紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は元のBlog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

QGIS電子地図操作 第1回

GPSを備えている腕時計を使ってログをとると電子地図上に走破ルートが表示できる、これを利用して鉄道乗りつぶし路線図を考えようと思った。
 すでにWeb上に乗りつぶしについてのサイトがあるが、JRから外れると私鉄となり別ジャンルになる。少し面白くないので自作をと考えた。

まずは国交省に「国土数値情報」というものが用意されている。これをダウンロードしGISソフトで読み込む。すると表示はこうなる。
このデータは2015(平成27)年12月31日時点のデータとなっているので北陸新幹線金沢までが記載されている。

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QGISはオープンソースなのでみんなで改良できる。専門集団がいるそうでたえず進化している。最初ダウンロードしたのはバージョン2.16「Nødebo」だったが最新は2.18愛称「Las Palmas」
上記画像を少し加工。このままだとやや見かけが悪いので路線の色を変える。
まず「レイヤパネル」に表示されたレイヤリストの「N02-15RailroadSection」を選択し右クリックし「属性テーブル」を選択する。

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開いたテーブルに属性が表示される。鉄道の場合「N02_003」が路線名となっているのでこの分類で色を変える。

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下記の「N02-15RailroadSection」をダブルクリック

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すると下記レイヤースタイルが表示されるのでまず上部「単一シンボル」を「分類された」に変更する。

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そしてカラムで「N02_003」を指定

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 「シンボル」を選択すると太さや実線、破線等が選択できる。そしてその下「色調」はデフォルトで「ランダムカラー」となっているがお好きに変更し「分類」をクリック

f:id:greengreengrass:20170624095527p:plainすると各路線別の色調が表示されるので、よければ下の「OK」ボタンをクリック
これで各路線色別に区分された。路線別色別が完成

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日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 15 

線路は続く5 禍根を生んだマル生

「生産性向上教育」略してマル生は禍根を生んだ。

マル生は各地の現場で特に組合員に対する「不当労働行為」を引き起こした。特に国労はその影響により組合員が激減した。
生産性向上運動の目的である「労使協調」は同盟(注1)系の組合である「鉄道労組」=鉄労が発足当初から掲げてきた旗印であり、そのこともあって国労動労からの集団脱退者が加入した。マル生が始まる前1970年1月に7万5000人だった組合員は1971年末には10万5000人となった。
(注1 同盟 全日本労働総同盟 - Wikipedia )
そのような状況下でマル生に対する国労の取り組みを決定する第32回全国大会が函館で開かれた。そして「座して死を待つより、起って反撃に転じよう」と呼びかけた。
1971年9月に札幌地裁で「苗場工場不当労働行為事件」の仮処分以下が出た。
国鉄当局は組合員に対し自ら組合を脱退し、また他の組合員を脱退させるような働きかけをしてはならない」 この結果マスコミも時の勢いで組合擁護の記事を掲載する。
そして国労は過剰な一斉反撃に出た。
しぶしぶ同意した国鉄当局とマル生紛争対策委員会(粉対委)が設置された。国労は粉対委でマル生教育実行者と不当労働行為実行者の降格配置転換を要求した。特に地方では水面下で実行した現場管理者もやり玉にあげられ当然やったやらないと紛糾したが組合に押されその結果、疑わしきも罰せられることになり現場管理者は規律維持に自信を失った。
 不当労働行為実行者として現場管理者389人が処分された。また組合側は「三・四・三の昇職・昇給基準」を要求し実現させた。これは従来の慣例をやぶり勤続年数・現職名での経過年数・現職群経過年数それぞれに三・四・三の点数を割り振り昇給者の順位を自動的に決めるという制度である。
 また国労とともにマル生闘争で勝利した動労はEL・DL一人乗務体制での敗北のリベンジにでた。再び二人乗務体制を要求し強力な順法闘争に乗り出した。ATS自動列車停止装置が装備されている車両は信号が停止を示すと自動的にブレーキがかかり列車を停止させる。ところがこのATSでは安全対策上問題がない場合でもブザーがなり働くことがある。その場合は安全を確認し、ブザーを切って進行するのだが、動労は順法闘争として通常は、問題のないATSのブザーであっても必ず停止するという戦術に出た。1973年3月の順法闘争初日では首都圏の国電504本が運休、2860本に最大1時間半の遅れが発生した。その後も混乱した事態に政府も介入し実力行使の中止を要望したが事態は改善せず、新幹線も含む順法闘争に乗客の怒りが爆発した。4月24日大混乱の中関東大宮駅、上野駅赤羽駅、有楽町駅、新宿駅で乗客が騒ぎ出し暴動状態となり、首都圏の国鉄のは翌日25日夕刻まで空前のマヒ、乗客など138人が逮捕された。国鉄当局は一連の闘争に対する処分として、解雇28人を含む処分11万4951人を発表した。

さらに1974年の春闘オイルショックによる狂乱物価の中行われた。前年秋にはトイレットペーパーや洗剤、砂糖などが不足するという噂が流れ、スーパーに長蛇の列ができた。消費者物価指数は前年比12%の上昇で春闘もインフレ防止、物価値上げ反対で盛り上がった。しかし最大のテーマは公務員のスト権問題であった。
春闘共闘委員会はすべての官公労働者にスト権の保障をすることを求めて、ゼネストに突入した。
 国労動労は4月11日から新幹線・国電を含む国鉄全線ストを実施。歴史上初めて国鉄列車は全面運休した。

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さらに田中内閣から政権交代した三木内閣でスト権付与という方針が大きくな実現性をもって検討されているときに、「三木降ろし」に翻弄され結局、首相を辞任し自民党からもはなれた田中角栄の影響もあり自民党内は反スト権付与の流れとなった。
 この経緯を茶番として組合側はさらに過激となり、1975年国労動労全逓全電通などで結成された公労協と政府との直接折衝でも展望が開けず、11月26日から八日間192時間のストライキに突入した。
 国労動労は前夜からの長距離夜行列車も指名ストとし、この日の国鉄列車は新幹線、国電、在来線2万3000本が完全ストップ、動いたのは国鉄当局と協調路線をとる鉄労の協力で三本の近距離列車と660本のローカル列車のみであった。

陸の孤島そのころ私は泉北ニュータウンに住んでいた。大阪府堺市から和泉市にかけて開発された新しい街で、大阪の難波まで泉北高速鉄道南海電車が相互乗り入れしていた。大阪北区の勤務先までの足はその泉北高速鉄道が唯一の公共交通機関であった。1974年の交通ゼネスト当時は、それ以前からのストライキ慣れもあって、会社は休みとなった。
当時最初のうちはスト前日に会社の車に乗って帰りスト当日は朝早くから大阪をめざした。しかしサラリーマンの多くが同じように大阪を目指すので周辺道路は大混乱し、実際にたどり着くのは昼前くらいだった。会社についても帰宅の混乱を考えると仕事にならず、結局会社も勤務可能なものだけの出勤で、最初からほぼ不可能なものは休暇をとらせていた。確か好天で団地の芝生で子供と遊んでいた記憶がある。


スト権ストは不毛に終わった。
スト初日の築地中央市場は列車を避けトラックによって運ばれた生鮮食品であふれていた。スト権ストには私鉄や海運、航空会社は加わっていなかった。
国鉄の貨物輸送量シェアは1965年30.3%であったが1975年には12.9%まで下落していた。国鉄そのものがすでに時代遅れとなっていた。国鉄の運行はマヒしたが国民生活はマヒしなかった。
 八日間にわたるこのストで国鉄の全面マヒは192時間に及び18万4000本の列車が運休、想定のべ1億5000万人に影響を与えた。
この結果に政府自民党側が反撃に出る。国鉄当局に「違法」ストに対する厳正な処分と同時に、国労動労に対する損害賠償請求をするように求めた。
そして国鉄当局は解雇15人を含む5405人の処分を通告、国労動労に対し202億4800万円の損害賠償を請求した。
(これら損害賠償請求はまず分割民営化の容認をした動労を免除し、最終的には1994年国労とも和解し請求を取り下げられた。202億円損賠訴訟は、基本的態度を堅持し和解 | 国鉄労働組合

これらの紛争について、国労の星、富塚三夫は振り返る、「マル生闘争の反動で、一部の職場では国鉄当局も組合の中央指導部もコントロールしがたい状況が生まれた。コントロールできなかった組合の指導にも問題があった。組織的にコントロールをかけておけば、国鉄分割民営化の際に、指摘された職場の規律の乱れを防げただろうと悔やまれる」
富塚三夫の指摘するように、この時の職場規律の乱れがなかったならその後の分割の動きも異なったものになったにちがいない。

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REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

京都一周トレイル今度こそ完歩かな

京都一周トレイル残り三時間の完歩に向けまた出発。先日未踏に終わったリベンジをと出かけた。

greengreengrass.hatenadiary.jp

今回も継続が大事と前回の挫折地点大原戸寺から二ノ瀬までを予定。
 と書いてルートを検索しようとしたら下記に出会った。

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なんとこのサイトでは手書きでルート作成ができるらしい。

京都一周トレイル 鞍馬ー蹴上 - ルートラボ - LatLongLab

上記ルートは今回歩いたルートの大部分です。投稿者「花火」さんが作られたルート
しかし使い方がいまいちわからなかった今後に期待
入口はここ ルートを描く - ルートラボ - LatLongLab

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当日国際会館でバスを待っているとおじさんが寄ってきた。「今日はどちらに」と声をかけられ、京都一周トレイルです、と答えると、「大原三千院ですか」
いいえ(トレイル地図を見せ)ここからここまで行きます。すると同じく京都北山の地図を見ながら、先週の水曜日にここへ行ってきましたと。どうやら私よりもベテランみたい。「比叡山から大原へ下りられたらどうですか」と振ってみたが「ぜひご一緒に」といわれて同じバスに乗った。
 京都バスの戸寺で降り、歩き始めると、「この近くに小松均美術館があります」「この先に静原へのバイパスがあります。あれがそうです」とやけに詳しい。相当歩きこんでいる人だなあと感心していると、「このバイパス測量にはよく来たもんです」、と・・
あとで詳しくお聞きしたが、京都市で道路開発に携っていた方だった。静原の里にはいると、「そうそうこの家の方はやさしいかたでした」など道路開発で話し込んだ様子を解説してくれた。

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こちらが大原神社
静原を過ぎ薬王坂にかかったところで昼ご飯。なんでも昨日はご自身で鯛めしを作ったそうだ。弁当箱をひろげ語ってくれた。「料理はされますか」と聞かれたので、「ええいまは私が主夫です」と、出汁の取り方味噌汁のつくり方を講義。
「そうですか」と感心いただいたところで、連れ合いが「その味噌は私が作るのですがね・・」とさりげない自慢。
 「えっ」と驚かれたが、そこから味噌のつくり方を一講釈。当方持参した乏しいコンビニの握り飯をさておいての料理自慢でした。

そんなこんなで難なく鞍馬の地蔵寺に到着

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天気も上々で心地よい汗をかいたので「近くに知り合いの店があるので行きましょう」と誘ってくれた。なんでも鞍馬駅前の「かどや」の女将を知っているとのことで手を取るように案内してくれた。
 ビールを飲みながら話を交わすと、このAさんなんと46年尺八を趣味としているとのこと。すごい人なんだ。その尺八にまつわる縁でこのお店の若女将と知り合いなんだって。
鞍馬駅から帰るAさんと分かれわれわれは一周トレイルの最後の地二ノ瀬へ向かった。
京都一週トレイルもよく整備されているが鞍馬から二ノ瀬までは車道を通る。ここでは歩道もなく車に気を配りながらの通行だ。

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Aさんの乗った電車が横を通った。

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そして二ノ瀬駅で無事完歩叡山電車に乗って帰宅。
一周トレイル最後に楽しい山行ができた。Aさんありがとう。完歩です。

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

Bridge of Spies

痛く感動して、ソ連のスパイ、ルドルフ・アベルトーマス・ワッターズ)の演技を見ていた。

冷戦の中、敵国で冷静に落ち着いて未来を見つめる眼に感動したのだ。
検索するとアカデミー助演男優賞受賞とききさすがだなと感じた。

原因はアカデミー賞授賞式は某有料衛星テレビ局の一社独占で契約していないと見られないのでいまいちインパクトが弱い、受賞履歴が頭に残らない。

映画をくり返し見ながら思った。「我が国の名誉のためにこの弁護を引き受けてくれ」、「なぜこのような輩に合州国憲法を適用しなければならないのだ」、という台詞、そして小学校での国旗・国家などにアメリカは「なんと生真面目なんだ」という印象を植え付ける。

アメリカ映画は常にそうだが一方的な思い入れが強くある。これは国家そのものの性格でもあるのか、ふと我に返り「この道はあっているのだろうか?」なんて戸惑いは表面上はない。
主人公ドノバン(トムハンクス)も有無を言わさず怯むことなくアベルの弁護に向かう。敏腕の弁護士は内面の弱さなど見せないとうことかな。
小学校で国旗を前に国歌の斉唱をするところで、ふと最近よく似た光景があったと思い出したが、その国と異なるところはその敬意の対象が人物ではなく物にあるというところだろう。
 映画の中でドノバンが訪れてきたCIA要員に規則についていう「あなたはドイツ系、私はアイルランド二人が同朋でいられるのは規則すなわち憲法だよ」
アメリカをまとめているのは大統領ではなく国旗国歌に象徴される国なんだといっている。
時にその一方的な思い入れが思わぬ方向にゆがむこともある(それは概して大統領が共和党の時代に多い、ニクソンしかりマッカーシーしかりブッシュ親子しかり)が、必ずもう一方の思考(指向)があり時代の中の全体としては進歩しているのだろう。
それは現在の米大統領にもいえるんだろうな。

それにしても思想的には正反対だろうが、ニクソンはトムハンクスと似ている。

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アベルはドノバンの尽力によりアメリカのスパイ機「U2」の操縦士パワーズとグリニーケ橋で交換されることになった。
ドノバンはアベルにいう、
「帰国すれば歓迎されるのかい」
「それはわからない」
得た情報を自白したスパイはもはや不要となる。

映画の最後に、「ストイキームジーク=不屈の男・倒れない男」とドノバンを評するアベルはいう、
「橋を渡った後、抱擁されたなら「歓迎」されているのだろう、しかしそのまま後部座席にすわらされたなら「歓迎」されてはいないんだ」 
 遠く見守るドノバンの前で彼は抱擁されることなく後部座席に座らされた。ドノバンはまさしくストイキームジークとなり立ち尽くす。という最後です。

しかし不審に思い調べました。自白したスパイなら不要ではと・・
やはりここは演出のようで、アベルは帰国後後進の指導にあたったという一節もありました。ここはストイキームジークという言葉が演出を決めたのでしょう。

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

現在の我が国には

文書はあった。つまり嘘をついていた。

なぜ嘘をつく必要があったかを考えてみる。

結果の誘導を行っていないのなら、たとえ文書が存在し公表されても問題ではないと考える。

公開された場合、その文書の信ぴょう性を明らかにするよう働きかければいいのだ。

しかし結果の誘導を行った事実が明らかなら、文書が公開されるとまずい。

信ぴょう性を疑っても事実を告げる文書なのだから覆すことは難しい。

つまり誘導を行った場合以外には文書の存在を否定する前提はない。

それよりもなによりもこんなに明白に堂々と嘘をつき続ける行政をもったことが悲しい。

行政を預かるということは本来何よりも崇高な精神がなければならない。

公務員はこのように後ろ指をさされる職業ではないはずだ。

楽美術館に行ってきました。

一子相伝とは伝えないこと樂家では、代々が原料の粘土を採取し、それを寝かせて3代後に使うことになっている。当主が使っている粘土は、明治期に活躍した12代吉左衛門が採取した土である。釉薬の原料も、代々が採取して次代に譲る。窯も父祖代々が使ってきたものを使う。その他の道具も、代々が作り後代に伝えていく。 つまり、必要なものはすべて譲られる。「樂焼とは何か」ということについては、使い手という立場で自然に学ばされる。幼時から、日々の生活で樂家代々の作品を使わせるのである。ただし、茶碗の作り方に関しては何一つとして教えられない。作り方はもちろん、釉薬の調合すら教えてはもらえない。そればかりは代々が、「樂家の後継者」という、とてつもない重荷に耐えながら、自ら模索し発見するしかないのである。「一子相伝とは伝えないことなのです」と吉左衛門さんはいう。

伝えないことの大切さ - 日経テクノロジーオンライン

450年にわたる辛苦の歴史 

樂焼 RAKU WARE|樂美術館 - 樂家に伝来する樂歴代作品と茶道工芸美術・樂家文書資料
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同時掲載になったがなんの対比だろうね。

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

美学革命 掌のなかの宇宙 加藤周一

紹鷗の門弟の一人であった千利休は茶室をさらに小さく(二畳)し、入口の縁を廃して「露地」を強調し、角柱の代わりに自然の表面を残した丸柱を用い、白い壁に代えて荒壁とした。茶碗は利休自ら長次郎に作らせた楽焼である。
それは一方の極端から正反対の極端への転換であった。
第一に茶室は反記念碑的な建物であって、広ければ広いほどよいという当時の価値観に対して、小さければ小さいほどよいという立場にたつ。この時代の前者を代表するのは豊臣秀吉千畳敷の大広間であり、後者を代表するのが利休の二畳である。
 当時の日本で最も高い建物は大坂城天守閣で、最も低いのは茶室の入り口の鴨居である。比較文化史的に見れば、日本の記念碑的建築は桃山時代に最大の規模に達したが、権力者の居城としては中国や西洋の大建築にはるかに及ばない。しかし小さい方はおそらく中国にも西洋にも例がなく、高位高官が腰をかがめて狭い入口から入り、狭い部屋の中で茶を飲むなどという奇抜なことを思いついたのは、16世紀の日本人以外にはなかっただろう。

しかしその思いつきは、よほど日本人の好みに合っていたにちがいない。その後、長い間習慣となって今日に及ぶ。狭い空間は(そこで出会う人物相互の)親密感を作り出すのに役立つ。他方過度の親密感を防ぐためには、茶の湯の作法がある。
 極度に狭い空間と適度に形式化された作法との組み合わせは、16世紀に侘びの茶を完成した人々の、驚くべき智慧である。

第二に、草庵になぞらえた茶室はまた、反耐久性を特徴とする。一般的に、多くの建物は永続することを念頭に置いて建てられるが、茶室は脆弱に作られ、軽いために地震では崩れないかもしれないが、台風では吹き飛ばされるにちがいない。きびしい自然条件に対する備えや工夫はほとんどない。すなわち茶室は、自然の力や環境の変化に抵抗して、建物の耐久性と室内空間の保護を目的としているのではなく、むしろ、自然の力と環境の変化を受け入れ、それが建物を破壊し室内の空間を支配することに積極的な価値を見出そうとしたのである。人生無常、されば建築無常がふさわしい、と利休は考えたのかもしれない。それはどの文化と比較しても独特の考え方である。
第三に、利休は豊かで豪奢なもの(金碧襖絵)やめずらしいもの(唐物の茶碗)に、一見貧しい簡素なもの(草庵)、ありふれたもの(和製陶器の水差)、静かで地味なもの(荒壁)を対置して、後者に洗練された美を認めようとした。これが紹鷗から利休に続く「侘び」の美学である。
 こうした価値の転換を促したものは何であっただろうか。利休の時代から今日に至るまで、「侘びの茶」を語るに際して禅に触れない者はほとんどいない。禅と茶の湯(注)とはどのように関係し、美的価値の革命的変化はどうして起こったのであろうか。

 「茶道」をさけて「茶の湯」というのは16世紀の人々が「茶道」という言葉をほとんど用いなかったからである。「茶道」の語が流行し普及したのは、後代である。 また諸芸にかぶせてやたらに「道」の字を用いるのは、日本の徳川時代以来の習慣で、中国にはない。漢字の使い方としても、濫用のそしりを免れぬだろう。  荻生徂徠は「文武二道」という表現を批判していう、「・・詩歌も弓馬も芸にて候を。文盲なるものの道と名付け申習はし候にて候」 「文盲」の習慣に従わねばならない義理は、私にはない。mystificationである.

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 茶の湯禅宗より出たという言い方は正確ではない。茶の湯禅宗寺院から出たのであり、禅宗禅宗寺院とはかならずしも同じではない。喫茶の習慣が広まったのは、まず薬用としてであり、やがてそれは娯楽の一部となった。禅との関係を言挙げされる「草庵の茶」ははるかに後のことである。もしも禅が茶の湯に「影響」したとすれば、それは禅が鎌倉仏教として激しく宗教的な説得力を持っていた時にではなく、室町時代に、政治権力との長い結びつきを通じて世俗化し、宗教的迫力を失った時期においてであった。
 利休はその茶の湯の精神を説明するのに、おそらくはしばしば禅の言語を用いたらしい。しかしそれは、対象--すなわち紹鷗、とくに利休の茶--の特徴が、かならずしも禅に関連しているということを意味するのではない。
 室町時代に芸事の微妙な工夫を、仏教用語、とくに禅語を用いて叙述したのは、能楽論における世阿弥である。それはおそらく世阿弥にとっては、その対象を分析するのに適した言語がほかになかったからだろう。しかし、彼岸と此岸との関係を軸として構成される夢幻能の構造はあきらかに仏教的ではあるが、少しも禅宗的ではない。作品の能の内容も、しばしば浄土教の考えと密接ではあるが、禅と係るところはきわめて少ない。役者の芸の機微ついて世阿弥が語るところはじつに明瞭であり、彼はそれを舞台上の経験から学んだのであって、仏教や禅から学んだのではないだろう。
「草庵の茶」について、世阿弥能楽論に匹敵するような理論的な著作はない。しかし、大よりも小、堅固なものより脆弱なもの、豪奢よりも簡素など、茶室の実際的特徴の全体は、与えられた価値の秩序の否定を意味している。禅がその本来の姿において、既存の価値体系の否定を含んでいるという一面と相似関係にあることは明らかである。しかしまた、相似関係は、ただちに因果関係ではない。
 日本で禅宗とほぼ同じ時期に起こった浄土宗や浄土真宗における他力本願の考え方もまた、当時支配的だった価値の秩序の否定であった。これら鎌倉仏教において価値観の転換が行われるのは、宗教的な意味での絶対者と関連する救いや悟りの領域においてであって、文化的な、すなわち倫理や美学の領域においてではない。「草庵の茶の湯」が革命的に価値を転換したのは、美学領域においてである。倫理的には保守的な立場をとっていた禅が美学的には革命的な立場をとるなどということは、ありそうもないことである。
 利休が完成させてその後の日本文化に決定的な影響を及ぼした美学革命の原動力は、何であったのだろうか。利休の生きた時代は内乱の時代である。農民は一揆をくり返して武士支配層に抵抗し、武士の集団は相互に争い、同盟し、裏切り、手段を選ばない権力闘争を続けていた。堺の商人は彼らに武器(鉄砲や火薬、またはそれらの材料)を売って、大いにもうけていただろう。その堺の町人層から紹鷗や利休はでてきたのであり、彼らは、従来の政治的、経済的、倫理的秩序--つまりは封建的な秩序の全体が崩れてゆくのを見ていたにちがいない。したがって紹鷗や利休が、どのような価値にも束縛を感じていなかったとしても不思議ではない。そしてそれは、美の世界において既存の美的尺度を逆転するのに最適の条件であったろう。しかそそれだけではなかった。

 利休は秀吉に仕えていた。秀吉は大きな座敷での豪奢な茶会を好んだ。当時の最高権力者の「茶頭」として、利休は一方でそのような茶会をとりしきり、他方で四畳半または二畳の茶室で茶をたてたのである。日本文化史上およそ最も大がかりで派手な世界が一方にあり、最も小さく地味な世界が他方にあって、利休はその双方に住んでいた。両極端の間に妥協の余地はありえなかったから、両極端は限りなく進まざるをえなかったのである。秀吉の聚楽第とつり合うのは、四畳半ではなく二畳でなければならない。黄金の茶室に対しては、白壁ではなく荒壁でなければならない。唐物の曜変天目茶碗に勝るのは、磁器を模した炻器ではなく、轆轤さえも用いない楽焼の軟陶のほかにはない。利休の挑戦は、程度の違いではなく原理の違いに発展し、原理の具体化はいよいよ過激にならざるをえなかった・・
 しかし独裁的権力者への挑戦は、たとえそれが美学的領域内でのことであったとしても、危険を伴わないはずはない。利休の高弟、山上宗二もまた秀吉の「茶頭」となり、その任を解かれた後、ついには秀吉に殺される直前に「宗易(利休)を初め、我れ人ともに、茶の湯を身すぎにいたす事、口おしき次第也」と書いていた。その日は「天生16(1588)年正月」、宗二が殺されたのはそれから2年後の1590年であった。利休が死を命ぜられたのは1591年。二人は生前、その生き方の危険を十分に知っていたにちがいない。彼らにとって草庵の茶は命がけの事業であった。
 客は刀を外に置いて茶室に入る。しかし彼らは、その刀が閃くかもしれないことをつねに感じていたはずである。そしてそのような緊張の縁にいなかったら、彼らは日本文化の歴史に、美的価値の劇的な転換という鋭い楔を打ち込むことはできなかっただろう。利休の死とともに、堺の町人出身の茶人たちが行った美学的革命は終わる。しかし、周知のようにその後も楽焼の茶碗は作られ、茶室の四畳半は継承される。地味な、抑制された、しかしその細部の限りなく洗練された小さな空間は、日本の美の「伝統」として今日まで生きのびる。秀吉は利休を殺したが、利休の作り出した価値を殺すことはできなかった。

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

論駁

立花隆の力作「論駁」そこにこんな一節が。
********************************
法律問題というのは、数学や物理の問題のように答えが必ずしも一義的に出るわけではない。ひとつの論点について三つか四つの議論が同時になりたちうる場合すらある。どの立場をよしとするかは見解の問題、選択の問題である。
 それぞれの論理を追っていけば、A説もB説もC説もそれなりの論理的成立基盤を持つということはいくらもありうる。
 従って法律のプロが議論していて相手の見解を「誤り」ときめつけるときは、理論的にはそういう主張が成り立ちうるとしても自分はその主張にくみしないという意味の主観的「誤り」を意味している。一方こうした主観的「誤り」に対して、1プラス1を5としてしまうような客観的(=絶対的)「誤り」はプロ同士の議論においては極めて少ない(Blog加筆 「が素人には多い」)

手始めに渡部昇一氏の著書「暗黒裁判論」から引用すると

暗黒裁判論」渡部昇一朝日新聞に掲載された岡原昌男元最高裁長官のインタビュー記事を読んで慄然とした。 そこで岡原元長官は「無罪推定論は、一審判決の重みを全く理解しない論だ。控訴審、上告審は審理のやり直しではなく、新事実の主張があれば、その点だけを調べるにすぎない。上級審で逆転無罪となるケースはほとんどなく、一審判決はそれほど重い」
私(渡部)はこの発言を読んで本当に肝っ玉の潰れるほど驚いたのだ。何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われない、(憲法第32条)ということはだれでも知っていることだ。日本の裁判では第一審に不服なら控訴、それに不服なら上告できることもまた常識である。最高裁長官までやった人が田中角栄に関しては控訴・上告して争うことを「司法軽視の姿勢」だといっておられるのである 元最高裁長官の「予断に満ちた発言」を読んで、ハッとして「目から鱗が落ちる気がした」

 

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 田中有罪の予断を捨てると、この裁判が暗黒裁判であることがわかってきたというのである。
 私は渡部氏のたぐいまれな博識ぶりとレトリックの駆使能力にはかねて敬服しているのだが、そのひとが時々イカサマ論法を使うことをこの人のために大変残念に思う。
 元長官は一審を受け入れて控訴・上告するな、などという意味のことは一言もいっていない。政治家田中角栄の身の処し方について意見を述べているのであって、被告人田中角栄の処し方、すなわち控訴すべきか否かについて意見を述べているのではない。
この程度が理解できないで、慄然と目から鱗が落ちる大学教授も大学教授である。

 渡部氏は引用による論証が人一倍お好きな方(Blog注1)で「角栄裁判論」に限らず、氏の書く文章はいつでも多彩な引用にちりばめられている。
 しかし引用する場合には「引用のしかたにおいて正しい引用である」「引用された内容が客観的に正しい」「引用が論理的に正しく論証の一部を構成している」という条件が守られなければならない。

俵幸太郎氏(Blog注2)の発言の中に「よしんば田中角栄氏が若狭得治氏に電話をしたとしても、それはまさに内閣総理大臣たる田中角栄個人の行為であって、総理大臣には運輸大臣の権限を代執行する権限は持っていない」
 これを受けて林修三氏(Blog注3)は「こんどのローッキード事件は前の事件より職務権限については理由は薄弱です。判決では田中角栄氏が若狭氏に電話をかけて機種の変更を頼んだ。それを仮に若狭氏が聞かなければ、今度は田中氏は開き直って、運輸大臣に対して、あの閣議了解を使って『おまえ行政指導しろ』ということが言えるはずだ、だから密接関連行為だという論法なんだ。実際にはやっていない」
 しかし裁判で田中の働きかけの事実として認定されたのは小佐野経由の働きかけと、総理官邸における、若狭、渡辺に対する直接の働きかけの二点である。総理大臣官邸執務室で執務時間中に働きかけをしたのである。この二人のやり取りの中で法律の専門家林氏は「それは総理大臣たる田中角栄の力じゃなくて田中角栄個人の力ですよ」と言い換えている。
 おそらく俵氏は、中曽根首相が靖国神社参拝にあたって、「総理大臣たる中曽根康弘個人として」と玉虫色の答えをした例にならったのだろうが、法律の世界では玉虫色は通らない。「総理大臣である田中角栄が個人的に行った職務行為」であれば問題なく田中角栄の職務権限は成立する。
 賄賂罪の規定は公務員の「職務の公正」と「職務の公正に対する国民の信頼感」を保つためにある。
 賄賂を貰っても、職務は公正にやりましたという場合、前者の「職務の公正」は保たれても、後者の「公正に対する信頼感」は破壊される。ゆえに職務権限の行使に実効がともなっていなくても処罰されるのである。
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Blog注1 わたしもそうだなあ
Blog注2 俵孝太郎 - Wikipedia
Blog注3 林修三 - Wikipedia

 職務権限に基ずく行為をやったかやらなかったかは関係がない。職務権限(職務密接関連行為を含む)を保持しているならば、その権限が行使できる範囲で賄賂を貰うと賄賂罪に問われる。
 このことは多分合州国大統領にもあてはまるのではないか。各メディアでトランプ大統領がFBIにたいして捜査の中止を求めた(希望した)ことにたいしてFBIがその捜査を中止した様子が無いことを司法妨害の立証が困難とうたっているが、実効だったか否かでなく、総理大臣(大統領)が官邸(ホワイトハウス)執務室で執務時間中に捜査中止の働きかけをしたことが重いのである。
(当然同様にどこやらの国の「官邸最高レベル」が行ったことも実効性云々と関係なく考えるべきだ)

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 14 

線路は続く4 経費増大の中での生産性向上運動の挫折

1964(昭和39)年に創設された日本鉄道建設公団(現在は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構となっている)が建設した路線図が下記図

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鉄道新線建設を積極的に推進するため国鉄とは別個の組織日本鉄道建設公団をつくり新線建設事業にあたらせた。このことは反面、国鉄自身の経営的意志決定とは関係なく新線がつくられるということになり、路線は完成後国鉄に貸し付け譲渡された。
下記に日本鉄道建設公団(現独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構)が建設した路線一覧がある。
現行路線には右端に一日あたりの通過人員を記載した(2014年度)。ここの数字が4000人/日以下の路線は旧国鉄で定義された採算が厳しいという特定地方交通線に当てはまる。4000人/日以下の路線は該当数字を赤色にしている

鉄建公団建設路線ver2-1.pdf - Google ドライブ

鉄建公団建設路線ver2-2.pdf - Google ドライブ

鉄建公団建設路線ver2-3.pdf - Google ドライブ

鉄建公団建設路線ver2-4.pdf - Google ドライブ

鉄建公団建設路線ver2-5.pdf - Google ドライブ


日本鉄道建設公団の上記図には含まれない「未成線」という定義の路線がある。

1980(昭和55)年、国鉄再建法施行にともなって運輸省は、開業後見込まれる輸送密度が1日当たり4,000人未満の路線については、受け皿となる第三セクターなど国鉄以外の運営主体がない限り建設を凍結することを決めた。以下のサイトに詳しく掲載されている

マボロシ鉄道(未成線) - 未来鉄道データベース

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戦後の混乱期に引揚者を受け入れ、かつ朝鮮戦争をきっかけに盛んになった経済状況を受け運送需要が増大した国鉄は主体的人員計画もなく職員数最大で61万5千人となった。
敗戦後国鉄の中身は疲弊していた。
 国鉄の労使関係が極端に悪化したのは1967(昭和42)年からの反合理化闘争からである。70%もの列車を牽引していたSLを廃止し電化・ディーゼル化が進むにつれ機関車に乗る機関助士が不要になった。また、ボイラー用の水と石炭を補給するために50から100キロごとに設置されていた動力車基地も不要になった。
 しかし国鉄の労働者は要員効率化機関助士廃止に反対した。
この当時の国鉄には国鉄労働組合国労(281800人)、鉄道労働組合=鉄労(74500人)、国鉄動力車労働組合動労(62100人)の3組合があり、中でも国労は1949(昭和24)年には575800人と国鉄職員の9割以上の組織率であった。この組織率が強気を生んだ。

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  結局この反合理化闘争は国鉄経営側が折れて大幅な妥協となった。
その後1969年(昭和44)年磯崎叡が総裁に就任すると、再度合理化を徹底し企業らしい経営を求める「生産性向上教育」略してマル生と呼ばれた、が開始され、その教育を依頼されたのが日本生産性本部である。

そして磯崎総裁は実施にあたり現場管理職に向かってこう述べた

昭和解体-国鉄分割・民営化30年目の真実-牧久著より磯崎総裁は就任早々から始めた全国行脚で、現場長を前に
「職員は労働組合員である前に国鉄職員であること。国鉄を愛するということと、国鉄を利用してくれる方々に対して誠意を持つこと」
 「現場には国鉄のおかれた現状を理解しようとせず、意図的になんでも反対しようとする、本当に質の悪い職員がいます。こういう職員を良くしようとは思っていません。次元の違う職員、国鉄を利用して(日本に)革命を起こそうと考えているような職員を改心させようとするむだな努力は止めた方がよい。国鉄を愛することも、利用者に誠意を持つこともできず、列車を止め、お客さんを困らせ、国鉄をつぶしてしまってもいいと考えるような職員は放っておいてもよい(略)。数字を上げれば二%ぐらいが質の悪い職員ではないでしようか。残る九八%の中で、管理者が何も言わなくてもわかっている職員は半分ぐらいしかいません。残りの半分は黙っていてはわからない職員です。このどっちつかずの職員をキチッと指導することが大事なのです」

しかし、国鉄の現場は一般の工場労働者とちがって「生産性向上」の実績を数字で表せない業務が多い。必然的にその”矛先”は、仕事の足を引っ張る組合活動家に向けられ、国労動労の組合員を減らすことが目的になっていく。それが各地の現場で「不当労働行為」を引き起こした。
国鉄の生産性向上運動は、労使協調という、”愛の哲学”をたてまえに敵対する組合員を排除する”憎悪の哲学”を裏面に同居させながらスタートしたのである。(上記昭和解体-国鉄分割・民営化30年目の真実-より)

また「国鉄改革の真実」葛西敬之著には、
国労動労はマスコミと野党を動かして反撃を試み、いくつかの行き過ぎを不当労働行為として訴えることにより、生産性向上教育を政治問題化することに成功した」とある。
 教育を引き受けた日本生産性本部が実施する、生産性向上運動の原則は以下の三点であった。

  1. 「生産性の向上は究極において雇用を増大する。過渡的な過剰人員は配置転換などで失業を防止する」
  2. 「生産性向上のための具体的方式は労使協力して研究、協議する」
  3. 「生産性向上の成果は経営者、労働者、消費者に公正に分配される」


なぜかその日本生産性本部のHPに今も当時の総評の宣言「生産性増強運動にたいする基本的態度」が掲載されている。

公益財団法人日本生産性本部 綱領・宣言集 「生産性増強運動にたいする基本的態度」
その中には
「それらのことの結果、日経連が本年2月発表した数字を基礎としてみても(昭和)28年9月以降、労働生産性が7%の上昇をしめているときに、賃金はわずかに3%の上昇にすぎず、反対に生計費指数は9%あがり、失業は増加している。このことは,半面において大資本家の手中にはいる利潤の増加をしめすものといわざるをえない。最近大資本家の主張するいわゆる労働生産性の増強なるものが、誰を利益し、誰の負担を増加させるのであるかは、おのずから明らかである」
とある。

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REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

Excell和暦と西暦

Excellの小技です。
また書籍の表をOCRにかけたところ、「s39.5.26」という表記があった。
もちろん昭和39年5月26日という意味ですが、これをセルの書式設定で西暦に変換できる。

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当初はこれで読み替えても駄目であった。
しかたなくいったん「s」を外したがsが無いことには年号と認識できない。
なぜ読み替えないのか、なんのことはないここにも見えない改行符合が入っていた。

「=VALUE(TRIM(CLEAN(A1)))」でその符合を削除したところ綺麗に読み替えた。

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補足
上記画像の中に「s39.11.5」と見えるセルがあり、これがエラーとなっているが、これもOCRのなせる技で、「11」を「II」と読んでいる。
さすがにこれは手入力で「11」に変えました。そして無事「1964年11月5日」となりました。 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

Excell消えない半角スペース

書籍の表をスキャンしエクセルに取り込む。
印刷されたものはワープロ(古いな)で打ち込んだものとは少し異なるスペースがある。
 たとえば改行のタイミングで句読点「、」や「。」がある場合は、行頭に句読点を用いずに、少し行の長さ(文字と文字の間の空間)を短縮し句読点を行内に納め、他の行と高さを合わせる。
 今回は表を取り込もうとした。上下にしか罫線がないという、罫線が少ない表だったのでなおの事、OCRが利かなかった。
 wordに変換すると、(計算結果が異なった時に)修正がし辛いので、エクセルに読み込んだ。
スキャンしOCRをかけたところ下図のようになった。

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このままエクセルに吐き出すとひとつのセルの中に青線内の文字がすべて入ってしまう。そこで補助線ツールで補助線を引いてやる。

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こんな具合だ。
そしてエクセルに吐き出すと、修正は必要だが労力ははるかに少ない。
ところがエクセルで半角スペース削除の修正をかけたもののどうしても修正できないセルが出てきた。下図のようにSubsutitute関数を使い、半角スペースを削除するができない。

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見えない改行符号かと思い、改行符合の削除も行った。

Office TANAKA - Excel Tips[セル内の改行を削除する]


これでもダメだったので、そこでCODEにより文字コードを表示した。

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結果上図のセルC2は「160」と表示つまり、セルB2後ろから3文字目はchar(160)の改行符合だった。OCRの結果こんなものが入るんだ。そこで次にchar(160)を削除する。

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これで完了。
下記サイトを参考にさせてもらいました。

www.excel.studio-kazu.jp

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」