アメリカの悲劇
1963年の衛星放送によってケネディの暗殺が報じられた。
その日は、兄と二人テレビを注視していた。
オリンピックを前にして、初めて実施される太平洋をまたいだ衛星放送から流れる意外なニュース映像をリアルタイムで見ながら、冷戦下アメリカは、日本はそして世界はどうなるのだろうと不安を抱いた。
英語の通訳をしていた父の影響から、「進駐軍」という言葉とともにアメリカというものが周辺からやがては頭の中に入って来ていたころだ。
ジャックルビーという人物が、ケネディ暗殺単独犯として緊急逮捕されたオズワルドを射殺するなど思わぬ展開と、それにも関わらず深い闇、それに対するアメリカの戸惑いが強く頭に残った。
*
一説によると、米国大統領制というものは制度として相当強靭なもので、国をあげて大統領自身はともかく「大統領制」を支えるという性格のものだと聞いた。
それゆえかケネディが暗殺され副大統領のジョンソンが大統領に着き、曲りなりにもアメリカの大統領制を通して格は落ちたが秩序は維持された。
そのジョンソンもベトナム戦争についていろいろ批判が噴出した結果2期目はなかった。
その後に大統領となったニクソンは、2期目の途中で屈辱的な辞任となり、大統領制でも守られない唯一の大統領だった。
*
例外はあるものの大統領として才能のない凡人であろうと、多少の強権者であろうと、その大統領としての職にふさわしくないと最終判断されるまでは、大統領制の強い庇護下にあるということになる。
しかし、一方でアメリカには大統領弾劾という大統領制と同等に強い自浄作用がある。
その任にあるマラー特別検察官が捜査を進め、CNNでは11月9日
「司法省当局者らの間では、特別検察官の捜査が終わりに近づきつつあるとの見方が出ている。複数の情報筋はCNNの取材に、マラー氏側が捜査の最終報告書をまとめる作業に着手したと明かした」
と報じられている。
ニクソンの例を持ち出すまでもなく、唯一大統領に肉薄するその特別検察官制度はアメリカ国民の意を実現するのであろうか?
*
日本の悲劇
おまたせしました。ここから日本です。
その日本の悲劇は、法の不備で、強力になった内閣総理の権限を野放しにしていることだ。
獅子身中の虫となるはずだった、河野某外務大臣などの体たらくは、こんなにも豹変するかと、きっと腎移植で救われた親も嘆いている事だろう。
腎とともに正義に包まれた良識も一緒に移植したのではいかと今の外科手術を恨みたくもなる・・
冗談はさておき、ちかごろはテレビに(注)さんの顔がうつると無意識にチャンネルを変える人もふえているそうだ。
誰が鈴をつけるか、自民党内のネズミたちはおとなしい。
この輩に期待しても無駄だ。
司法制度の検察は、森友問題での財務省の公文書改ざんで明らかなように、大阪特捜部はじめ幇間ばかりだ。
大阪特捜部一検事(と思われる)のリークがあっても「ディープスロート」にはなりえなかった。
となると日本の特別検察官はどこにいるのだろう・・
(注) この字も作ったがどっちだろうな
「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋
REMEMBER3.11