紙つぶて 細く永く

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本当に?最後のさくら

今年のさくらが緑の中にまだ残っていた。

故あって、少し後に職を辞することをボスに伝えた。
「そんなものだね」という返事だった。かぞえれば丁度7年になる。

組織のいい分を優先するか、ユーザーの希望を優先するか・・
型式ばかりの朝礼を、義務感一杯で行うか、実効性を求めるか・・
能力がことなる人材に同じ結果を求める=すなわち万人がこなせる仕事の形を求める、
即ち、適材適所とは無縁な組織となる・・
困難を解決せずに、回避するひと・・
やり残したことは多分にある。しかし進化するための触媒の役は果たせた(と信じたい)

ひとの価値感について考える。
ふと「かもめのジョナサン」を思い出した。中学2年になるR君にどうだろうかと思っている。「博士の愛した数式」とともに・・
「しかし、博士は教えるだけの人ではなかった。自分が知らない事柄に対しては謙虚であり、マイナス1の平方根に負けないくらい遠慮深かった。博士は私を呼ぶ時、必ずこう言った。『ちょっとすまないが、君・・』」

入洛する、皇太子を秘するシステムがある。
本日警備の都合で入構が禁じられるそうだ。入洛する人物を秘しての発表で、各人鵜の目鷹の目で誰だろうと・・米国国防長官ならテロの危険もあり「特に人物名を秘す」ことはわかる。しかし、医学会総会に挨拶をする皇太子の名を秘すというシステム、またそれを得意げに語る幹部意識(あなたは知らないだろう、私はしっているが名を明かせない) いわばその程度の幹部にすら「名を明かしてしる」が一応「秘している」このシステムはそれこそ大丈夫なのかと疑わないわけにはいかない。

声高に世の中を変えようと叫びうっぷんを晴らす人が選挙カーに乗っている。
欺瞞に満ちた選挙制度にひとの価値観について語る資格はない。
歩道いっぱいになってバス待をし、歩道を行き交う人や自転車に譲る様子のない京都府庁公務員を、私たちは税金により雇用している。
この社会をより「まし」なものにする手法は選挙、いわば泣きじゃくる議員を選ぶことが先決なのではなく、
ペシャワール会ペシャワール会のホームページ のような活動をより広めてゆくことが重要なのではないだろうか?

その昔給与半分の住居費で1DKに暮らし始め、この社会をよくしようと必死で駆けずり回ったおじさんが、役割を終え、くちゃくちゃとガムを噛みながら、JRの旅行パンフレットの束を繰り返し眺め次の旅行を想像している。その横で、明日に向けてのモチベーションを維持しようと、この国の変わりように思いを馳せないスマホのゲームに夢中になる若者。
おじさんには年金という形で裏付けられた明日の旅行はあるのだろうが、若者に未来はあるのか? あるとしたらこの国を守るためにいつか戦争に駆り出される、すなわち徴兵になるという暗い未来だろうか?

そんな考えが思いめぐらす。

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REMEMBER3.11