紙つぶて 細く永く

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タテカンで余波その4 市民共同作のタテカンも撤去

京都大学なにもかも撤去

6月22日に延期されていた「タテカンフェティバル」が開かれた。

当日は昼休みを利用して、12時から13時まで、市民を含む参加者でタテカンが作成された。

京大本部吉田南構内の総合人間学部広場で開催されたタテカンフェスは、学生それも物珍しさからの見学が多く、それでもふるまわれたソーメンや飲み物で少しはやってみるかという気にもなったようである。

以下その様子

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何かのツテかメディアではNHKだけが取材に来ていた。でも構内での取材許可が下りなかったので写真門外にカメラがある。

取材拒否ですか。大学もなんと狭量な・・

このあたりびくびくしている大学当局の心情が出ているのではないか。

市民の中には丁度京大を見学にきていた高校生も参加、

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ささやかな抵抗ではあったが、このようなものでも大学当局は「脅威」に感じているのかもしれない。

この地は三高:折田彦市なら・・

ちなみにこの広場に毎年入試の日早朝に、パロディ「折田像」が設置される。

20180518081741

参照 タテカンは抗わず漂流する - 紙つぶて 細く永く

www.asahi.com

自由の学風はどこへ行ったのだろう。

こちらが22日当日市民作の「タテカン」

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百万遍に設置され、あえなくタテカン墓場へ移設されました。

再掲 タテカンの見える(かもしれない)場所

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おまけ 当日の金戒光明寺 綺麗だった。

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REMEMBER3.11

タテカンの余波その3 トップの心意気

教育:誤りを正す

士官学校校長のジェイ・シルベリア中将コロラド州にある空軍士官学校予備校の学生寮で、黒人学生を侮蔑する人種差別的な罵倒が、学生の部屋のドアについた伝言板に書かれた問題を受け、士官学校校長のジェイ・シルベリア中将は9月28日、士官学校の全校生徒と教職員を集めて、このような振る舞いはまったく受け入れられないと強い調子で話した。

www.bbc.com

 

REMEMBER3.11

タテカンで余波その2 不当労働行為

京都大学vs京都大学職員組合

京都大学職員組合(注1)のHPに次の文章が掲載されていた。

問 これを読み、読みやすく改定せよ。

京都大学職員組合の立看板の掲出は労働組合活動の一環である。

京都大学敷地の施設管理権は京都大学当局(※1)にあるが、職員組合労働組合活動としての立看板掲出は数十年にわたり認められてきた労使慣行である。

京都大学法人は2017年12月19日に突如、「立看板規程」を制定したが、立看板を掲出できる団体は総長が承認する団体(※2)に限定され、職員組合は除外されている。2018年5月7日に、例外規定で部局が特に必要と認める場合には部局管理領域に看板の掲出ができるとの通告があったが総長や理事などの経営陣と相対し、全学を組織対象とする職員組合に、部局管理領域への立看板掲出を示すことは、そもそも見当違いである。

長年にわたる職員組合労働組合活動たる立看板掲出を一方的に禁止した上に、代替の掲示場所も提示せず職員組合の立看板を強制撤去したことは労働組合活動を抑圧する不当労働行為の損害を発生させている。

 京都大学法人は職員組合の立看板を強制撤去した事実について謝罪し、撤去した職員組合の立看板を直ちに返却するとともに、本件の問題解決に向けて速やかに職員組合との交渉のテーブルに着くべきである」

職員組合は、総論として京都の景観を保全しようとする条例の趣旨を否定しないし、学生団体の活動を差し置いて自己の既得権のみを主張するつもりもない。本学における看板の設置の在り方について、誠実かつ建設的な話合いのテーブルに着く用意はある。 そのために、まず職員組合の看板を撤去前の状態に復することを求める」

(※1)2004年3月以前においては国の機関たる京都大学。2004年4月以降は国立大学法人たる京都大学

(※2)労働組合日本国憲法及び労働組合法により当然に認められる存在であり、使用者たる京都大学総長に承認される存在ではない。

 

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京都大学職員組合の立看板の設置掲示憲法ならびに労働組合法で保障された労働組合活動の一環である。

一方京都大学敷地の施設管理権は京都大学当局にある。

しかし職員組合の立看板掲出は労働組合活動として数十年にわたり認められてきた労使慣行である。

その中、京都大学法人は2017年12月19日に突如、一方的に「立看板規程」を制定したが、これには立看板を設置掲示できる団体は総長が承認する団体(注1)に限定されると規定され京都大学職員組合承認されず除外されている。

その後2018年5月7日に、例外規定で部局が特に必要と認める場合には部局管理領域に看板の掲出ができるとの通告があったが、

総長や理事などの経営陣と相対し(つまり同等として)、全学を組織対象とする職員組合に、部局管理領域への立看板承認を示すことは、そもそもカテゴリー違いである」

「長年にわたる職員組合労働組合活動たる立看板設置掲示を一方的に禁止した上に、

代替の掲示場所も提示せず職員組合の立看板を強制撤去したことは、

労働組合活動を抑圧する不当労働行為に当たり京都大学職員組合に損害を発生させている。

 京都大学法人は職員組合の立看板を強制撤去した事実について謝罪し、撤去した職員組合の立看板を直ちに返却するとともに、

本件の問題解決に向けて速やかに職員組合との交渉のテーブルに着くべきである」

 「抗議文にも示した通り、労働組合の表示物は「京都市屋外広告物等に関する条例」(以後、「条例」)の規定でも許可不要とされている。

職員組合の看板は単体においては条例の面積基準、色彩基準にも適合し、事故防止の措置も講じており、法人のいう指摘に当たるところはない。」

職員組合は、総論として京都の景観を保全しようとする条例の趣旨を否定するものではない。

また学生団体の活動を差し置いて、自己の既得権のみを主張するつもりもない。

本学における看板の設置の在り方について、誠実かつ建設的な話合いのテーブルに着く用意はある。
 そのために、まず職員組合の看板を撤去前の状態に復することを毅然と大学当局に求める」

 

(注1)京都大学職員組合

京都大学職員組合規約

 第 1条(名称) この組合は京都大学職員組合と称する。
 第 2条(組織) この組合は京都大学に勤務する者をもって組織する。但し、学長、理事会構成員及びこれらに準ずる者を除く。

<役員一覧>

 役職名  氏 名  所 属  職種
 中央執行委員長  白岩 立彦  農学研究科  教員
 副中央執行委員長  川島 隆  文学研究科  教員
 南 京兌  法学研究科  教員
 書記長  廣瀬 昌憲  理学研究科  技術
 書記次長  栗山 敦  書記局  専従書記
 根田 昌典  理学研究科  教員
 末益 洋子  理学研究科  図書
 藤山 優美  文学研究科  図書 
 中央執行委員  池村 容子  理学研究科   図書
 佐藤 大介  書記局  専従書記
 髙山 佳奈子  法学研究科  教員 
 竹中 寛治  基礎研・数研共同利用
 研究者 宿泊所
 事務
 田中 彰  経済学研究科  教員
 田中 真介  国際高等教育院  教員
 土山 賀子  北部構内  図書
 長井 佐知子  医学部附属病院  看護師
 福村 輝美  地域研究事務部  事務
 堀口 光章  防災研究所  教員
 監査委員  芦名 定道  文学研究科  教員
 辻 英祐  医学部附属病院  事務
 冨岡 達治  附属図書館  図書

 

参照:中央労働委員会命令書  http://www.mhlw.go.jp/churoi/meirei/dl/081021a.pdf

REMEMBER3.11

タテカンで余波その1 景観政策

京都市景観条例:京都の各地域設定における経過要素

下図は京都市が策定した「京都の各地域における経過要素」という京都市の景観計画を設定した時の資料の中の図である。
この区分けが景観行政における基礎的位置の図となっている。

中央赤い下向き矢印が京都府庁付近。
この図では京都府庁と周囲で異なった要素の記載がない。

その右横に赤い左向き矢印が百万遍・京大付近である。

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京都の各地域における経過要素

そして京都市域全体の高さ規制図が下記となる。

中央赤いマル印で京都府庁、右寄り赤い四角で百万遍と京大周辺をそれぞれ書き込んだ

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京都市高度地区指定

赤い丸で囲まれた京都府庁周辺は高さ規制が31m、その南部にある「田」の字をした、御池通、堀川通、五条通、河原町通に囲まれた地区、それと京都駅付近も同じく京都市の規制による最高の高さ規制である、31mとなっている。

また京都市全体の屋外広告物規制図は以下となる。

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京都市屋外広告物規制


http://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000057/57538/LandscapeofKyoto_03-6.7.pdf

同じく中央付近、赤い四角が「京都府庁」、右寄りの赤い四角が「百万遍京大」区域

この図でも「京都府庁」はポツンと第4種の規制になっている。

最初の「京都の各地域における経過要素」図では特に京都府庁近辺の特定地域指定はなかった。

 

次に京都府庁と百万遍・京大地区の高度規制を見てみる。

京都市景観条例:京都府庁31m規制

以下の図は京都市の景観規制図・高さ規制の部分である。

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ピンク色の部分は京都府庁を含む地区で全体を「府庁地区官庁街地区」としている。

この地区の高さ規制は31mとなっている。

京都府庁はすぐ横に御所(下記空撮で右端にある緑の森)がある。

そして上図でピンク色の外周となる黄色部分は、御所との間も含め、高さ規制15mである。

こちらの区域を空撮したのが以下(GoogleEarthより)

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GoogleEarthより

京都府庁以外に高い建物は多くない。左端に走る道路は堀川通で堀川通の沿道30mまでの地区の高さ規制は20mとなっている。

京都市景観条例:百万遍20m規制

いっぽう下記は百万遍を中心とした、左京区の景観規制図・高さ規制の部分

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京都大学敷地内は高さ規制は20m、今出川通沿道25m以内も高さ規制20mとなっている。

そして以下が京都大学を中心にした空撮

中央から右上寄りにある京都大学以外には、写真左端に3棟高い建物があるが、高い建物はほぼない。

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GoogleEarthより

写真右側は吉田山。さらにその東に東山山系が広がる。

続いて京都府庁と百万遍・京大地区屋外広告物規制図を見てみる。

京都市景観条例:京都府庁第4種地域

以下は同じく京都府府庁地区の屋外広告物規制 こちらでも京都府庁全体が第4種となって周囲の第3種とはことなった区域となっている。

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京都市景観条例:京都大学沿道2種地域・第2種地域

そして以下が問題の百万遍付近の屋外広告物規制

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タテカンのメイン百万遍交差点は「沿道2種」、そこから南に行くとすぐ規制の厳しい「2種」に変化する。京都大学の敷地内は第2種の区域となっている。

ところが「京都市高度地区指定」と「屋外広告物規制」になると京都府庁は周囲とはことなる地区指定となる。

この規制の意味を考えてみよう。下図がその規制「第2種」「沿道第2種」「第4種」の規制概略である。(上記図の京都大学西部構内一帯は第3種区域の規制となる。掲載していないが、沿道2種と第4種の間の規制になる)

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この地区でいうと、「第2種」「沿道第2種」「第4種」と順に規制が緩やかになっている。

「立て看板」については各地区で2m平方と差はないが、主に「のぼり」や看板についての面積に差がもうけられている。

京都府庁は、高さ規制において第2種住居地域の中にポツンと商業地域としての規制を受けている。

また屋外広告物規制においても御所との間の「歴史2種」そして近隣地区の「第3種」の中にポツンと「第4種」規制を受けている。

これから読み取れるものは、京都市がなぜか「京都府庁」を意識しているということではないだろうか。

京都市の景観計画を立案するについて、「京都府庁」を意識しなければならなかった。

景観計画の立案でも京都府庁だけは特別と考えざるを得なかった、という推理ができる。

高さ規制・屋外広告物いずれについても京大・百万遍地域よりも京都府庁を軽度の規制区域としているのだ。

この結果から読み取れるものは、タテカンや屋外広告物は京大よりも京都府庁で多く立てられるべきと意識されているものらしい。 

つまり、表現の自由は百万遍・京大地区よりも、京都府庁敷地で大いに発揮されなければならないということだ。

京都府庁職員の皆さん、表現の自由のために「知事の許可」を仰いで、おおいに屋外広告物を設置しましょう、なんていってもやるわけないし。

参照 京都市景観情報共有システム

 

REMEMBER3.11

タテカンと強弱の同化

京都大学憲法にいう不断の努力

第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によつて、
これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、
常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

京都市京都大学管理者の人たちにとって、悲しいかなもはやタテカンは学生だけのものではなく、近隣市民との共有となり、さらに「タテカン問題」を通じて改めて、京大当局としての姿勢が今注目されている。

タテカンは学生が市民に対して意見表明するツールであり、これはつまり学生と市民のつながりの場でもある。

この点を理解する人が事務当局にいないのではないか。今回のタテカン騒動は簡単には収まらない。

ちかごろの学生はこんなことを考え、こんなことを広めようとしているんだ、と市民がタテカンを通じて知の塔の足元をのぞく気分なのである。

逐次タテカンを撤去するという作業は、大学と大学が本来よって立つところの多くの市民とのつながりを遮断することにもつななる。

タテカンを暗闇に放り込もうとする行為は、大学自らをも暗闇へと導く。

中世ではあるまいし市民に対し閉じられた大学で何を研究するというのだ。

 

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京都大学の立場:強弱の両極分化

大学と社会 加藤周一(1990年「物理学者の社会的責任」)ヨーロッパの古い大学には神学・法学・医学三つの学部があり、神学とはもちろんカトリック神学で、中世ヨーロッパでは、すべての価値の体系がキリスト教と関連して生きてきた。
したがって神学部というのは価値の検討機関だったのです。
法学部は直接弁護士をつくりだすことよりも法律に関係のある知識の中心、専門知識の提供という意味がり、また医学部はもちろん医者養成機関という役割を持っていました。
 これら三つの学部を持ったヨーロッパの古い大学は官立ではなく政府からは独立していたが、日本の場合は歴史的にそうではなかった。
しかし政治権力からの独立ということが大学としての一つの大きな特徴であり、大学にあるその四つの役割、教育機関・研究機関・価値を知的に検討する機関・社会批判としての機関、この要素が大学に期待する役割となる。
 社会批判をするときに大切なのは学問の中立性であるが、しかしそのことにあまりに固執すると結局現状維持を支持する結果となってしまう。
一例として1960年代にアメリカでヴェトナム戦争への批判が盛んになったが、それが生まれたのは大学の内部から生まれ、学生たちと、歴史家や数学者、文学者の間から起こった戦争批判がその始まりとなった。
そんな中で、比較的ヴェトナム戦争に肯定的だったのが政治学者といわれる人々であり、ある集会で政治学者がいった。
「あなたがたはシェイクスピア因数分解に詳しいかもしれない。しかし世の中のことを知らない。アメリカの政治は複雑だからやたら反対ではなく、少し勉強したらどうか」
政治学者が批判的立場をとると学問の中立性に反するから、はっきりした意見をいわず客観的でいようということです。
 しかしどんな理由があろうと中立の立場をとるのも沈黙するのも政治的行為なのです。
反対しないことは、本人が意識しようとなかろうと現状容認を意味します。
 強さと弱さが共存する社会において、大学は強弱の両極分化をなるべく和らげるように、できるかぎり弱い方に情報を提供して助ける態度をとることが基本的に重要なのです。

 

REMEMBER3.11

タテカンに続く大学危機

京都大学タテカン撤去の後に待っている自治の崩壊

2014年6月20日参議院本会議において、「学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律案」が可決され、成立した。
これは学長に独裁的な権力を与え大学の自治と教育・研究の自由を奪うものと批判されているが、この法改正が実体化されると、自治の基盤である学部制さえも解体され、大学が徹底的に企業に奉仕する新自由主義的再編が急速に展開することになる。
すでに大学では競争主義・成果主義・企業支配がはびこっているが、独立行政法人では国立大学法人以上に事態は進行しており、今回の法改正は、大学においても同様の事態をひきおこす危険性を強く持っている。

今回の問題は、学校教育法に定める教授会権限の限定、学長選考にあたっての学長選考会議の重視による学長独裁制ばかりが注目されているが、本質的な問題は国立大学法人法改正にある。
同法第20条では経営協議会の設置が定められている。「国立大学法人に、国立大学法人の経営に関する重要事項を審議する機関として、経営協議会を置く。」とあり、委員は、学長・理事ほか、学長が任命する学外委員も含まれる。その学外委員について、現行では「総数の二分の一以上」とされているが、今回、「過半数と改正された。

日教組に加盟する日本国公立大学高専職員組合は、今回の法改正について、大学の新自由主義的再編を意図するもの、大学の自治と自由を奪うものであるという観点から、反対の意思表示をしてきた。
民主党も当初は反対の意向であったが、現在の国会構成では、反対すると原案通り可決されてしまうので、修正提案と大学側に有利な答弁の引き出し、附帯決議によって、少しでも実を取ろうという戦術に転換した。
各派共同提案によって可決された附帯決議 学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律案に対する附帯決議
政府及び関係者は、本法の施行に当たり、次の事項について特段の配慮をすべきである。
  1. 学校教育法第九十三条第二項第三号の規定により、学長が教授会に意見を聴くことが必要な事項を定める際には、教授会の意見を聴いて参酌するよう努めること。
  2. 憲法で保障されている学問の自由や大学の自治の理念を踏まえ、国立大学法人については、学長のリーダーシップにより全学的な取組ができるよう、学長選考会議、経営協議会、教育研究評議会等をそれぞれ適切に機能させることによって、大学の自主的・自律的な運営の確保に努めること
  3. 学長選考会議は、学長選考基準について、学内外の多様な意見に配慮しながら、主体性を持って策定すること。
  4. 監事の監査、学長選考組織による選考後の業務評価等学長の業務執行状況のチェック機能を確保すること。
  5. 国立大学法人の経営協議会の委員の選任や会議の運営に当たっては、学内外の委員の多様な意見を適切に反映し、学長による大学運営の適正性を確保する役割を十分に果たすことができるよう、万全を期すこと。
  6. 本法施行を受け、各大学等の学内規則の見直しと必要な改正が円滑に行われるよう、説明会の開催等関係者に改正の趣旨について周知に努めること。
  7. 私立大学の自主性・自律性・多様性、学問分野や経営規模など各大学の実態に即した改革がなされるよう配慮すること。
  8. 大学力を強化するため、若手研究者や女性の登用が積極的に行われ、若手研究者等の意欲を高める雇用形態が整備されるよう、その環境の整備に努めること。
  9. 国のGDPに比した高等教育への公的財政支出は、OECD諸国中、最低水準であることに留意し、高等教育に係る予算の拡充に努めること。

明治以降、大学の自治は営々として積み重ねられてきた。
初の学長選挙は1907年の京都帝国大学法科大学長の選挙である。
1913年、京都帝大沢柳政太郎総長が7教授を罷免して若手教官を起用したことに端を発した沢柳事件は、総長と教授団の抗争の後、総長が辞任し、後、総長公選制に至った。
 東京帝大でも1919年、初めて総長公選を実施している。

法人化によって選挙を意向投票に変更し、今回、さらに意向投票を軽視しようとするのは、明治以来積み重ねてきた大学の自治を一気になきものにしようとする暴挙である。

先にも述べたが、学内の意見を尊重してはならないと言わんばかりである。
また、学内の意見を聴きたくないために、意向投票を実施しないことも学長選考会議で決められる
昨年から今年にかけて、京都大学で学外委員の安西祐一郎中教審会長が意向投票不実施を提案し、おおもめに揉めて、結果としては実施したが、自治重視派の山極壽一教授が当選したことは記憶に新しい
しかしすでにやはり安西会長が外部委員を務めていた東北大学では意向投票は実施されていない。

『明治以来の大学自治が崩壊の危機に』 筑波大学教授・千本 秀樹 | 論壇

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京都大学タテカンの撤去そして大学崩壊

医療崩壊」というけれど、医療もやはり惰性の強いシステムなので、簡単には崩壊しないということでした。それは現場に立って医療の最前線を守っているドクターやナースは自分の健康や家庭生活を犠牲にしても医療を守ろうとするからです。そういう「業」を抱えた人が医療の現場に立っている。だから、制度的に破綻していても、簡単には崩壊しないんだ、と。でも、生身の人間ですから、彼らのオーバーアチーブメントに頼って支援の手当をせずに放置しておけば、いずれ一人倒れ二人倒れ、前線の維持が難しくなる
教員という職業を選ぶ人には一定の傾向性があります。医療を職業に選ぶ人たちと同じように、教員は学校という場が好きなんです。
教室で若い人たちの前に立って何かを教えることが好きで、研究が好きで、アカデミアで異なる領域の知性と出会うことが好きで、という人が学校教育の場には引き寄せられてくる。
だから、常軌を逸した負荷がかかっていても、なんとか踏みとどまろうとする。家庭生活や健康を犠牲にしても、自分の職域を守り抜こうとする。今の日本の大学がこれほど否定的環境にありながら、なんとか保っているのは、教育人たちのこの「業の深さ」のおかげです
でも、生身の人間が蔵している生命資源は本来であれば他のことに使わなければいけないものです。一家団欒とか、文化活動とか。運動したり、遊んだり、自分の好きな研究をしたり、そういう本当にしたいことを断念して、その資源を学校の管理業務とか文科省の命じてくる意味のない作業に割かなければならない。

まず具体的な実態から、お話します。2002年から日本の学術研究は質、量ともに国際競争力が低下しています。2015年の「人口あたり論文数」は世界37位。中国、台湾、韓国のはるか後塵を拝しています。現在の日本の学術的発信力はOECD諸国の中では最下位レベルです。
論文数の減少が著しいのが、かつて国際競争力が高かった分野だというのも気になります。工学系は2004年以降論文数が減少。生命科学系、農学系、理学系も低下傾向です。社会科学系では論文数はそれほど減っていませんが、もともと国際競争力のない分野です
総体として、日本の大学の国際競争力は過去15年間下がり続けています。
でも、この「人口当たり論文数」が先進国最低という事実をメディアは報道したがりません。
代わりによく報道するのが「教育に対する公的支出の比率」です。公的支出の中に占める教育費の割合は先進国最低。それも5年連続です。
この事実についての反省の弁を政府部内から聞いた記憶が僕にはありません。この国の政府は教育研究の支援には関心がないということです。
ですから、今のシステムが続く限り、教育に対する公的支出比率先進国最下位という定位置に日本はとどまり続けることになります。

なぜ、日本の大学の学術的発信力がこれほど急激に衰えたのか。
僕は35年間大学の教壇に立ってきましたので、この経年変化を砂かぶりで観察してきました。
はっきりした変化が始まったのは1991年の大学設置基準の大綱化からです。
誤解して欲しくないのですが、設置基準の大綱化そのものが研究教育能力の劣化をもたらしたわけではありません。
大綱化を導入せざるを得なくなった歴史的な教育環境の変化があり、それが日本の大学の学術的な生産力を損なったのです。
でも、これについて教育行政当局は何も分析していない。先進国の中で日本の大学教育のアウトカムが最低レベルにまで下がったという事実については「全部大学の責任」であり、教育行政には何の瑕疵もないという態度を貫いている
悪いのは文科省ではなくて大学であるわけですから、失敗の原因を探求するのも、対応策を講じるのも全部大学の自己責任であるという話になっている。
ですから、文科省の仕事はそういう「できの悪い大学に罰を与える」ことに限定されている。そうやって毎年助成金を削り、学長に権限を集中させて教授会自治を否定し、大学の自由裁量権を奪い、自己評価自己点検作業を強要し、次から次への大学への課題を課して、研究教育のための時間を奪っておいて、その上で「どうして研究教育がうまくゆかないのか」について会議を開き、山のような報告書を書くことを義務づけている。
文科省は大学に自己評価を求めていますが、僕はまず文科省自身が自己評価する必要があると思います。過去25年間の教育行政を点検して、現状はどうか、なぜこんなことになったのか、どうすれば改善できるのか。大学に要求するより先に、文科省自身がPDCAサイクル回してみればいい

大学教育は生き延びられるのか? (内田樹の研究室)

タテカン崩壊は大学崩壊への入り口か。

先生方のんびりしてたらあきまへんで。

REMEMBER3.11

タテカンと教育する資格

京都大学教育機関としての資格

ビッグゴリラの貼り紙も剥がされている時点で京大側の「地震による倒壊の危険があるため」なんて論理は通用しません。立て看板を撤去するために、景観の話と安全性の話を都合よく使い分けているだけです。京大側にあるのは、絶対に学生と話し合わない、立て看は撤去する、ということだけ。

23:05 - 2018年6月18日

最近の規制で京大に失望してる受験生へ。 正直、自由な大学を作ってるのは京大生であって、京大じゃないし、京大生がいる限り自由な大学やから安心して来てください。

タテカンや寮の多様性は潰すのに?

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タテカン撤去の様子

 

構内に延期のお知らせを設置したのに撤去されていました。景観条例でしょうか。それとも安全の為?学生の安全など考えたことも無いくせに

注 6月20日12時から自由の場「総合人間学部広場」で「タテカンフェスティバル」が開催予定だった。天候悪化により急遽下記写真場所にたてたのが上記「延期のおしらせ」

杓子定規にこのお知らせも撤去された。無機的組織の典型。

 

震度4強でもびくともしない立て看板が倒壊するレベルの地震がくることを懸念しているのに、休講措置はとらない京都大学。このあと「地震による立て看板倒壊の可能性があるため撤去いたしました」という告示が出るでしょう。

以上話題のツイッター 【タテカン製作支援団体】シン・ゴリラ (@shingorilla2018) | Twitter より

京都大学この組織に高等教育機関としての自覚はあるのだろうか

それどころかこの組織に教育機関としての資格はあるのだろうか?

一部の教職員を除き、学生本位の教育的視点にたっていない。教育の意義を取り戻すその意味では象牙の塔にたち籠ることも同罪になるだろう。

それに引き換え学生の中には、

「自由な大学を作ってるのは京大生であって、京大じゃないし、京大生がいる限り自由な大学やから安心して来てください」

なんて健気な心意気がある。

ノーベル賞よりも地域との調和を優先します。

学生の安全よりも、「危険」なタテカン撤去を優先します。

自由の学風よりも、そこらあたりの並みの大学となることを優先します。

一層大学vs学生の構図がつよくなってきたなあ・・。

いやその後ろには気遣う市民もいる。

(OB達はなにをしているのかなあ)

REMEMBER3.11

タテカンと大学未来の危機

京都大学有機的対応

外部から見ていても、近日の京都大学の「感性としての鈍い動き」は危機の予兆ではないだろうか。

思考が停止しているのではないか・・

仮定して考えてみよう。

無機的組織対応
  1. 京都市からの申し入れで
  2. 京都大学として、学内の「美化」を考えていたところから、
  3. この際、事務当局の思う「景観」を作ろうと考えた
  4. そこで京都市からの申し入れを梃子として、学内の「不良学生」一掃を名目とした、「京都大学立看板規定」を作成した。
  5. 学内の運営組織をクリアした「京都大学立看板規定」を旗印に、タテカン撤去に毎日邁進する。

有機的組織対応
  1. 京都市からの申し入れで
  2. 京都大学事務本部で対応を考えた。一応これは大学全体として検討しなければならない案件と判断
  3. 以下二案を検討上申する。
    • 第一案「京都市の申し入れを受けて京都大学立看板規定を改定し対応にあたる」
    • 第二案「京都市の申し入れはともかく、大学全体の問題として高度な判断を役員会で検討」
  4. 役員会では、「この際学内景観に充分配慮し、事務本部第一案通りに立看板規定を改定」という意見が多くを占めたが、
    「自由の学風」という伝統もあり、
    ここは京都大学らしい対応を考慮し、京都市に「慣例その他の理由によりやむを得ないものとして別に定める屋外広告物については、この限りでない」を適用してもらう方向で、
    総長が直接京都市長に申し入れを行う、という総長のつるの一声で、
    形勢逆転京都市に対応の再考を申し入れる。
  5. 山極総長は京都市長との面談で、「京都タワーもそびえていますなあ」と一声
    京都市としても痛いところを突かれ反論できず。しぶしぶやむを得ないものとして許諾

昨夜そんな筋書きの夢を見た

 

有機的組織対応がいいに決まっている。無機的対応に未来どころか希望もない。

なぜそのような対応が取れないか・・。組織として有機的構成が麻痺している。

どこかにボトルネックがあるに違いない。

120年の歴史が破断されようとしている。

REMEMBER3.11

タテカンと権力者

権力者 京都市長門川大作氏の(2018年5月9日)記者会見から

 

(正式名 市長記者懇談会だって)

京都大学立て看板の撤去について)

記者

 京都大学の立て看板の撤去について,市長はどのようにお考えでしょうか。

市長

  京都の景観を守り続けていくことは,戦後の最大の課題の1つで,市民ぐるみで議論がされ,また,議会でも議論いただき,11年前に6つの景観条例を全会一致で制定いただきました。その1つが,屋外広告物に関する条例で,条例施行当時は適合している屋外広告物は3割(4万5,6千)でした。

  しかし,屋上の看板をすべて撤去し,チカチカと光る看板,派手な看板などを市民・事業者の御理解を得て,撤去是正等を進めていただき,条例適応率は96%を超えました。この間,3万120の建物から不適合の広告物を撤去していただきました。費用負担もあるが,条例で決まったことを実行していこうという京都市民又は事業者の皆さんの行動に感謝する次第です。このことが,京都の都市格の向上に大きくつながってきたと思います。

  その中で,京都大学に対しても条例の主旨を御理解いただき,協力を要請してきました。条例の趣旨を踏まえ,誠実に対応していただいていることに敬意を表したいです。京大の立て看板も文化であるという学生やOBのお気持ちをすべて否定するものではありません。撤去していただいた3万120の屋外広告物の中には,歴史的なものもあり,店の顔だという主張もありました。それらも条例の主旨に則って是正いただいたところです。大学が,学内でも議論されて,学内で看板の設置場所を設置するなどのしっかりとした対応をしていただいていることに対して敬意を表すとともに,引き続き見守っていきたいです。

  もう1つは,景観の問題と同時に,この数年看板が落下するなどの危険な問題が全国的に起こっています。突風が吹いた時に,市民の皆さんに御迷惑をお掛けしないようにしなければなりません。なお,京都市の景観政策については,全国的に高く評価していただいています。

市長は誤解をしている。言い直せばあえて虚偽の受け答えをしている。

「6つの景観条例を全会一致で制定いただきました。
その1つが,屋外広告物に関する条例で,条例施行当時は適合している屋外広告物は3割(4万5,6千)でした」

これで景観条例に基づき「美しい京都の景観」が保持できると述べているが、そうだろうか。その6つの景観条例に基づき、真の京都の景観を求める努力は足らないのではないか。

そして、取り組みやすいところから手を付けた。

「屋上の看板をすべて撤去し,チカチカと光る看板,派手な看板などを市民・事業者の御理解を得て,撤去是正等を進めていただき」

つまりこの上記内容は広告によって収益を上げようとする事業者へ「収益を上げるにはこの規則を守っていただかないとだめですよ」という提案である。

それは従うだろう。従わなければ京都市で収益を上げられなくなるからだ。

学生は収益ではなく基本的人権の擁護を求めて立ち上がったのだ。

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 記者

  そもそも商業目的の店舗看板と,そうではないものを同様に取り扱ってよいのですか。また,京都は「大学のまち」というブランド・魅力もあると思いますが,そうした面との兼ね合いについてどのようにお考えですか。

 市長 

  看板は,商業目的のものだけではありません。政治家の事務所の看板,文化団体の看板,そうしたものもたくさんあります。文化的な主張,政治的な主張をするものを特別に扱うという条例ではありません。景観という視点で取り組んでいこうという条例です。そういう意味において,大学だから例外規定にはなりません。大学であれば景観条例に基づかなくてもよいということでもありません。このことを踏まえていただいた京都大学の取組だと思います。

あくまでもタテカン規制を京都大学の問題としているが、発端は京都市:都市計画局広告景観づくり推進室 である。

また、表現の自由への制限主体であることから逃げようとしている。

でもあくまでも共犯からは逃れられない。

政治家や文化団体の看板その実数を公表していただきたい。

適合している広告物が「3割(4万5,6千)」なら

違反していた広告物は残り「7割(10万,4千)」その中で「政治家事務所の看板」「文化団体の看板」がそれぞれいくつあったのか?

針小棒大になっていないか。

 記者 

  京都大学の敷地の大きさを考えると,条例で規定する看板の大きさが,非常に小さすぎると思います。他の店舗と同じ基準が大学に当てはまってよいものでしょうか。そもそも大学などを対象とした条例ではなかったのではないかという意見もありますが。

 市長

  条例に掲げられたとおり,大学を例外にしている条例ではありません。

答えになっていない。「敷地の大きさを考えると,条例で規定する看板の大きさが,非常に小さすぎると思います」という問いには、その大きさについての判断示さないとだめだ。(これはまさしく「官僚の」朝ごはん問答)

 記者

  表現の自由を侵すのではないかという指摘もありますが。

 市長

  表現の自由は大事にしていかなければなりません。同時に,市民の共有財産として育てていく景観を大事にしていかなければならない。この景観条例制定までに,パブリックコメント等を経て,市会でも十分な議論を重ねてきていただいています。そうして全会一致で決まっているものです。なお,大学当局も様々な議論をされて方針を出されていることにも敬意を表したいです。そうした議論も踏まえたうえで取り組んでいただいているものだと思います。

  そこに住む人,そこで育つ人々,そこを訪ねる人々に景観がどういう影響を与えるか。かつて,日本人は外を大事にしてきました。この20年ほど中はきれいにするけれど,外はあまりきれいにしないという文化が醸成されてきました。もう一度みんなで共有財産として景観を考えていこう。文化としての景観,一人一人の感性を磨く景観を作っていこう。こういう議論が深められてできた条例であり,京都市の景観政策であると思います。しっかりと実行していくことが我々の仕事だと考えています。

表現の自由は大事にしていかなければなりません」

貴方にこのようにいわれなくとも、日本国憲法に書いてある。
「第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」

これ憲法21条はつまり権力者たる門川氏あなた自身が守らなければならない事項である。

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すなわち
表現の自由は非常に大切な基本的人権です。これを制限することは行政としてできない。ゆえにこの条例でいう屋外広告物は収益を得ようとする目的での屋外広告物に限定する」

とでもいうべきだ。

「この20年ほど中はきれいにするけれど,外はあまりきれいにしないという文化が醸成されてきました」

ん、20年いや50年のいい間違いじゃないの・・

見事に、「京都タワー」1964年や「京都ホテル」1994年、「JR京都駅」1997年を見事に避けましたね。

 記者

  立て看板自体が景観・文化に馴染んだものだという意見もありますが。

 市長

  いろんなご意見があってもよいと思います。あるお店で大きな鬼の面が屋上にかかっていました。これは文化だという主張もありました。しかし,撤去していただきました。あるいは,ラーメン屋さんが「なぜ赤い看板がダメなのか」という議論もありましたが,赤色を抑えた看板に全て変えていただきました。そのあたりを御理解いただきたい。

「ラーメン屋さんが「なぜ赤い看板がダメなのか」という議論もありました」

だから利益を求める場合と、基本的人権表現の自由」におけるタテカンは区別しないと・・ 

 記者

  手続の進め方として,学校側の説明が不十分という意見もありますが。

 市長

  学内のことに関しては,我々は関わるところではありません。京都大学において,誠実に丁寧にやっていただいているものと思っています。

最初の申し入れ時に「どんな景観がいいのか、話し合いが活性化するのは望ましい」ときちんと伝えていないから相手は図に乗ったのだ。
幼稚な大学の事務を相手にする場合は適切に、きちんと、朝ごはん問答にならないように問答しないと市民たる学生が迷惑する。

 記者

  京都の景観を汚していると思われますか?

 市長

  景観上の問題もありますが,突風などによる危険性もあると思います。安全面など考慮したうえで御判断をいただきたいです。

昨日の地震、でも倒れなかった。その危険性の尺度が不透明なままの議論だ。

 記者

  京都大学の周辺は,規制に反発してまだまだ立て看板が立ち続けているが,市長が若者たちに向けてのメッセージはありますか。

 市長

  特にございません。

教育者だろうに・・

門川大作 1950年生まれ

京都市立堀川高等学校定時制普通科卒業後、京都市教育委員会に就職。働きながら、立命館大学法学部第二部を卒業した。
京都市教育委員会総務部長、教育次長を経て、2001年に京都市教育長に就任し、2007年まで同職を務める。

記者 

  自主的に撤去してもらいたいですか。

 市長

  もちろんです。しっかりと条例の趣旨を守っていただきたいです。

また朝ごはん論法だ。

「自主的撤去」だよ。京都大学なのか京都大学教職員なのか京都大学学生なのか市民なのか、どこに対しての要望か?

市民が建てた、路上のタテカンはどうするのか?

大学を御用犬のようにつかって撤去したのか? 以下参照

タテカンと大学、京都の自由 - 紙つぶて 細く永く

REMEMBER3.11

タテカン 倒れず

2018年6月18日の朝 地震でもタテカン倒れず。

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京大立て看同好会(京看同) (@kutatekan) | Twitter より転載

 

REMEMBER3.11