2018-06-20 タテカンと大学未来の危機 京都 世評 京都大学:有機的対応 外部から見ていても、近日の京都大学の「感性としての鈍い動き」は危機の予兆ではないだろうか。 思考が停止しているのではないか・・ 仮定して考えてみよう。 無機的組織対応 京都市からの申し入れで 京都大学として、学内の「美化」を考えていたところから、 この際、事務当局の思う「景観」を作ろうと考えた そこで京都市からの申し入れを梃子として、学内の「不良学生」一掃を名目とした、「京都大学立看板規定」を作成した。 学内の運営組織をクリアした「京都大学立看板規定」を旗印に、タテカン撤去に毎日邁進する。 * 有機的組織対応 京都市からの申し入れで 京都大学事務本部で対応を考えた。一応これは大学全体として検討しなければならない案件と判断 以下二案を検討上申する。 第一案「京都市の申し入れを受けて京都大学立看板規定を改定し対応にあたる」 第二案「京都市の申し入れはともかく、大学全体の問題として高度な判断を役員会で検討」 役員会では、「この際学内景観に充分配慮し、事務本部第一案通りに立看板規定を改定」という意見が多くを占めたが、「自由の学風」という伝統もあり、ここは京都大学らしい対応を考慮し、京都市に「慣例その他の理由によりやむを得ないものとして別に定める屋外広告物については、この限りでない」を適用してもらう方向で、総長が直接京都市長に申し入れを行う、という総長のつるの一声で、形勢逆転京都市に対応の再考を申し入れる。 山極総長は京都市長との面談で、「京都タワーもそびえていますなあ」と一声京都市としても痛いところを突かれ反論できず。しぶしぶやむを得ないものとして許諾 昨夜そんな筋書きの夢を見た 有機的組織対応がいいに決まっている。無機的対応に未来どころか希望もない。 なぜそのような対応が取れないか・・。組織として有機的構成が麻痺している。 どこかにボトルネックがあるに違いない。 120年の歴史が破断されようとしている。 REMEMBER3.11