第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によつて、
これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、
常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
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京都市や京都大学管理者の人たちにとって、悲しいかなもはやタテカンは学生だけのものではなく、近隣市民との共有となり、さらに「タテカン問題」を通じて改めて、京大当局としての姿勢が今注目されている。
タテカンは学生が市民に対して意見表明するツールであり、これはつまり学生と市民のつながりの場でもある。
この点を理解する人が事務当局にいないのではないか。今回のタテカン騒動は簡単には収まらない。
ちかごろの学生はこんなことを考え、こんなことを広めようとしているんだ、と市民がタテカンを通じて知の塔の足元をのぞく気分なのである。
逐次タテカンを撤去するという作業は、大学と大学が本来よって立つところの多くの市民とのつながりを遮断することにもつななる。
タテカンを暗闇に放り込もうとする行為は、大学自らをも暗闇へと導く。
中世ではあるまいし市民に対し閉じられた大学で何を研究するというのだ。
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京都大学の立場:強弱の両極分化
REMEMBER3.11