紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は旧Blog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

空海 4章

三教指帰を著した24歳から遣唐使船に乗船した31歳まで空白の7年間空海がいずこにいたのかは定かでない。この空白期間を多くの識者は後世の空海にとってのいわば仕込み期間と考える。仏典を手元に置き、知的懊悩を噴出させ時には知的憤懣をぶつける表現も使い、儒教道教・仏教の比較批判を戯曲仕立てで著わし、そしてついに仏教への確信を宣言する。
引用された仏教の経論を見れば、この頃の空海釈尊の仏教から大乗の華厳に至るまですでに修めていたことがわかる。空海にとっての7年はわれわれの7年ではない。なにしろ20年間の入唐留学をわずか2年に圧縮できる人である。よほどの7年が送られたといってよい。(エンサイクロメディア空海

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その当時の日本には諸霊をしずめる方法として古くから伝わる鎮魂の方法があったが効き目が薄くそういう神道に変わるあらたなる効能として仏教が国家的規模で受け入れられた。仏教が日本に入って200年になる。最初のうち日本人は仏教を効能主義として評価したが、やがて正統の仏教が組織に入ってくるに従って即効的な利益をもたらすものではなく、その膨大な言語量の思想体系に身を浸すこと以外に解脱の道はないということを理解した。
最初に空海が一沙門(素性不明となっているが東大寺の勤操ゴンゾウか?)から教わった秘術は釈迦の仏教ではなく別の精神風土から派生したインド伝来の秘術であり、これらを雑密といい、のちに空海によって体系として完成する密教を純密と名付け区別した。
そういう日本的環境で空海はこの7年間に日本にわずかに伝来した雑密のカケラを採集していたのかもしれない。空海が最初に伝授されたのは「虚空蔵求聞持宝」という秘宝であった。ある真言をある場所にゆき一定の時間内に百万べんとなえるというものである。「真言」とは人間の言語ではなく法身如来宗教的に原理化された存在)たちがしゃべる言語のことである。
虚空蔵菩薩とは、たとえば慈雨をふらして草木をそだてるといった自然のよき機能がすなわち菩薩の行為であり、それを讃仰する意識が生じたとき虚空蔵菩薩は天地に満ちる。インドにおこった密教信仰はともすれば死にむかって衰弱しがちな解脱の道を選ばなかった。釈迦とは逆の道、現生を肯定した。生命ある限り生きざるをえないというひらきなおりから出発した。空海はその方法を伝授された。
続く

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REMEMBER3.11