紙つぶて 細く永く

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そして未来 7

取材をしながら、マスメディアへの不信を肌に刺さるくらいに感じたのは、福島原発事故後のデモが初めてだった。
「おまえたちが隠しても無駄だ。ネットに本当のことが書いてある」。
複数のデモ参加者にそう言われた。政府と東京電力とマスメディアがぐるになって、事故の深刻さを隠したと思われていた。
だが残念ながら、私は原発放射線について何も知らなかった。同僚たちが機密をつかんで隠しているようにも思えず、首をかしげたことを記憶している。
あの時、人々は情報を渇望していた。
ニュースに飽き足らない人が、探す手段としたのがネットだった。そこにはさまざまな情報があふれ、事故ははるかに深刻と考える人も、そうではない人も、自分の考えを裏付ける情報をみつけることができた。
そんなネットの特性はかねて指摘されていたが、あれほど真剣に活用したのは、日本では初めてだったのではないか。
振り返ればそれは、民主主義の構造が変わる潮目でもあったのだと思う。編集委員・松下秀雄

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残念ながら松下氏はジャーナリストという立場を理解していない。このようなことをいわれると困窮する。以下加藤周一「戦後世代の戦争責任」から引用させてもらう。

 前の戦争が終わったとき、日本人の多くの人々は「だまされていた」「知らなかった」といった。しかしそれはだまされた方が楽だったからでしょう。だまされたかったからだまされたのです。武者小路実篤という人は戦争が負けたあとで「私はだまされていた、こういうことは知らなかった」といいました。日本人が戦争で何をやったか、アジアで何をやったか、知らなかったと。「だまされていた」のはほんとうでしょう。しかし、何とかしてだまされまいとして、あらゆる努力を傾けたけれども、それでもだまされたんじゃないでしょう。だまされていた方が気持ちいいのですね。戦争責任がないということになるわけだから。
 まあ、私の住んでいる町の八百屋のおかみさんが「だまされていた」といっても、私はその言葉を受け入れます。おかみさんに事実を調べろといったって、そう簡単に調べられないですよ。第一、八百屋は忙しいんだから。武者小路実篤みたいにのんびりと、小説書いているのとはちがう。戦争が始まるまで、文献はいくらだってあったじゃないですか。日本に入ってきたでしょう。戦争中でさえ、中立国だったスイスのラディオを聴くことができたでしょう。どうしてスイスのラディオを大作家・武者小路実篤は聴かなかったのか。なぜ「ノイエ・ツューリッヒ・ツァイトゥング」は読まなかったのか。八百屋のおかみさんに「なぜ『ノイエ・ツューリッヒ・ツァイトゥング』に書いてあるのにあなたは読まないのか」といってもしょうがないでしょう。ドイツ語を知らないんだから。だけど武者小路実篤はちょっとちがう。彼は日本国民の倫理的指導者であるとみなされていた有名な作家です。それは読めませんということにはならない。

他の評論でも、より情報に近いところにいた人間(新聞記者ももちろん含まれる)の戦争責任についても言及している。ましてや原発についていえば「3.11」以前に日本国内においてより情報を収集することは可能な状況であったはず。その中で「何も知らなかった」は怠慢以外のなにものでもないだろう

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」