笑顔あるなら大丈夫生きられる、Chaplinが想い、NatKingColeが伝えた。
どんなにつらい思いも耐えられる。支えてくれる人がいる。
「Smile」
You’ll find
that life is still worthwhile
if you just smile.
作曲 チャールズ・チャプリン 映画『モダン・タイムス』主題曲
*
NatKingCole
Michel Jackson
Tony Bennett
Barbara Streisand
*
こころ痛むときもつらい時も笑ってごらん
何もかも笑えばきっとうまくゆく
悲しいとき悩み事を抱えた時も
笑うんだ。
喜びで顔が微笑む、そして
明日の太陽は君のために顔をだす。
泣き出しそうになるときも
悲しみなんかに負けるな
さあ元気出して飛び出そう
笑ってごらん 泣いていて何になるんだ?
そう笑っている限り希望は続いてゆく
*
チャールズ・チャプリン
1889年4月16日、イギリス・ロンドンのケニントン地区、ランベスのイースト・レーンで生まれた。父はチャールズ・チャップリン・シニア、母はハンナ・チャップリンで、ともにミュージック・ホールの俳優である。1歳のときに両親は離婚し、以降は母親のもとで育てられた。5歳のとき、オルダーショットの劇場での公演で、舞台に立っていた母親が喉をつぶしてしまう。そこで支配人は、チャップリンが舞台裏で様々な芸で母親の友人たちを笑わせているところを見たため、彼を急きょ舞台に立たせることにした。チャップリンはそこで歌を歌って大喝采を浴びた。これがチャーリーの初舞台となった。しかし、これによって母親は二度と舞台に立つことができず、チャップリンは貧窮生活に陥った。生きるためにあらゆる職を転々としその傍ら俳優斡旋所に通った。
映画プロデューサーマック・セネットの目にとまり、セネットに“面白い格好をしろ”と要求され、チャップリンは山高帽に窮屈な上着、だぶだぶのズボンにドタ靴、ちょび髭にステッキという扮装で『ヴェニスの子供自動車競走』に出演。以降『独裁者』(1940年)までこの扮装が彼のトレードマークとなった。1925年『黄金狂時代』が記録的大ヒット。しかしアメリカで、『モダン・タイムス』以降の一連の作風が「容共的である」とされ、非難の的とされた。特に1947年公開の『殺人狂時代』以降はバッシングも最高潮に達し、1950年代に入り、ジョセフ・マッカーシー上院議員指揮の下、赤狩りを進める下院非米活動委員会から、他の「容共的である」とされた俳優や監督とともに何度も召喚命令を受ける。アメリカの一般国民はこのチャップリンの追放劇に激しく抗議。決定した国務長官のもとに国内だけで数万通に及ぶ抗議の手紙が殺到した。国務長官は特別に、「チャップリン氏がアメリカにとって危険な人物である証拠は存在するが、今は明らかにできない」と苦し紛れの声明を出さざるを得なくなったほど。
1972年、アカデミー賞名誉賞に選ばれ、授賞式に出席するため、20年ぶりにアメリカの地を踏む。この授賞はチャップリンの国外退去を阻止できなかったハリウッドの謝罪を意味した。舞台に登壇したチャップリンに対し、会場にいる全ての者がスタンディングオベーションで迎えた。
1977年のクリスマスの朝、スイス・ヴェヴェイの街を見渡せる村コルズィエ=スュール=ヴェヴェイの自宅で永眠。88歳だった。
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Soldiers! Dont’fight for slavery、
Fight for liverty
ではひとまずアデュー
REMEMBER3.11
不断の努力「民主主義を守れ」