本の紹介。「学問の自由と大学の危機」続きです。*明治末年1912年に美濃部と上杉愼吉との間で争われた論争は1935年の「事件」と区別して天皇機関説「論争」と呼ばれる。美濃部は比較法制史の先生であったので、ドイツ留学中はついに国家学・憲法学…
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