人情の自然である。それを『源氏物語』の美学に移せば、「もののあはれ」となるだろう。しかし人情の自然、おのずからの人情の発現は、必ずしも「あはれ」だけではなく、「あるがまま」の日常生活のあらゆる局面に見出すことができる。日常的身辺的世界の写実は、おそらくそこから遠くない。いや、むしろ武士支配層の「イデオロギー」としての儒学に対し宣長が主張した国学的世界観の根底には、松坂の商人や農民の、あるがままの日常的身辺的世界の意識化と肯定的評価があったにちがいない。そのことと曙覧の歌の第二種とは深く係るはずである。
 かくして第一種においても、第二種においても、彼の歌と国学とは無縁ではない。
宣長において著しく、平田篤胤においてさらに狂信的であった排外的民族主義は、橘曙覧の『歌集』にはどうあらわれていたか。一方で「此の国」には「かたる友見べき山水」が一つもないと嘆いていた(526)彼は、他方でその同じ国を「神国」と称んだばかりではく、「神国の神のをしへを干よろづの国にほどこせ神の国人」(680)とうたっていた。彼はまたみずから模範とした「古今集」の恋の歌の代わりに、日本刀賛美の歌を頻りに作った。
「七重にも手もて曲げなばまがるらむ蝦夷の国の太刀は剣かは」(354)
 たしかに日本刀はその切れ味と美しさにおいて素晴らしかった。しかし曙賢が生きた一九世紀にいくさの勝敗を決定したのは、もはや刀の切れ味ではなかった。それを知っていたのは、国学者曙覧ではなく、たとえば同じ福井藩橋本左内である。


すでに19世紀において日本刀はもはやその切れ味を求められることはなかったのである。

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

伊根

なぜか伊根は郷愁を抱かせる。

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油屋は昼の営業のみ

何年振りかの「こんぴらうどん」

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これは黒酢あんかけ

f:id:greengreengrass:20161127171534j:plainえび天婦羅は特大海老を目の前で揚げてくれる。
出汁は塩を使わず。大量の昆布からでる塩分のみの味付け。以下FaceBookより

FaceBookより昆布量ってます、10Lあたり、90g~98g 利尻昆布4等 平成26年の物です、特別良い品ではないので、90gも入れます、同じ4等でも 良品の時は 85gまでで十分です、箱で買うので 中身は開けるまで判りません、問屋も中身は知りません。ゲームです。 生産者は 箱に書いてありますが、連絡しても 直売していただくのは かなり難しいです。宝くじが当たったら 一度でいいから 1等の昆布が使ってみたいです、1等はバラ売りはないのでサンプルもありません。一箱当たり、だいたい5倍の価格です、京都の超高級(高級ではない)料亭で 使用されます。そうゆう世界です、オモシロイ!]

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

2016年11月19日 まだ紅葉には早かったのか

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ことしの紅葉は遅いようだ。いつもの岩倉ドクターのあと法然院真如堂辺りを巡った。

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叡山も肌を染めていた。

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疎水の鯉も紅葉狩り

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法然院

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早朝からの雨は上がっていたが、庭にはきれいに水が撒かれた。

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蹲の水面に紅葉が映っていた

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再生の木も少し成長 春は朧 まだ浅き一日 - 紙つぶて 細く永く

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真如堂

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黒谷金戒光明寺

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喫茶で一服のあと再び法然院に回った。4時で閉門 人影のない山門内

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REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

線路は続く0 鉄道年間旅客輸送量

線路は続く 目次

世界の鉄道年間旅客輸送量

少し日本の鉄道路線とその利用について考えよう。
主に世界の鉄道で採用されている鉄道利用集計は何人の乗客がどれだけの距離を乗ったかを積算する。つまり乗客数とその乗った距離の掛け算を集計し人キロという単位になる。この集計では長距離路線を保有しその路線を移動する旅客の多い中国やインド、欧州連合が当然多くなるので、日本は第4位。

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 しかし旅客輸送人数(単に鉄道改札を入った人数というものに近い)の集計では圧倒的に日本が多くなる。日本の鉄道(鉄道・ケーブル・モノレール等含む)は毎日定期で通勤する人や近郊への買い物等に出かける比較的近距離利用のひとたちが多いので改札を通過する人数のみの積算では各国に比べて相対的に多くなる。つまり日本の鉄道は多くの市民にかなり有効に活用されているのだ。その結果鉄道旅客輸送人数では他国を引き離して多くなる。日本の旅客輸送人数集計は89.9億人/年間となっている。2位がインドで65.2億人、3位ドイツ19.1億人と続く。それにしてもこの狭い国土で毎日多くの人が鉄道で動いていることが数字で現れている。

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wikipediaより


次に国土交通省が取りまとめたここ数年の旅客輸送人数の変化(指数は2010年を100する)を見てみる。ウィキペディアの資料は2008年の統計で2009年発表ということかな。下記JR東日本からの回答によると「年度」と「暦年」のちがいかもしれないとのこと。

事 項 別 業 態 別 全国計
  JR旅客会社 民鉄(JR以外)    
年度 千 人 指数 千 人 指数 千 人 指数
2008年度 8984425 101.9 13991675 101.0 22976100 101.4
2009 8840634 100.3 13883810 100.2 22724444 100.2
2010 8818311 100.0 13850700 100.0 22669011 100.0
2011 8837406 100.2 13794956 99.6 22632362 99.8
2012 8962809 101.6 14079047 101.6 23041856 101.6
2013 9146991 103.7 14459419 104.4 23606410 104.1
2014 9088121 103.1 14511730 104.8 23599851 104.1
2015 9308375 105.6 14981519 108.2 24289894 107.2
前年度比 102.4   103.2   102.9  
(数字で見る鉄道2016:運輸総合研究所)

2010年からは毎年増加傾向である。新幹線のあいつぐ開通延伸ということもあるが2010年度比4900万人の増加となっている。そういえば「インバウンド」外国人観光客の増加数百万人という数字もある。これについてはジャパンレイルパスの存在がある。  日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 2 - 紙つぶて 細く永く

備考追加 2016年11月17日 上記wikipediaに掲載されている年間旅客輸送人数はJR各社だけの数字です。というのもUICという組織は1922年の設立で日本は当時鉄道省として加盟していた(注1)。その経緯からか上記年間旅客輸送人数はJR各社の合計となっている。圧倒的に多い民鉄の数字を加算すると242.9億人となる。ちなみに上岡直見著「鉄道は誰のものか」によると、「地球上の鉄道輸送利用者の総数の六割を日本が占めている」となっている。
注1 http://bunken.rtri.or.jp/PDF/cdroms1/0004/2013/0004005763.pdf
感謝 国交省鉄道局・JR東日本から丁寧に回答いただいた。

でも凄い数字だ。

一方世界各国別鉄道総延長距離を見ると日本は11位。世界ではそう多い方ではない。つまり日本では短い鉄道路線を毎日多くの人が利用する、都市圏朝夕のラッシュを想像してもいかに詰め込んだ利用が行われているかがわかる。そのためにも、あの世界一正確な運行が必須不可欠な条件となっている。

世界・鉄道路線の総延長距離ランキング - 世界ランキングより
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日本は鉄道技術大国である。しかしその後を暗い影が追いかけてくる。
鉄道の総延長キロについていくつかの年で見てみる鉄道営業キロ推移(数字で見る鉄道2016:運輸総合研究所)

総延長キロ 年度 JR(1987までは国鉄 その他 JR比率
26181.3km
(内新幹線552.6km)
1965 20376.3km(新幹線含む) 5805.0km 77.8%
25882.0km
(内新幹線2011.8km)
1985 20478.7km(新幹線含む 5403.3km 79.1%
27496.7km
(内新幹線2620.2km)
2013 20127.1km(新幹線含む) 7369.6km 73.2%
27494.9km
(内新幹線2679.7km)
2014 20022.0km(新幹線含む) 7472.9km 72.8%

1965年は

鉄道総延長キロ26181.3km 
国鉄20376.3km 
その他(民間・第三セクター・公共交通機関)5805.0km 
国鉄(のちのJR)比率77.8% 
 

2014年になると

総延長キロは27494.9km  
JRは20022.0km  
その他が4129.6km  
JR比率は72.8% 

とJR路線総延長キロは新幹線を含めても下がってくる。
この数字からいえることは総延長距離は短くなるが旅客輸送人数は増加している。このままでは朝夕のラッシュはますます混み合い、方や閑散路線はますます廃線となってゆくことにならないだろうか。

JR在来線は「整備新幹線に加えて並行在来線を経営することは営業主体であるJRにとって過重な負担となる場合があるため、沿線全ての道府県及び市町村から同意を得た上で、整備新幹線の開業時に経営分離されることとなっています」ことから、新幹線が出来ると採算的に困難な路線はどんどん経営分離、第三セクターへと変わってゆくのです。その結果鉄道総延長キロが伸びてもJR路線はどんどん縮小されてゆきます。
またつぶやくことになったが、受け継いできた鉄道路線を採算面からのみの判断で廃線としていいのだろうか?

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 7 - へ進む

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線路は続く 目次

 

REMEMBER3.11不断の努力「民主主義を守れ」

絶えず愉快なカルル氏 続

トランプの評価もやっと少しづつ出てきたが、その評価の幅は米国大統領予備選の各メディア評とはそう変わらない。みんな資料が無くて苦慮している。その中で寺島実郎氏の以下のコメントがトランプの人となりを少し理解しやすく解説してくれている。

彼の、ビジネス界で学んだ流儀に因んで「人生を貫く価値は「ディール(取引)」だけでしょう」
まずはったりにより相手を威嚇し、相手との力関係から落としどころを学び、それで自身の結論を学んでゆく手法 もちろんその流儀に思想や哲学はない。

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取引には駆け引きが必須で、たとえば実質100円で売れればいい品物があるとすると、ビジネス界ではこれをもちろん100円では提示しない。安く見積もっても120円、2割増しから自信のある(ない?)商品なら200円か300円で提示する。これを吹っ掛けるという。交渉相手との力関係で価格が決まってくる。もちろん単なる売り手買い手だけの関係もあれば、国と国を代表する外交官まで交渉の困難度はまちまち。昔最大のセールスマンは「外交官」であると教えられた。
 ビジネス界にはこのようなジャンルの人種が多いと思うのだが、彼はその手法で幸運にもビジネス界の「より強者」に出会わずに叩きのめされることなく雪だるま式に資産を蓄えたのだ。
その手法で政治の世界に打って出た。そして今までのところ、共和党内の候補者が相手の予備選を戦い勝利、次にクリントンを相手に戦い大統領選勝利と奇跡的にうまくいった。いずれもすねに傷もつ相手で残念なことに充分な体力ではなかった。
つまり、共和党予備選では「もうお前らのような旧体制に依存する共和党首脳部を相手にはしない。われわれは忘れられたアメリカ国民を救うために戦う」と、決別されたのはどちらかというような威勢のいいはったりで、結果的に予備選で候補に選ばれなければ捨て台詞のひとつもはいて、「私の主戦場=ビジネス界にもどる」といえば済むし、もし候補になれればそれ見たことかと、相手=共和党首脳部をなびかせることができる。
同じ戦略で大統領選挙も戦った。
今度は相手候補クリントンはもちろん大手メディアや大統領選の討論会司会者等がやり玉に上がった。彼らを十把一絡げにウォール街の回し者とののしり、彼らを「エリート」(エスタブリッシュメント)として祭り上げ、「大衆」を味方に引き入れた。
ここまではビジネスの手法が生かされたがこれからは国際政治の舞台である。百戦錬磨の強者が数多くいる。その相手に氏独特のはったりが通じるか否かが試される。

いまのところ、予備選挙終盤に決別した共和党指導者層とは結果OKということで政権作成について意見交換手打ちができ、そのはったり手法が効き首脳陣もこのままではいけないときずいたようだ。
幸いにして上下両院ともに共和党が過半数となったので、共和党の指導層とうまくやって行ければという制限付きになるのだろう。
といっている尻から、ニュースで「バノン氏」起用にさざ波が立っているようだ。

【米大統領にトランプ氏】次期政権の首席戦略官に「人種差別主義者」起用 民主、共和両党内から非難の声 - 産経ニュース

大丈夫かなこの人物。


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REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

ならば『土人』と呼べますか

その認識に誰しもが驚いたであろうが、そのあまりの無知にも驚いた。
というのもかって以下のような騒ぎが国会であったからだ。
今から20年前に国会で「土人」という言葉について騒がれたことがあた。アイヌ民族を対象にした「北海道旧土人保護法」という法律がありが1997年に廃止された。
たしか廃止のいきさつはその法律用語「保護する」云々という名目での差別内容もさることながら、法律の名称にある「旧土人」そのものが差別ではないかということであった。
当時それを問われた自民党の厚生相は「差別的な響き」だと認め、「現在の社会通念に照らして適当ではない」と明快に答えていた。その結果「北海道旧土人保護法」は廃止された。
今回も同じ内閣の一員である金田法務大臣が先月の参議院法務委員会で差別用語にあたるという認識を示しており、政府内で見解が分かれている。

現在差別用語とされるものであったとしても、過去には流布していたものが歴史的にはたくさん事例がございます。そういう意味におきましても、土人であると言うことが差別であるというふうには、私は個人的に断定はできませんと、この事を強調しておきたいと思います

と述べてかれはしきりと弁明に努めているようだ。
これも文法としておかしい。
「現在差別用語とされるものであったとしても過去には流布していた」
これはつまり差別用語であることを認めている。
「そういう意味におきましても、土人であると言うことが差別であるというふうには、私は個人的に断定はできません」
ここでは否定している。
前段では「現在差別用語とされるもの」と定義しているのだ。困ったもんだ。

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彼の経歴を見てみる。

1996年の第41回衆議院議員総選挙に和歌山2区から新進党公認で立候補したが落選。1998年、第18回参議院議員通常選挙自由党公認で和歌山県選挙区から出馬する。このとき二階俊博の陣頭指揮のもとで選挙活動を行い、自由民主党現職の元法務大臣前田勲男を破り、当時最年少の31歳で初当選。これ以来、二階の庇護の元で生きる「生粋の二階派」となった。Wikipediaより

1997年上記の「旧土人法」の差別意識が国会で問題となったときには、国会議員になるべく議員秘書等で活動していた。まさしく国会の中にいた。しかし残念ながらかれの頭は秘書活動のことで一杯となり議論など聞く余地すらなかったんだ。いやそうではなく彼の頭には知識の集積などないのかもしれない。
名をきちっと書いていなかった、「鶴保庸介」沖縄担当相です。調べると私生活も話題

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豊富な人なんだ。

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

たえず愉快なカルル氏

アメリカ合州国2015年総人口310,383,948人 投票者数117,951,607人 2016年11月9日21時11分現在の投票者数
(参考 2015年日本総人口126,535,920人 2014年総選挙有権者数103,962,784人 投票者数54,743,097人 投票率52.7%)
 アメリカには戸籍が無いので選挙権資格のある年齢総数がなかなか探せない。したがって正確な投票率は出せない。
 というのも有資格者が投票するためには事前に選挙人名簿への登録が必要であり、投票率は日本なら有資格者の中の投票者で判断するが、アメリカの場合は有資格者の中の投票者なのか選挙人名簿登録者の中の投票者なのかどちらか判断しかねていた。

そんな中「アメリカンセンター」が早わかり大統領選挙というHP

早わかり「米国の選挙」- 大統領選挙|About THE USA|アメリカンセンターJAPAN

で解説をしていた。以下該当箇所

アメリカ大統領選挙実際に票を投じる有権者の割合は選挙によって異なるが、投票率は(大統領選挙ですら)他のほとんどの民主主義国より低い。1960年以降、投票率は全般的に低下し続け、1960年の64パーセントから1996年には50パーセントをかろうじて超えるところまで落ち込んだ。もっとも、前々回2008年および前回2012年の選挙では、60パーセント強まで回復している。米国の投票率が比較的低いのには、いくつか理由がある。一部の民主主義国とは違い、米国の選挙で投票するには、自分で有権者登録をしなければならない。有権者登録のプロセスは州によって若干異なる。また、投票は自由意志で行うもので、一部の国で見られるように、強制ではない、という理由 もある。選挙で選ばれる公職は、米国全体で推定100万以上あり、それらの役職を埋めるのに必要な選挙の数があまりにも多いので、有権者が疲れ、投票率の低さにつながっているという可能性もある。


いずれでカウントするにせよ、近年はそんなに高い投票率ではなかったが、今回はさらに投票率が下がったと考えられる。隠れトランプ派がここぞと投票に行き、他の有権者は事前情勢の甘さもあり投票に出向く足が遠のいた、そんなこんなで驚きの結果だ。しかし、今から思えばトランプが共和党の指導層との軋轢を越えて候補者に選出されたということ自体が、この喜劇(アメリカにとっては悲劇と思う)の幕開けだった。
 アメリカの共和党・民主党には党首がいない。つまり柔らかい組織、各州組織の連合体である。一応トップとなるのは下院院内総務。柔らかい組織ゆえに、粗い網の目を潜り抜け政治経験のない大金持ちが代表の座を射止めてしまったのだ。

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第一、政治的には二大政党の連立が長い間続いてほとんどすべての組織がその二党の系列に配分されてきた。たとえば公共住宅を手に入れるためにも就職の機会を得るためにも、二大政党のどちらかの系列を利用すれば便利である。どちらの系列にも属さない市民にはすべてが困難であった。 要するに民主主義的な制度の枠内で、圧倒的な多数党が、議会の内外の批判組織をつぶし、長く支配し続けることの危険がそこにあらわれている。
第二、経済的にみれば、90年代の失業の増大、外国人労働者の流入、企業の私有化に伴う労働市場の不安定が極右台頭の背景であろう。
第三、個人のカリスマ、弁舌に巧みで大衆の意を迎えるのに機敏な指導者が自由党を成功へ導くのに役立った。

2000年3月の加藤周一「殷鑑遠からず」より一部

トランプは、エスタブリッシュメントによって培われたアメリカの誇りを無視した政策を掲げている。方や日本では安倍首相が70年継続された憲法を無視し、意のままに政治が行える状況だ。「はやく質問しろよ」「スターになればなんでもできる」既定の「知」というものに反発する両者共通する土壌があるのではないか。

2000年3月の加藤周一「殷鑑遠からず」は次のように続く。

たしかにいくらかの(戦争)責任者の排除はあった。しかし無数の「カルル氏」(注1)は生きのびて今日に至った。ハイダー氏のナチ賛美の「失言」の反復が選挙でほとんど27%の票を獲得するために障害とならなかったことはおどろくにあたらない。  もちろんオーストリアは「ヨーロッパ」の小国であり、日本は極東に孤立した大国である。そのちがいは大きい。しかしその遠い国と我が国の間には、必ずしも「愉快」ではない共通の経験と状況がありそうに思われる。豊かな社会の自己満足のなかで過去を忘れ去ることはできない。
注1 「カルル氏」はウィーンの政治的キャバレーで活躍したクバルティンガーの風刺一人芝居の主人公でドイツオーストリア合併(1938年)でナチが来ればナチを歓迎し、大戦後四国(ソ連・英・米・仏)占領軍が来ればそこでも上手に立ち回り、たえず「愉快に」暮す。かれは土地の方言を話し、学校のようなドイツ語は話さない。ブルク劇場に足を踏み入れたことはなく、国立劇場や演奏会場へ行くこともない。ケルントナー通りのカフェーや酒場で飲むことはなく、環状道路の外側の住居の近くの居酒屋へ行き何人もの仲間と立ちながらしゃべり、飲み、食べることもある。

これで案外日本と米国はより深い関係になるのかな。
続もあります 絶えず愉快なカルル氏 続 - 紙つぶて 細く永く

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

まだ浅き紅葉

美山きたむらの蕎麦。大勢の人、つけ麺風に食べるのかそばつゆは冬季用に暖かいつゆ。少し味が決まていなかった。平飼の鶏肉入りのためか・・。f:id:greengreengrass:20161106183246j:plain

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紅葉にはまだ早く赤く染まっているのはちらほら。それにしても美山は最近観光客が多くなった。f:id:greengreengrass:20161106182952j:plain

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