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日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 61 下灘の夕日を訪ねて3

松山城

歩くのが好きだから、丘の上松山城も歩いた。

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ロープウェイで上ることもできる

松山城は桜の時期。

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加藤嘉明
松山藩から会津藩松山城の創設者は加藤嘉明です。嘉明は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、20才の時に賤ヶ岳の合戦において(の活躍で)七本槍の一人としても有名です。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められて20万石となります。
そこで嘉明は同7年に道後平野の中枢部にある勝山に城郭を築くため、普請奉行に足立重信を命じて地割を行い工事に着手し、翌8年(1603)10月に嘉明は居を新城下に移し、初めて松山という名称が公にされました。
その後も工事は継続され、四半世紀の後にようやく完成します。 当時の天守は五重で偉観を誇ります。
しかし嘉明は松山にあること25年、寛永4年(1627)に会津へ転封されることになりました。<ここまで松山城HPより>

 

その後の会津藩

会津では加藤家のあと松平家会津藩主となる。会津藩には幕末最後の悲劇といっていい悲しい歴史がある。
松平容保は1862年(戊辰戦争から6年前)京都守護職として京都に入る。紫雲山金戒光明寺をその本営とした。その後「新選組」がその配下となり、新選組は「その苛烈な白刃によって都の大路小路に屍をさらした長州人や長州系の浪人はおびただしく」暴虐を尽くした。
その恨みは新選組よりも会津藩に向けられた。
その結果、明治政府は降伏した会津藩を藩ぐるみ流刑に処するように下北半島に送り、斗南藩とした。

寒冷の火山山地に1万四千人以上の人々が移り住んだ。藩士の暮らしは赤貧というような生易しいものではなく、「伏するに褥なく、耕すに鍬なく、まこと乞食にも劣る有様にて草の根を噛み、氷点下二十度の寒風に筵を張りて生き長らえた(会津人・柴五郎の遺書)」

 

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松山城は陽のあたりがいいのだろうか桜はほぼ満開だったが、下山すると桜はまだだった。

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一気にあるいて下山、そのまま松山駅まで行った。

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松山城HPより

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松山城遠景

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松山城天守に上るなどかなり時間を過ごしたようだが、松山駅に着いた時は丁度12時だった。

 

「愛ある伊予灘線」

午後1時過ぎに伊予大洲行があるので少し早いが伊予大洲に行く。

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松山から伊予大洲ルートは線路が2系統ある。

内子経由の内陸ルートと「愛ある伊予灘線」と名付けられた海岸ルート。

途中の下灘は当然「愛ある伊予灘線」にある。乗車した4921D13時02分発はこの海岸沿いを走る。

そして下灘は一旦通り過ぎ、伊予大洲まで行く。

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予讃線内子線

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下灘付近
下灘の夕日を目ざして5
着時刻 発時刻 番線 松山から
松山(愛媛)   13:02 3 0.0km
市坪 13:06 13:07   3.5km
北伊予 13:10 13:12   5.9km
伊予横田 13:15 13:16   8.6km
鳥ノ木 13:18 13:18   10.4km
伊予市 13:20 13:23   11.6km
向井原 13:26 13:27   14.1km
高野川 13:33 13:33   19.5km
伊予上灘 13:37 13:38   22.7km
下灘 13:44 13:44   28.0km
13:48 13:48   30.6km
喜多灘 13:52 13:53   33.8km
伊予長浜 13:59 14:13   38.7km
伊予出石 14:17 14:18   41.5km
伊予白滝 14:23 14:25   44.9km
八多喜 14:28 14:29   47.3km
春賀 14:31 14:32   49.0km
五郎 14:35 14:35   51.3km
伊予大洲 14:40     55.1km
運転日:全日

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2017/18年JRの決算より
  • JR北海道
    2017年度赤字「▲525億7600万円」
    2018年度赤字「▲559億8200万円」
  • JR四国
    2017年度赤字「▲119億0900万円」
    2018年度赤字「▲123億3300万円」
  • JR東海
    2017年度利益額「5870億円」
    2018年度利益額「6127億8400万円」
    (2018年リニア新幹線関連投資額2500億円)

REMEMBER3.11