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紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は元のBlog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

東北2回目の旅 その4

東北2回目の旅 その4回目


そして秋田から新庄に20時44分に着いた。
駅で様子を伺うと山形まで正に「かろうじて」動いているらしい。
山形まで行くことにしたが先日の信号機故障の影響で時間が定まらない。
とりあえず東京に近づこうと山形行きの列車に乗った。
たしか時刻もダイヤ通りでなく21時頃に出発する列車だった。
新庄から山形駅近くまでは相当のスピードで走るのだが、しかし悲しいことに山形市内に入った付近から、信号機や遮断機が作動していない(夜間にもかかわらず赤色灯が点いていない)
列車のスピードは歩くようなスピードに変わり、各踏切にはガードマンが立っていた。
(遮断機を人力で操作しているのかも?)
おかげで山形駅着は午後9時30分ころになった。
駅近くのラーメン屋で夕食その後駅前のホテルになんとか転がり込みました。
このラーメンが旨かった「修ちゃんラーメン」という、ビジネス帰りのサラリーマンで溢れていた。

翌日は山形から東京までの予定なので時間もゆったりとれる。
霞城(かじょう)と呼ばれる山形城を散策

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7月完成したばかりの「一文字門」
http://yamagata-np.jp/news/201305/06/kj_2013050600116.php
(霞城の名は、慶長5年(1600年)の出羽合戦で、城を霞が取り巻いて上杉景勝の武将、直江兼続の軍勢から守ったことに由来するという)
最上義光長谷堂城の戦い(下記参照)の戦功により57万石の大名となった。
http://www.k2.dion.ne.jp/~markhor/image/GL/PHOTO/hasedo/hasedo.html


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それから200年の間禄高はみるみる減少し1845年水野忠精の時には5万石となっていたそうだ。
そこで山形を最も隆盛させたとして最上義光が今も慕われているようだ。
(途中1636年、後に会津藩主でおなじみの保科正之が20万石で領主となっている)

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今は駅前に霞城セントラルという24階建ての新しいビル等はじめ近代的な町並みとなっている。
24階からの展望は山形平野が見渡せた。
地元の保育園だろうか数人毎ににわかれにぎやかに先生が記念写真をとっていた。
山形から仙台までは列車で1時間少し、仙台エリアに吸収されない適度な距離を保っている。
「山形」は歴史ある独自の街をつくっていた。
(戻る 東北2回目の旅その3
http://greengrass.blog.ocn.ne.jp/blog/2013/10/2_3_53c4.html)