紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は旧Blog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

閑話休題 骨休め

このところ俗世間のあきれた汚れにまみれていたので、少し爽やかな空気を求めて逃げ出すように愛宕山へ行った。

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(国土数値情報を元にBlog主が加工)

丁度アサギマダラの飛来時期だったので、帰りに水尾を散策。今年は少ない飛来だったがアサギマダラを何枚か撮り、その後近くの清和天皇山陵まで歩いた。

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清和天皇山陵は水尾でも谷を隔てた山中にある。
下図の右に「清和天皇社」があるがこちらは神社 そしてその下に「円覚寺」がある。ここが旧水尾山寺。東山にあった円覚寺が江戸期に火災にあった後で、当地に移設再建された。

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(国土数値情報を元にBlog主が加工)

(右記に詳しい)-天皇陵-清和天皇 水尾山陵(せいわてんのう みずのおやまのみささぎ)

大変にきれいに整備されていた。落ち葉ひとつない参道で、川音だけが響く静かな中、1kmほど歩く。

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参道の途中数か所に竹ぼうきが置かれ落ち葉や小石ひとつなく見事なほど綺麗に清掃されていた。

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山の中にポツンと陵墓があった。都を遠く離れたこの地に墓を希望した天皇とそれを囲むようにたたずむ水尾の里。
 京都に多くある天皇陵慕とは趣がことなり、愛宕山の帰りにはいつも気になっていた。木が生い茂っていたので、水尾の里は見渡せないが谷をはさみ水尾が目の前にある。

清和天皇は調べると31才と若くして亡くなった天皇で、あの祇園祭が始まったのはこの天皇の御代になる。また、後に源氏で有名な清和源氏の祖でもある。
27才の時に第一皇子の貞明親王陽成天皇)に位を譲り、30才で出家、近畿の寺々を巡りながら厳しい修行を続けた。880(元慶4)年崩御空海の少し後)。

吉村晋弥「水尾の里の清和天皇陵」それが健康を害したのか、水尾の地に入るとここを終焉の地と定め、水尾山寺の建立を始め、寺が完成するまでの間、嵯峨の栖霞観(せいかかん:現在の清凉寺の場所)で過ごしました。やがて病を発病。最期は東山(現在の平安神宮から永観堂付近と推定)にあった円覚寺で迎えました。享年31歳。お経を唱え、西を向き、結跏趺坐(けっかふざ)をして、手には定印を結んだまま最期を迎えたといわれています。亡骸はその地で火葬にふされ(現在、金戒光明寺の墓地内に火葬塚があります)、灰は生前の意思にならい水尾山上に置かれたとされます。

驚くほど美しい参道に、地元のかたが清掃されているのかと思ったが急な山道でそれも困難と思われたので、宮内庁に聞くと宮内庁陵墓課で清掃されているとのこと。
(これこそまさしく「保守」というんじゃないか・・)

REMEMBER3.11

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