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タテカンは抗わず漂流する

屋外広告物としての違反の根拠

京都市は「京都市屋外広告物等に関する条例」で市内各地域の屋外広告物の規制に乗り出した。
この規制はもちろん京都市内全般に及ぶ。

そして今回京都大学のタテカンについて違反の根拠は、

京都市屋外広告物等に関する条例第 5 条
何人も,次に掲げる物件に,屋外広告物を表示し,又は掲出物件を設置してはならない。
ただし,法定屋外広告物,管理用屋外広告物及び公益,慣例その他の理由によりやむを得ないものとして別に定める屋外 広告物並びにこれらの掲出物件については,この限りでない。
(1) 文化財保護法第 27 条第 1 項又は第 78 条第 1 項の規定により重要文化財又は重要有形民俗文化財に指定さ れた建築物等
(2) トンネル,橋,植樹帯,中央帯その他の道路と一体となってその効用を全うする建築物等
(3) 道路法第 2 条第 2 項に規定する道路の附属物及びこれに類する建築物等
(4) 景観法第 19 条第 1 項の規定により指定された景観重要建造物及び同法第 28 条第 1 項の規定により指定さ 3 れた景観重要樹木
(5) 京都市市街地景観整備条例第 38 条第 1 項の規定により指定された歴史的意匠建造物
(6) 前各号に掲げるもののほか,電柱,公衆電話所,アーケードの支柱,擁壁,煙突,電波塔,高架水槽,彫 像,観覧車その他の建築物等で,
その物に屋外広告物を表示し,又は掲出物件を設置することにより都市の 景観に悪影響を及ぼすおそれがあるものとして別に定めるもの

上記にある擁壁に設置された広告物に該当するということだった。

当然京都市の景観をまもるという観点から、京都市左京区にある京都大学のタテカンも「ちょっと遠慮しよし」ということで指摘されたと思える。

京大のパロディ魂・折田先生像

京都大学は前身大阪舎密局(せいみきょく)は1869明治2年開校、そして1889明治22年京都に第三高等中学校が移転した、とされる。

ところが京都市という若い組織(1889明治22年の市制施行)には伝統というものの理解が難しいのではないか。

はじめのころ数年間の京都市長は府知事が兼務し、ようやく1898明治31年 初代市長に内貴仁三郎が就任・市役所が開庁された。京都市長の誕生でいえば1898年。京都大学に遅れること9年。

一方1889年に第三高等学校の初代校長に就任したのが折田彦市

折田彦市(1849~1920)薩摩に生まれ、米プリンストン大に留学、キリスト教の洗礼を受けた。帰国後、旧制三高(現・京大)などの校長を30年間務めた。

記念したその像が今は吉田南構内、吉田南1号館地下(下図)に設置されている。だれでも見ることができる。

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訂正 現在折田先生は下記京都大学本部構内百周年時計台記念館に出張中らしい。

 

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正規折田像は当初は現在の京大吉田南構内北門に設置されていた。

ところが、そこはそれ時代とともに権力は批判され、胸像は権威の象徴とみなされたが、しかし調べると折田先生は生徒をさん付けで呼び、一人一人校長室で将来を聞く。「放任でなく見守り」の人格重視の姿勢が、京大流「自由」の源流となる重要な教師ということが分かった。
その結果いつのころからか毎年折田像は様々な衣装を羽織り、受験生に京大流「自由」と学習心そしてパロディのセンスを訴えるようになった。その中で、

ヘルメットレーニンに変装させられ、工事用赤コーンやハトが頭に乗った。

京大 パロディ初代折田像 - Google 検索


 その中で過激さが一線を越えたと目されているのが、94年の下記ヤキソバンだ。

折田先生を讃える会

H30 リセットさん - 折田先生を讃える会

「塗り」を究めた代表作:「ヤキソバン」  
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(写真出典:「折田先生(像)七変化」)

 初期の作品において  塗りの基本は単色であった。
 しかしヤキソバン出現時から一変する。
 この見事なまでのツートンに加え  顔の肌色メーク。
 まさに「塗り」の 最高峰である。
 実はこの作品、「塗り」ばかりでなく 「文言」や「装着」についても一級である。 銅像の台座に残る歴代の様々な落書き跡にも味があるが 「平成六年卒業制作」という白文字には 並々ならぬ作者の決意と覚悟を感じた。 良く見れば「折田先生像」という名札が 「富岡先生像」とも書き換えられている。

おまけ える会長 (@orit_ter) | Twitter

これが俗にいう、ヤキソバン事件である。
三高同窓会はカンカンにおこり、先輩には逆らえない大学当局は97年「いたずらにしても限度がある」「批判精神があれば議論の余地があるが、メッセージが感じられない」「折田先生も怒っている」と像を台座ごと撤去した。

 だが、人間のパロディ創作活動は無限だ。

正規折田像は保護撤去されたが、毎年京大入試日その早朝に、その跡地吉田南構内北門付近に初代校長折田先生を讃えるパロディ像が建立される。朝日新聞デジタル:【京大・折田先生像】我こそ自由の体現者 - 関西

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2012年折田像

大学当局もこのころ、1997年折田先生が出張され、少し首をかしげるパロディのセンスから解き放たれ、ほっとしたのかその後に建立されるパロディ像には寛容だった。

大学内の一組織である旧高等教育研究開発推進機構(現国際高等教育院)から下記のような文書が発表され、無事折田先生像が役目を全うされるようにと宣言。

京都大学 高等教育研究開発推進機構 平成20年度版 折田先生像について平成20年度版 折田先生像について 毎年、入試の時期になりますと、吉田南構内の広場に色々なキャラクターに扮した折田先生像が突如として建立されますが、今年は「てんどんまん」に扮して登場しました。
昨年はポコちゃんでした。
出来映えが素晴らしいので制作者は誰なのか、学生、卒業生、学外者等々諸説紛々ですが、全く分かっていません。
今年も出た!と楽しみにされている方がおられる一方、あのような物を置くことを許していいのかという方もおられます。
機構としましては、吉田南構内の風物詩の一つとして一定の期間状況を見守っています。
ただ、この数年は何者かによって壊されることが続いております。悪戯なのか気に入らないのか動機は定かではありませんが、誰のものであれ創作物を壊すという行為は、最も悪質で下劣で野蛮な行為です。
今年はそのようなことがないように、無事折田先生像が役目を全うされることを望んでいます。

そんなこともあり、毎年パロディ折田先生像は設置されてから概ね1か月は学生諸君にお披露目されている。
高等教育研究開発推進機構は大学組織の中でも最もリベラルという評価が高かった。

そんな中折田先生のひ孫が上記朝日新聞で下記重大な証言をした。

折田彦市のひ孫・折田泰宏弁護士一族、怒っていません。
 「てんどんまん」は生で見ました。折田一族全員、落書きや現状を知っています。
誰も怒っていません。ここまで続けば文化。
大学が微妙な形で許容しているのが、自由な気風の伝統でいい。
折田がつくった文化だと思います。風刺やユーモアを大事にして欲しい。
私は京都・市民・オンブズパースン委員会の共同代表をしています。権威に抵抗するところに関心がある。折田が残した気風とつながっています。

風刺やユーモアの理解は教養ある人の特技だ。

タテカンにつながる石垣カフェ

2004年京都大学から発表された「キャンパスアメニティ計画」で百万遍にある大学裏門(京大は東一条通りに正門がある。下図参照)付近の改修計画が発表された。下記図のように改修予定だった。

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この部分の石垣はそれこそ京大のタテカンメインの場所だった。学生は反発し、2005年1月石垣カフェなるものを石垣の上に作った。

石垣カフェ - Wikipedia

そして闘争7か月、大学側が折れてキャンパスアメニティ計画の百万遍石垣改修を当初の予定から変更し石垣は残り、その後タテカンが設置された。
現在の百万遍交差点は以下の図

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googlemapより加工

この石垣カフェについては主催?した笠木氏による「石垣カフェ-遊戯的実践の空間-」と題する下記学術論文が発表されている。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24219/1/%E7%AC%A0%E6%9C%A8%E4%B8%88.pdf

氏はその中で

笠木丈法人化以降、「経営」効率を上げるために自助努力を要請される国立大学、つまり市場原理に曝された大学にとって、自らの纏うイメージに無関心でいることは難しい。
大学は、 自らの品質管理を怠らず、外部の「顧客」に好印象を与えなければならない。
そして、キャンパスの有様は大学のイメージに直結する。こうして求められるのが、大学の空間を一 望のもとに見渡し、そこに自らの意志を行き渡らせる視点であり、空間はそれが可能となるように変形させられる。
一望監視を可能にする「分割」、それはキャンパスでは、それぞれの場所における機能の一義的な決定という形式で実現されていると考えられる。
管理主体は地図を区画し、機能ごとに塗り分けようと試みる。
「何がなされているのか分からない空間」は消滅することが望まれる。そうすれば、もはや空白は存在しない。
そして、本来定められた機能以外の用法で空間を使用する人々に対しては、どこか別の場所で行うように通告することができる。
このように空間を再編成することで、そこからイレギュラーなものを適切に排除し、空間 の使用状態について容易に掌握することが可能なのである。

と述べている。

石垣カフェの時は大学側も折れた。
だが今回のタテカン騒動は笠木氏のいうように大学当局はいわば渡りに船の京都市からの行政指導であり、その船に乗ってイレギュラーなものを適切に排除できる此岸へ行ってしまったのかもしれない。

そうであれば昨日(2018年5月18日)大学当局によって再度タテカンが葬り去られたように、大学当局は何度でも「何がなされているのか分からない空間」を消滅にかかるのだろう。

タテカンは漂流する。

あほやなあ

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ツイッターより

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時々、数年に一回百万遍の交差点中心で食事会が開かれる。

市民vs権力

1000年以上権力と付き合ってきた京都の地で、磨き上げた反権力としての諧謔趣味は市民の中に伝統として備わっている。権力も当然のようにその諧謔趣味に手をかけてしまった。

今後タテカンは漂流し復活するのか・・

京都大:「立て看板」展 価値ある景観、文化的表現 市立芸大で、きょうから - 毎日新聞

おまけ

京都市屋外広告物等に関する条例に以下の条文もある。

担当部署( 京都市:都市計画局広告景観づくり推進室 )

第六条2項 前項の規定は,次に掲げる屋外広告物及びその掲出物件については適用しない。
1-8略
9 その他公益,慣例その他の理由によりやむを得ないものとして別に定める屋外広告物

REMEMBER3.11