紙つぶて 細く永く

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あれから75年の夏

姨捨

姨捨駅近くに棚田がある。

長く日本人の主食となった米を作り、平地を耕し、田を求めて稲田を丘に求め棚田になった。

4度目、その姥捨駅を訪問。近くにある棚田に行った。

暑い夏しかも快晴の下、松本から列車で9時29分着、周辺を歩き10時19分発に乗った。

湿度はそう高くなかったのだろう、半端なく汗をかいたが気持ち良い散策だった。

カメラポイントを探しながら、稲の生育を見に来た人に尋ねた。

「私はここからみるこの景色が一番だと思う」と説得された。下記はそこからの一枚。

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その姨捨からはるか千曲川の向こうに上田市を望む。

無言館

その後上田市山王山にある無言館に行った。

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丸窓の名残、上田電鉄別所線に乗り、塩田町駅へ。

通常運行されている、「鎌倉シャトルバス」は今年度運休となっているので駅からはタクシーを手配。

上田電鉄塩田町駅からタクシーで15分ほど。

小高い丘山王山に無言館はあった。

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無言館は戦争のために、語れなくなった無念の人間(若者)の残した絵画により無言の情念を発信する。

75年の月日を越えわれわれに問いかけるかれらの思い。

召集令状を手に絵の具が切れる最後まで絵筆を握りしめ書きつづけた絵に対する思いは、計り知れない。

光を伝えるから、闇が際立つ

暑かったが歩いた。

潮田町駅からのタクシーでたどり着き、運転手のちょっとした扱いにタクシーは止めようと感じ、帰りは歩こうと思った。

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絵画を見ながら、無念の本人に思いを馳せるがその絵画を守り続けた家族の暗く深い悲しみも戦後75年の時と共に忘れてはならない。

深い悲しみを秘めた絵画を見た後であったが、こころは青空のようにあかるく30分ほど歩いた。


上田電鉄も昨年の台風で鉄橋が流され、上田駅から城下駅の間が代行バス運転となっている。

無言館までのシャトルバスもその影響を受け今年度運行中止が決まっている。

上記のタクシー運転手に言わせると、「多分再開はないでしょう」とのことだ。

戦後75年無言館も遠くなるのかもしれない。

 

 

「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋

REMEMBER3.11