紙つぶて 細く永く

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反原発

われわれは生きてゆく中で経済的活動をする、例えば漁業では魚をとる、加工する、輸送する。
まず魚自体を生産することはできないので自然環境の中の魚を捕まえる。電気や水を使って加工する。トラックを使って輸送する。
この経済的活動中では、「魚」、電気を作るための「水」(水力発電)、ガソリンを作る「原油」等が「与件」*注 といわれ経済活動をするためにいわば天から「与」えられた資源である。
同様に資源についてもこれを獲る、加工する、利用するという活動を行う。
原子力発電について簡略的にいえば「ウラン」を採取、加工(核分裂)し、熱を得て、発電し、廃棄物を「処理」し、最後には使用を終えた発電所自体を解体する。
いままではこの最後に使用を終えた発電所を解体するところを与件としていた。
注 経済外的諸条件(人口、欲望状態、技術、政治等々)を与件とよび、それが変化すれば経済も影響を受けるが、与件に対して経済は影響しない、あるいはしないと認識されるものとした。与件をすべて一定とすれば、その影響が波及し尽くしたとき、経済は一定不変の状態に保たれる。

今までの原子力発電所建設では「想定外の事故は起こりえない」という神話に基づきその与件がいわば拡大解釈されていた。
「大規模な事故」は起きない、大きな地震は来ないしその対策費用は計上しない。
究極は大量に出るゴミ=放射性廃棄物には目をつぶる(仮の置場しかない)
参照「六ヶ所低レベル放射性廃棄物埋設センター」

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そして今回のフクシマでは放射能汚染により多くの避難民が発生し、幾多の被害に補償金が支払われる。
戻れない土地を買い上げる、被害にあった農作物の代償をする、なにより深刻な汚染でいまだに避難民となっている
(全国の避難者総数は)32万8903(注1)にたいする生活保障等、国家予算でなければ支払えないような巨額となり結局東電は国営化された。
原子力発電の場合、与件をどの範囲まで見るかによってコストがそれこそ桁違いにかわってくる」ということを、今回われわれが知ったわけである。
注1 http://tokyopastpresent.wordpress.com/about/

原発について個別に、被害が予想されるときの避難コストや廃棄物処理の費用を既知の数値でなく正確にカウントする、作業が必要となる。
今までの「想定内」の安全策から大きく広げる必要があるのではないか等、与件で済ませていたものがコスト計算の中に入ってくることが大いに考えられる。
今回の都知事選挙で(推薦する母体:自民党の「原発推進」とは異なり)「原発の漸減」を一応主張した舛添氏、それを推した経済界首脳の発言はこの点(与件の拡大)を無視し必要なコストをいわば棚上げにしたことに過ぎない。(この点についても他の未来への先送りと同じく将来に負債をのこした)
都知事選についていえば、「漸減」という言葉に惑わされ、
「いま動いていないからいいのでは」という発想が付与され舛添氏圧勝となったのだろう。
「与件」を広く解釈するという発想と、「いま動いていないからいいのでは」という発想は同じだ。
しかしなににもまして現時点(2014年3月)で日本国内の原発は1基も動いていない、という状況は事実としてある。

経済環境の中だけで問題を考える、自然環境を与件として考慮すれば原子力発電は成り立つがその与件は時とともに変化する。
「公害」と騒がれる前は、都会にある高い煙突からもくもくと吐き出される煤煙は経済成長を表していたが、健康被害を及ぼした結果煤煙に対する対策が与件からコスト計算の中に組み入れられるようになた。
もはや自然環境という与件、いやわれわれの未来という与件は無視できないのではないか。