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紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は元のBlog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

「日本の」幼稚園

われわれ一般人にとっては驚くような幼稚園だが、しかし問題はどこにあるのだろうか、今回事件?が発覚しなければ見過ごされていた、ということなのではないだろうか。
 問題の大きな部分は今般事件にならなければこのような教育(教育か否かおおいに疑問だが)をしている幼稚園を知らされることは無かったということだ。
 このような方向性をもった幼稚園等は日本に多く存在し、それぞれにこのような指導に賛同する幼稚園教諭が参加しており、また賛同し子息を通園させる保護者が多くいるという事実があり、その事実を知らされないことなのではないだろうか。
 一部のジャーナリストや報道関係者ではこの現実は既知で、報道されない、すなわち事件表面化しなければ報道できないだけではないだろうか?
 不審に思う向きがあるなら、某apaホテルの社長にでもインタビューすれば教えてくれるに違いない。

たしかに私学にはその教学精神に基づく教育は認められる。しかし組織としての私学が行う自由と同じように、そこに通学する生徒自体の多様性を求める自由(これを教育の自由という)が十分に、いやそれ以上に満足させられなければならない。
たとえば進化論を否定する教育をするならば、その前段として進化論の詳細を過不足なく学ばせる、そしてどちらが真理かをつかみ取る、そのような教育だ。

 子供たちの可能性を限りある能力の大人が制限することは許されない。

 繰り返すが事件にならなければこの問題は放置されていた。
教育委員会というところは、文科省を筆頭に、天下り問題やいじめ問題といい、このような事態解決能力のない全くの中間管理職層になってしまったのだろう。

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多様性という観点から気になるコラムがあった。

政治断簡 多数派のエゴ 編集委員・松下秀雄私は時々、「喜多見と狛江の小さな映画祭」という手作りの上映会におじゃましている。小田急の両駅周辺で開かれるこの上映会、沖縄とかハンセン病とかテーマが重い。先日は映画のあと、脳性まひの上田要(もとむ)さん(68)と意見交換する場が設けられた。
 車いすで現れた上田さん、私たちに問いかけた。なぜいま多様性が叫ばれていると思いますか? 現実はそうじゃないから、全体主義がみえてきているからでは?  その前段で話していたのは津久井やまゆり園での事件。被告は「ヒトラーの思想が降りてきた」といったそうだから、全体主義や優生思想が潜んでいるのはまちがいあるまい。けれど上田さんの話は個人の思想ではなく、社会のありようを問うていた。     

 「画家の山下清さんは知的障害者でしたが、全国を自由に歩きました。いま、できますか? たぶん無理です」  
「『こじき』という言葉がありました。多くは障害者だったんじゃないでしょうか。そこに『こじき』がいてよかった時代、食べ物やお金を分け与えることが許された時代と、なんのかんの縛られているいまと、どっちがいいのかなと思うのです」
 そういえば物乞いの姿をみかけなくなった。障害のある人が施設を抜け出し、放浪を続けるのも難しいだろうな。と考えていると、他の参加者から「ちっちゃなころから障害者をみて育てば平気になるのに」。そういう機会が失われているということか。
 ご自宅に押しかけて尋ねてみた。上田さん、人がまばらな地域に施設が造られる背景をこうみていた。視界から遠ざければ考えずに済むから。その方が楽だから。そして触れあった記憶も、考えるきっかけもないまま人々が育ち、無関心が広がっていないか。そこから全体主義が芽を出さないか……。
 全体主義は、個人の利益や生よりも全体を優先させる。それは少数派の痛みへの無関心、多数派のエゴイズムの結晶なのかもしれない。究極がナチスの行為。障害者やユダヤ人、同性愛者など様々な少数派を、生きるに値しないなどといって虐殺した。
 いまの世界はどうだろう。最強の米国の白人大統領が、「米国が第一」といい、立場の弱い移民を排除しようとする。テロの危険とか暮らしとか、社会に不安が高まる時は注意が要る。「他人のことにかまっていられない」と、エゴむき出しになりやすい。     

 上田さんは若いころに施設を出て、障害者と地域の人がかかわりあいながら暮らせる環境づくりに尽力してきた。
 ノンステップバスの普及運動に取り組み、家族に頼らなくても暮らせるよう、介助者を派遣するNPOの理事を務める。今後は障害者と高齢者が抱える課題の共通点と相違点を洗い出したいという。高齢化社会では、障害者の課題の多くがひとごとではなくなる。社会の関心を高めるチャンスと捉えているのだ。
 ひとごとではなくす知恵。それが鍵に思える。


これから2020年東京オリンピックに向けて東京都は『こじき』の一掃に励むのだろう。多様性の縮小に向けてエンジンが加速する。
 なにやら多様性を閉じる某合州国の大統領を批判する矛先が、それでなくても多様性を重んじないアジアの某国に向けられている気がする。

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」