紙つぶて 細く永く

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愛読:文学

人間がまだ湿っぽい洞窟に住んでいた太古の時代から、人々は飽きることなく物語を語り続けてきた。
友好的とはお世辞にもいえない獣や、厳しい気候から身を護りながら長く暗い夜を過ごすとき、
物語の交換は彼らにとって欠かすことのできない娯楽であったはずだ。
どのような集団にも中に一人くらい、物語をそのように生き生きと語ることに長けたものがいたはずだ。
このような物語はやがて紙片に書きつけられるようになった。
そしてやがて情報の機能が分化し、フィクションという概念が確立されたとき、
そのような作業を専門にする人々は「作家」という名で呼ばれるようになった。

物語には数多くの不思議なことができる。
小説家は、うまくいけばということだが、そのような効用や普遍性を生み出し、読者に送り届けることができる。
小説を書くというのは、頭の中で物語を思うがまま、自由に作り上げる作業にほかならない。
それは荒唐無稽な物語かもしれない。
しかし作品というかたちを与えられた物語はそれ自体の資格でひとりでに動き始める。
そして予期してもいないときに、あっと驚くような真実の側面を、作者や読者に垣間見させてくれることになる。
まるで一瞬の雷光が、部屋の中の見慣れたはずの事物に、不思議な色とかたちを与えてくれるように。
それが物語というものの意味であり、価値であるはずだと僕は考えている。

しかしもしそのような希望がなかったなら、小説家であることの意味や喜びはどこにあるのだろう?
そして希望や喜びを持たない語り手が我々を囲む厳しい寒さや飢えに対して、
恐怖や絶望に対して、焚き火の前でどうやって説得力を持ちうるだろう?
-小説を書くということ(抜粋)-村上春樹