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戦後民主主義の欺瞞2

現代の政治の危機にどう対処するかを、思想的に考えましょう。
思想家でイギリスのアンソニー・ギデンスの考えを中心にお話したいと思います。
(以下に述べることはギデンスの著作である『左派右派を超えて』『第三の道』などを軸にしていますが私[=著者]の解釈や考えなどがかなり入ります)
ギデンスは、90年代に労働党が政権に帰り咲いたときの首相トニー・ブレアのブレーンとして注目されました。
伝統を重視する右派とも、社会主義福祉国家を唱える左派とも異なる「第三の道」を提唱したのです。
ギデンスの考えでは近代化には「単純な近代化」と「再帰近代化」(リフレクシヴ・モダナイゼーション)があります。再帰近代化というのは、すべてが再帰的(リフレクシヴ)になる、つまり作り作られる度合いが高まり、安定性をなくしてゆく近代化のかたちです。
ポスト工業化社会になっている現代は、もう単純な近代化の時代ではないというのです。
主体がある、客体を把握できる、計算して操作できる。票の合計が多数の人を代表にすればいい。
そういう考え方で政策ができた時代です。
それが、なぜいまでは成りたたなくなってきたのでしょうか。
一言でいうと「単純な近代化」の前提である、「個体」というものが成りたたなくなってきたからです。
村は一つの個体である。
だから村の民意は、選出された代議士に代表されるはずだ。
労働階級は一つの個体である。だからこういう政策をやれば満足するはずだ。
同じように失業者は、母子家庭は、高齢者は、それぞれ一つの集団として把握できる。
だからこういう福祉政策を施してやればよい。
こういう前提が成りたっていた時代は、代議制民主主義も、経済政策も、福祉政策も機能します。
近代化の初期の時代には、行動様式がまだ慣習や伝統で決まっていた。だからこういう政策をとれば農民はこう行動するだろう、労働者はこう訴えれば投票するだろう、この人に話をつければ地域や業界の全体がまとまるだろう、という予測が比較的容易だった。
「農民」やら「地域」やら「業界」を一つの個体とみなして、物体運動のように政策をたてることが可能だった。工業化が進んだ時代でもそれはまだ別の形で成りたっていました。
Sinsyu1_2 1960年代から80年代の日本では、安定雇用が広がったので、それ以前の時代より、生活様式が均質化しました。
男なら18歳か22歳まで学校へ行き、新卒で就職して、着実に給料があがり、60歳で引退する。
女なら24歳までに結婚して、30歳までに二人の子どもを産み、35歳で子育てを終えて、パートに出たあと、老いた親を介護する。
日本の年金制度は、結果的には、こういうコンセプトで組み立てられたとも言われます。
雇用者は給料天引きで会社と折半して厚生年金を積み立てる。自営業者や農民は国民年金に入って、自分で納入する。
問題は、[近年(Blog主挿入)]上のような類型にあてはまらない人が、たくさん出てきたことです。
たとえば持ち家がないのに、厚生年金に所属できなかった、高齢の非正規労働者や元零細企業労働者。廃業して跡継ぎがいない、高齢の元自営業者などです。
こういう問題の多い制度をそのままにして、財源がないから税金だけ上げる、というのでは格差の是正になりません。
経済政策も同様です。以前だったら、公共事業で道路や港湾を整え業界団体の人に話をつければ、企業が誘致できて経済が成長し公共事業で支出した分はとりもどせることになっていました。
こうした予測が成りたたなくなってきたのです。
ポスト工業化は、経済という側面からの社会状態の見方です。
関係に焦点をあてた考え方からみると人びとが「自由」になって、選択が増大したからだといえます。
たとえばいまは、女であるからには24歳で結婚して仕事を退職し30歳までに子どもを二人産んで、などというふうには決まっていません。選択肢が増えたというよりも、選択できることを意識するようになったのです。
近代的な経済学や政治学などは、主体の行動と選択の自由度が増せば、観測と情報収集にもとづいて合理的に行動できるようになり、世界は予測可能になって操作できる、と考えてきました。
ところが全然そうなっていない。なぜでしょうか。
近代科学が、主体は理性を行使するが、客体はたんなる物体だ、という考え方をしていたからです。

再帰性の増大は誰にも不安定をもたらしますが、恵まれない人びとへの打撃のほうが大きくなります。
かって貧しい人びとは、共同体や家族の相互扶助で経済的貧しさをカバーしていました。
あるいは培ってきた仕事や技術や生き方への誇りで心理的貧しさを補ったりしていました。
しかし、再帰性が増大すると相互扶助も誇りも失って、無限の選択可能性の中に放りだされ、情報収集能力と貨幣なしではやっていけない状態に追い込まれていきます。
-「社会を変えるには」 小熊英二 から抜粋-