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そして未来5

加藤周一「国の犯罪」という一文から。

ドイツ占領下にあったフランスでは北部はドイツ軍が直接に統治し、南部ではヴィシーのフランス政府が占領軍に協力していた。その協力は強制されたものでやむを得なかった、というのが、今までフランスで広く信じられてきた説明でありフランス側からの自発的で積極的な協力を戦後のフランス政府が公式に認めたこともなかった。しかるに最近、当時の独仏両側の資料によって、フランス政府の側からの積極的な協力をあきらかにし、フランスの冒した犯罪を直視しようという運動がおこってきた。「ヴェル・ディーヴ42」という委員会の組織した記念集会があり大統領も(Blog注これがかかれた当時から)50年前の事件に、恒例の「7月14日演説」の中で、言及するまでになった。フランスは何をしたのか。
1942年7月16日パリ警視庁は調査していたユダヤ人の住居を、憲兵・警察官などフランス側の官憲4500人で早朝一斉に襲い、(彼らを)バスに積み込んで、パリ市内の大競輪場(通称ヴェル・ディーヴ)へ集めた。ユダヤ人たちは、そこからアウシュヴィッツその他の強制収容所へ送られたのである。ドイツの秘密警察「ゲシュタポ」の側は、16歳以下の子供の逮捕を望んでいなかったという。子供たちの逮捕を主張したのは、ヴィシー政府であり、それを実行したのはフランス側の官憲である。収容された総勢7000人の抑留者のなかの4051人は子供であった。7月21日から9月9日までの間に、強制収容所に送られた。彼らのなかで生き残った者は一人もいない。
「ヴェル・ディーヴ」の子供たちの殺害はあきらかに「強いられた」犯罪ではなくて、フランス側においても自発的な、まさに独仏両国の共同の犯罪であった。「ヴェル・ディーヴ」の真相を知って衝撃を受けたフランスの反応の一つは、国家の連続性についての議論である。一方には、ヴィシー政権と今日のフランス共和国の断絶説がある。ミッテラン大統領もいったように、前者の否定の上に後者が成りたった。独軍占領下で、ヴィシー政府と対独協力者のフランスに対し戦いつづけたドゥ・ゴール政府の立場からいえば、したがってその延長上にある今日の共和国からみれば、ペタンの政権は、非合法権力にすぎない。彼らの犯罪は、フランス共和国の犯罪ではない、ということになる。この議論には、相当の法的根拠があるだろう。
しかし、他方には、連続説もある。ヴィシー政府の行政は、フランス本土の全体とそこに住むフランス人の圧倒的多数に及んでいて、その国土・国民・行政機構はそのまま共和国に引きつがれた。ヴィシー政権の国は、法的には他国でも、実質的にはフランスである。フランスが冒した犯罪は、今日のフランスがそれを直視して責任をとらなければならない、ということになるだろう。
国家が犯罪を冒せば、どうなるか。犯罪を冒した国が、そのまま今日まで続いている場合もあり、犯罪を冒した国と今日の国との間に連続と断絶の両面のある場合もある。国土と国民とは連続していても、国家権力の、指導者と制度と価値観に、時と場合によって異なる程度の断絶があり得るからである。断絶の程度が高ければ、過去の犯罪の責任は軽く、低ければ重いだろう。また逆に自国の過去の犯罪をあきらかにし、その責任をあきらかにすればするほど、過去との断絶は強められる。犯罪を冒した主体と、犯罪を糾弾する主体との、少なくとも価値観の上でのちがいが、協調されるからである。
今日のフランスは、その指導者たちを「抵抗」の側からひきついできて、ナチ・ドイツとの協力者の側からひきついだのではない。その意味でヴィシー体制からの断絶があって、しかもヴィシー体制の下でのフランスの犯罪の事実を認めることは、現在の体制の理想を、傷つけるのではなく、確かめることである。
同じ構造は、あらゆる機会にナチの過去を直視して、その責任をとろうとしてきた戦後のドイツにもみられる。それは同時にナチ・ドイツとの断絶の強調でもあった。ドイツの過去をごまかしながら、ドイツは変わった、と主張することはできない。
しかし、戦後日本の事情は異なる。官僚機構ばかりでなく、政治的指導者までも日本は軍国主義権力からひきついだので、戦前戦中の反軍国主義勢力からひきついだのではない。たしかに政治制度は変わったが、戦後の政府も、社会も、軍国日本の犯罪を曝露し、過去の事実をあきらかにすることに熱心ではなかった。15年戦争の日本と今日の日本の連続性は、きわめて強い。日本国の統一の象徴は、また歴史的連続性の象徴でもある。断絶の強調による免責の議論は、フランスでさえも成りたち難いが、日本ではそれよりもはるかに成りたち難いだろう。そこでたとえば南京虐殺がなかったとか、従軍慰安婦問題で国が責任をとる必要がない、とかいう主張は、日本国が変わったという説明の説得力を強めるのではなく、弱める他はない。

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「フランスの社会人類学者のエマニュエル・トッドが、日本の平和主義についてこんなことを書いている。「私が日ごろから非常に不思議だと感じているのは、日本の侵略を受けた国々だけではなく、日本人自身が自分たちの国を危険な国であると、必要以上に強く認識している点です」(「文芸春秋」10月号)
 長い歴史のなかで日本が危険なことをしたのはほんの短い期間であり、しかもそれはヨーロッパの帝国主義のさなかの出来事であった」
なんて考えが強まりこそすれ改まらない現在の日本。50年前の総理に薫陶を受けた今の総理が当時と同じように議事堂周囲から抗議のシュプレヒコールを受ける。日本は学習進化もせずにどこへ向かおうとしているのか。この一文の最後の一行(以下)もいまだに光彩を放つ。

「国際協力のために」戦後初めて日本の軍隊が海外へ出向く今、日露関係は行きづまり、韓露・韓中関係が進展し、日米・日欧関係に改善の兆しがなく、日本国の国際的孤立が目立ちはじめているのは、歴史の「ヒューモア」である。来し方をふり返り、私にも感慨なきを得ない。思うに、過去を直視できないものは、また現状を直視することもできないようである。(1992.9.22)

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」