紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は旧Blog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

また富山、そして只見線 その4

只見線はガタゴトとのんびりした音を立て、山岳地域から会津盆地に入った。只見線会津で終わる。
 盆地ではやや速度を速め目的地会津若松を目指した。
その会津若松はお殿様の雰囲気がいまだに漂う歴史を抱いた町だった。

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当初会津若松ではただ泊まるだけを考え駅前のホテルを予約していたが、気が変わり東山温泉に変更した。
 駅到着が17時19分。駅前から「あかべえ」「ハイカラさん」という名称の周遊バスがでている。これに乗れば東山温泉に着く。
 あかべえの運行は17時までということで、きょうはボンネットバス「ハイカラさん」に乗る。

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東山温泉まで37分。着いた時、あたりはすっかり暗くなっていた。

東山温泉は会津の奥座敷という。会津の殿様もあの小原庄助さんも朝湯に入ったといういわれのある温泉。

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東山温泉にある向滝玄関は国の登録有形文化財  国指定文化財等データベース:詳細解説


しかし今回は近くの新滝に宿泊した。この辺りは一連の由緒ある木造建築が多い。

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話は変わり伊東正義会津出身

1989年 リクルート事件で竹下首相が退陣 当時自民党所属議員だった伊東正義に総裁就任の依頼が来た。金権腐敗に縁のない清廉さを買われて総裁を要請された。
 彼は、就任の条件として、竹下首相、中曽根前首相、安倍幹事長ら役職だけでなく、リクルート事件に関与した党幹部全員の引責辞任を求め、
「一度 議員バッジを外し、けじめをつけるべき」と迫ったが、保身を図るだけで誰1人として責を取る者はいなかった。
 そして、
  「本の表紙を変えても、中身を変えなければ駄目だ」
と苦言を呈し、総裁就任をかたくなに断った。
 彼は寡黙だったが、後日母校「会津高等学校百年史」に、
  「信念を貫いて行動したものであり、いささかも恥じることではありません。
   世渡りは下手ですが、一人くらい愚直な人間がいても良いと思っております」

と心境を語っている。
 われもわれもと総裁=総理を目指す輩が多い時代に「奇異」な視点で、初めて「会津魂」に接した。

もう一つ
2代将軍徳川秀忠(とくがわ・ひでただ)の子、会津藩祖の保科正之(ほしな・まさゆき)が会津に入封したのは、 366年も前のこと。
保科正之は一時出羽の国20万石の領主でもあった。

東北2回目の旅 その4 - 紙つぶて 細く永く


 保科は3代藩主から松平姓になった。
 藩士の子弟に会津魂を育んだ7カ条の「什(じゅう)の掟(おきて)」は、今も子どもたちに教えられている。
 「うそを言うてはなりませぬ」「弱い者をいじめてはなりませぬ」……。最後の一節が「ならぬことはならぬものです」。
 その会津藩13代当主の保定(もりさだ)(83)は2年前、磐梯山猪苗代湖に臨むマンションに、妻と2人で移り住んだ。近くに藩祖の墓がある。
 東京で生まれ育ち、大学を卒業して、農林中央金庫に29年、勤めた。
 あまり知られていない話がある。
 保定は定年退職後、人柄を見込まれ、あの「靖国神社宮司に」と打診があった。辞退したが、「どうしても」と要請された。
 靖国神社は、戊辰戦争での新政府軍側の戦没者を慰霊したのが、その始まりである。  他の神社ならともかく、最終的に断った。
 「薩長がまつられ、賊軍とされた会津の戦死者がまつられていないのに、会津人としてお受けするわけにはまいりません」
 ならぬことは、ならぬ。会津はいまもなお戊辰の残照の中にある。

asahi.com(朝日新聞社):ならぬ事はならぬ 会津魂 - ニッポン人脈記
今宵はそんな会津の中である。

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こづゆは会津の郷土料理、これが美味しかった。
こづゆには小さな麩が入っている。それにしてもすっきり腹に収まる夕食だった。

その夜と朝に三つの温泉に浸かった。朝湯ではやけに京都に詳しいビジネスマンらしきおじさんと一緒だった。
 東山温泉の話から、この地には芸妓さんがいるという話になり、京都祇園にも負けない芸妓と尾ひれがひろがった。京都府府議会初代議長は会津出身だった、とも教えられた。山本覚馬 - Wikipedia

そういえば最後の京都所司代会津の殿様だった。無骨な会津とはんなり京都は会わないようで会うのかもしれない。

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