青春18きっぷの旅 東北を巡る
鶴岡を出発し東北横断です。朝8時過ぎ鶴岡駅案内所「みどりの窓口」で気仙沼まで行けるかと問合せした。
なんなく時刻表を確認し「行けますよ」との返事。丁寧に乗り継ぎ列車の時刻表を印刷し手渡してくれた。
陸羽西線で新庄、新庄から陸羽東線で小牛田(こごた)、小牛田から石巻線で前谷地(まえやち)乗り換え気仙沼着となっている。
しかし列車の接続から鶴岡9時過ぎ発で気仙沼着の時間は17時過ぎとなっている。
仙台宿泊という予定からこの時間では仙台着がかなり遅くなる。
急遽変更で小牛田から石巻線で石巻へ行くことにした。これなら石巻着が午後3時頃になる。
それでも鶴岡は9時30分出発。それまでの間に鶴岡で土産を買うことにした。
鶴岡から陸羽西・東線線経由石巻 | |||||||
路 線 |
羽越線 | 陸羽東線 | |||||
陸羽西線 | 石巻線 | ||||||
東北線 | |||||||
駅 滞在 時間 |
鶴岡
|
余目
03 |
新庄
30 |
鳴子温泉
35 |
仙台
|
小牛田
26 |
石巻
|
9時 | 30 | 223 M |
|||||
10時 | 31 | 01 | |||||
04 | 156 D |
||||||
50 | 54 | ||||||
11時 | 24 | 726 D |
|||||
12時 | 1h 04 |
28 | |||||
13時 | 03 | 1736 D |
|||||
14時 | 1h |
03 | |||||
29 | 1639 D |
||||||
15時 | 38 | 07 | |||||
16時 | |||||||
17時 | 1642 D |
12 | |||||
51 | 39 | ||||||
18時 | 2582 M |
00 | |||||
48 | 48 | ||||||
駅 滞在 時間 |
鶴岡
|
余目
05 |
新庄
15 |
鳴子温泉
06 |
仙台
52 |
小牛田
13 |
石巻
|
区間 km |
15.3 | 49.2 | 27.9 | ||||
47.3 | 44.9 | ||||||
43.2 | |||||||
所要 分 |
31 | 1h04 | 38 | ||||
50 | 60 | ||||||
48 | |||||||
時速 km |
29.6 | 46.1 | 44.1 | ||||
56.8 | 44.9 | ||||||
54.0 | |||||||
停車 駅数 |
3 | 12 | 7 | ||||
9 | 14 | ||||||
11 | |||||||
駅間 km |
5.1 | 4.1 | 4.0 | ||||
5.3 | 3.2 | ||||||
3.9 | |||||||
駅間 分 |
10'20" | 5'20" | 5'25" | ||||
5'33" | 4'17" | ||||||
4'22" |
鶴岡から羽越本線で余目駅へ、余目からは陸羽西線が最上川沿いに新庄まで走っている。
この辺りが青春18キップの悲しいところかもしれないが、つい次の列車との接続を気にして沿線を十分愉しむことができない。
まだ知らない新庄から先の接続を考えながら、ついにあの「五月雨を集めて速し最上川」を見なかった。
*
新庄は山形新幹線の終着駅
小さな駅に山形新幹線用のE3系1000番台が停まっていた。流線型の正しく新幹線という顔である。
新庄で陸羽東線への接続時間は30分。昼食は弁当を買った。「紅花の里」「みちのく弁当のたび」
買い求めてから気がついたがどちらかに米沢牛が入っており、初めて米沢牛を食したが大変うまかった。
新庄からは新幹線?を少し走りやがて陸羽東線は分かれる。眼を凝らして2重線路になっていないかを眺め続けた。
新幹線は広軌、在来線は狭軌という意識があるのでひょっとして線路が3本見えるのではと考えた。
(帰宅したあと調べるが、どうやら新庄には広軌と狭軌2種類の線路が別ルートで乗り入れているらしい。山形新幹線では福島から新庄間は広軌となっている。
地図の上で陸羽東線は山形新幹線と同じ線路の上を走っているように見えるが、陸羽東線と山形新幹線の線路は別らしい。蔵王~山形間は、貨物列車が入線するため、下り線のみ、狭軌にも標準軌にも対応した3線軌条となっていたが後に廃止との記述もあり
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8B%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9Al参照)
*
やがて陸羽東線は赤倉温泉や中山平温泉を過ぎ鳴子温泉に入る。この路線の愛称は「奥の細道・湯けむりライン」というそうだ
鳴子温泉で一息入れる。変わったところでは「早稲田桟敷湯」という場違いな湯宿があった。
東京早稲田大学の名前である。予想できるように早稲田の学生が掘り当てたという。
ひなびた(というよりくたびれた)あのこけしで有名な鳴子温泉に少し失望し後にした。
*
小牛田(こごたと読みます)に到着。ここから石巻線に乗り換えです。しかし実感はそのまま仙台へ行く人が多いという印象です。後で石巻から小牛田に引き返しそして仙台へ向かいます。
石巻-仙台間の仙石線が東日本大震災の津波で今でも寸断されています。開通の見込みがない旨の表示。時刻表にも石巻から仙台への仙石線直通列車はありません(通勤に利用する人のためか三角形の2辺のように走る小牛田経由の直通列車が運行されています)
*
石巻に到着しました。駅からどちらに向かって進めばいいのかわかりません。石巻は太平洋に面しているのではなく、内湾になって町が作られています。
あの石の森章太郎が宮城県出身ということもあり、石巻で石の森アニメのキャラクターが林立しています。私は不徳にもアニメに詳しくないので・・
とりあえずバスに乗り石巻漁港へ向かった。駅前から路線を進む、車窓から営業している店もあるが、津波の影響か半壊している家屋もまばらに見える。
漁港ということで当然バスは外海に向かう。20分ほどで石巻漁港に到着。バスを降り、海に向かった。
何もなかった。
広い道路に沿った歩道には草が植え、ほとんど人が通らない。
一区画を歩いてみたが人に逢うこともなく、信号機だけが動いていた。
戻りかけたときに中学校の脇をとおった。
体育館から部活の中学生らしき声が聞こえた。声は元気だった。校門は潰れていた。一階の窓にはベニヤが打ち付けられ、授業ができる姿ではなかった。バスで漁港に来る途中に小学校らしき校舎もみえたが、やはり一階の窓にのみベニヤが打ち付けられていた。津波の影響だろう。
中には建築中という表示板が掛かったまま被災にあいそのまま放置された店舗もある。
ほとんど一区画を回りきった所で、ふと墓地が目に付いた。数百基に上る墓地である。
大半が真新しい墓石。津波の犠牲者が祀られているのかもしれない。
それを見て悲しかった。
*
石巻の歩道には草が植え、学校も復旧が進まず、静かに信号だけが動き、中学生の元気な声と、林立するアニメ像とベニヤ板、復旧した家よりも多い真新しい墓石。
なによりも静かで時がゆっくりと進む町だった。
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