紙つぶて 細く永く

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空海 7章 乗り越える文章の力

中国に渡る第16次遣唐使船第一船に空海、第二船に最澄が乗っていた。困難を極めた遣唐使船、今回の船も4隻の内2隻が行方不明となり、目的地にたどり着いたのは第二船のみであった。空海の第一船は南方に流され福州長渓県赤岸鎮へ着いた。当地の観察処置使 閻済美は国を代表するなら国書なり印符を見せよと迫った。この時に遣唐大使藤原葛野麻呂は唐人に通じやすいように「葛野」を賀能に変えた。
参照(空海 6章 大使福州の観察使に與るがための書 - 紙つぶて 細く永く

そこで空海はしたためる。
「又竹符銅契は本姧詐に備ふ」
竹符銅契(国書なり印符というもの)は偽者になりすます悪い連中が出てくるおそれがあるから用意されるもの。

「世淳く、人質なるとき文契何ぞ用いむ」
世が淳く、人が質(素直)ならそういう文契はいらない。

「是故。我國淳穙已降。常事好隣。所献信物。不用印書。所遣使人。無有姧偽」
ゆえにわれわれは善良の国の使者であるがためにはんこをもっていない。

「載籍所傅。東方有國。其人懇直。禮義之郷。君子之國。蓋為此歟」
(中国の)書物の伝えるところ東方に国がありその住人懇直にして礼儀の郷、君子の国というのはこのためであろう。(と日本を称える)

そして相手の対応も持ち上げる。
「斯乃。理合法令。事得道理。官吏之道。實是可然」
これら(あなたがたの対応)はすなわち道理である。官吏の道としては実にこれ以外にない。

ひるがえって自分たちは
「伏願。垂柔遠之惠。顧好隣之義従其習俗。不怪常風」
ふして願わくば遠き者に恵みを垂れ、隣の者を好するという義を顧みて遭難の風をなしていないことを怪しんでくれるな。
福州の観察処置使 閻済美がこれを読んでびっくりしたのである。

(一服)浜にいた藤原葛野麻呂はきっとこのような心境だったのでは・・


「御遺告」によれば「州長は披いてみて笑みを浮かべ、船を開き、事情の聴取などをした」とある。幸いなるかな中国は(どこか東方の国のその後1211年を経たころと異なり)文章を偏重し文章こそ文明の基礎であり、政治の基本であり、歴史を通じての永久に朽ちることのない盛大な仕事であるとした。
そしてまた幸運にも閻済美には水準以上の鑑識眼が備わっていた。空海の風景によると福州の州都における文壇に馬総という人物がいた。科挙に合格し官吏となり今の北ベトナム一帯の風俗が儒教化される上で大きな働きをしたことが「旧唐書」に出てくるという。この馬総も空海の文才に最も感歎した。
 遣唐大使藤原葛野麻呂空海一行はこのようないきさつで「大使福州の観察使に與るがための書」に救われ長安に向かうことになった。
そのころ第一船で中国に着いた最澄は長安ではなく天台山に向かっていた。

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