紙つぶて 細く永く

「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋

橋下君の隠した主張

「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけてはしっていくときに、精神的にも高ぶっている
猛者集団を休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度は必要ということは誰だってわかる」

橋下君のいいたいことは隠れているんだ。
この文章にわずかに現れている、
「命をかけてはしっていくときに、精神的にも高ぶっている猛者集団」
にかれの主張の焦点が合っている。
「猛者集団」は命をかけてはしっていく、
この「猛者集団」は必要である、
「猛者集団」は精神的にも高ぶっている、
この「猛者集団」に休息を、
この「猛者集団」に慰安婦を、
かれの主張は「猛者集団」を至上に讃えたいことからの発想なんだ。

その後の相手のわずかな誤謬をついて反論することは、(彼もそうである弁護士にとって)日常茶飯事なんだ。
またこの「猛者集団」に休息を与えるのが「パチンコ」でもよかったんだ。
しかし彼の、極論一点主義からつい(自らが信じている)「性による解決を」となったんだ。
いや違うか、
かれの主張は河野談話を「猛者集団」にたいする「侮蔑」と受け取り、
そのことが耐えられなかったんだ。

この時代に「猛者集団」=アンシャンレジームを賞賛するアナクロニズムなんだろう。

以下「敗戦後論」-加藤典洋-より抜粋

敗戦後論」-加藤典洋- 戦後という時間は敗戦国によってこそ濃密に生きられる。 アメリカで今、戦後といえばヴェトナム戦争以後であり、 ヴェトナム戦争はかの国にとっての有史以来初めての負けいくさだった。 ヴェトナム戦争の傷は、一つにはその戦争が「正義」を標榜したにもかかわらず、 「義」のない戦争であったことからきている。
  • 来週勝利者たちは記念式典のためにノルマンディーの戦場跡に集う。
  • わが国では(参加を希望していたにもかかわらず招待状がとどかなかった)
  • コール首相の式典不参加をめぐって当惑した議論が行われた。
  • 我々ドイツ人にとって、Dデー(ノルマンディー上陸作戦決行日)は、 いずれにせよ、いくつかの痛みにみちた見解に決着を与えるためのきっかけである。
  • 第一の見解はなかでももっとも辛いものだ。
  • 我々が今日、享受している自由や民主主義や繁栄は、 40年前に連合軍がアドルフ・ヒトラー第三帝国への突撃を試みていなかったら、ありえなかった。
  • つまりそれは、我々に対しては、まず外からトータルな崩壊が押しつけられなければならなかった、
という見解である。(Dデー-賽が投げられた日「ディ・ツァイト」1984年6月1日号)

 

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